第2話 オデット ― リュカとの出会い
*毎回視点が変わります。タイトルにある人物の視点になります。
私の名はオデット・カロル・モロー。
何不自由ない恵まれた公爵令嬢として生まれた。
お父さまもお母さまも優しくて聡明で、公明正大な秤を心に持っている人たちだと思う。
両親は一人っ子の私を溺愛しているので、つい甘やかしがちになる。
それを懸念したのだろう。
私がやっと言葉を話し始めたくらいの幼い頃に、厳しく指導してくれる家庭教師を雇った。
私の家庭教師として雇用されたスザンヌ・サットン先生は、いつも厳めしい顔つきで笑顔なんて一度も見たことがない。
しかも、年齢不詳だ。
小柄なので子供のように見える時もあるけど、話す内容は老成しているし、魔法や剣術の達人でもある。
真っ黒い髪の毛をいつもきつくシニョンにまとめ、度の強い瓶底眼鏡をつけている。
私は当初彼女が怖くてたまらず、いつも意地悪を言われているような気持ちがした。
しかし、耳の痛い批判をするが間違ったことは言わないし、魔法、剣術、勉強、礼儀作法に関して妥協は一切しないという態度だったので、両親は『厳しいけど良い先生で良かった』と思っているようだった。
『幼年期の人格形成が人生に及ぼす影響』について力強く語る先生は、両親を完全に味方につけていた。
ビシビシと私を厳しく躾け、我儘や傲慢な態度を取ると特に大きな雷が落ちる。
『人間、謙虚がいかに大切か』というお説教は何百回とされたので、暗記してしまったくらいだ。
幼い頃からサットン先生に鍛えられたおかげで、私は公爵令嬢にしては打たれ強くなったのではないかと思う。多分。
公爵邸には、お父さまとお母さまと私。そして多くの使用人が住んでいる。
そして、広大な公爵邸の離れにお父さまの妹の家族が住んでいる。
妹は何年も前に亡くなったので、実妹の夫である義弟とその息子が離れに住み続けていると言った方が正確だろう。
お父さまの義弟ヤンはベテランの魔道具士だ。
公爵令嬢と魔道具士の婚姻が釣り合わないことは確かだ。
でも、私の祖父母に当たる先代の公爵夫妻も私の両親と同様、公平な天秤を持った人達だった。多少の説得は必要だったらしいが、ヤンの人柄と娘の固い決意を見て、二人の結婚を認めたらしい。
ヤンは魔道具作りに夢中になって、たまに大きな失敗もするけれど、お父さまは大目に見ている。
職人気質で自分の興味があるものについては一切妥協せずに寝食を忘れて打ち込む姿を尊敬している、と話していたこともあるくらいだ。
私は赤ん坊の時から両親に連れられて離れにも行っていたらしいが、残念ながら何の記憶も残っていない。
離れに行った一番古い記憶を掘り起こすと、それは私が8歳の時だった。
離れの建物は大きくて立派だが、中に入ると雑然と物が積み上げられている。
私が生活しているのは、常にピカピカに磨き上げられた本邸なので、まず埃だらけの床や、クモの巣が張った本棚に衝撃を受けた。
「何故離れを掃除してあげないの?」とお父さまに聞いたことがある。
お父さまによるとヤンは人が勝手にものを片付けると激怒する。
掃除を試みた使用人が何人も追い出されて帰って来たので、もう諦めたと言っていた。
その時、私はサットン先生のお使いで、侍女と一緒に離れに行ったんだと思う。
覚えているのは、私が大好きだった『神龍の贈り物』という本が本棚に置いてあって、しかも、その続編がズラリと並んでいたこと。
私がジッと本棚を見つめていると、
「その本が好きなの?」
と背後から声がした。
無愛想な面持ちの男の子が私の方を見ている。
無表情な顔貌が一見女の子の人形のように見えるくらい、その顔立ちは端整で美しい。
腰まである薄茶色の髪を無造作に束ねた少年は、生気に乏しい空色の瞳を私に向けていた。
恐らく、ヤンの息子のリュカだろうと思いながら、私はコクコクと頷いた。
「読めば。本家のお嬢様だったら勝手に読んだって誰も文句は言えないでしょう」
と言われて、私は少し傷ついた。彼の言葉には明らかな棘があったから。
でも、辛辣なことはサットン先生から言われ慣れているし、泣いたり、哀しそうな顔を見せるのは小狡い女がやることだ、と言われている。
「私は世間知らずのお嬢様かもしれないけど、他人様の持ち物を許可なく触るほど落ちぶれてないの」
と私が言い返すと、彼は少し驚いたように目を瞬かせた。
「・・・ごめん。読みたかったら読んでもいいよ。それ俺の本だから」
「ありがとう!」
私はそう言って、『神龍の贈り物』の続編を手に取った。
男の子は、近くにあった埃だらけのソファを叩いてきれいにしてくれたが、まだ大分汚れている。
一緒に居た侍女が心配そうに、
「お嬢様、ドレスが汚れます」
と言ったけど、
「平気よ」
とソファに腰かけた。うん、なかなか座り心地が良い。
男の子は驚いた表情を隠さずに
「あの、俺はリュカって言うんだ。君は・・・オデットお嬢様だろう?」
私は頷いて
「お嬢様はいらないわ。私達いとこ同士じゃない?」
と言うと、初めてその唇に薄い笑みが浮かんだ。
私は侍女に向かって言った。
「しばらく、ここで本を読みたいから、もう戻って大丈夫よ。リュカもいるし」
彼女は躊躇っていたけど、リュカが
「本を読み終わったら俺が送っていくんで」
と言ったので、ようやく帰って行った。
私はこれで本腰を入れて読書が出来ると気合を入れた。
リュカは作業台で何かを作っていたらしく、作業の続きを始める。
私達は黙々とお互いの好きなことに没頭した。
それが私とリュカの初めての出会いだった。
リュカによると私がもっと幼い頃にも会ったことがあるらしいが、記憶に全然ないので数には入れないことにする。
リュカと過ごした離れの時間は落ち着いていて、居心地が良かったので、私はその後離れに入り浸ることになる。
驚いたことに、サットン先生は私が離れに行くことを反対しなかった。
サットン先生が反対しないことは両親も反対しない。
それくらいサットン先生は両親の信頼を勝ち得ていた。
勿論、彼女の出す膨大な宿題を全て片付けたら、という条件だったが。
私は誰にも邪魔されない離れの静謐な空間が好きだったけど、埃や塵にまみれたソファは好まなかった。
なので、リュカに「一緒に掃除をしよう」と誘ってみた。
サットン先生は「掃除は最も神聖な精神鍛錬の修行である」と主張するので、私は8歳の公爵令嬢にも拘らず、掃除の心得がある。
ヤンにも許可を取り、絶対に触ってはいけない部屋を除いて、私とリュカで掃除をすることになった。
二人で丁寧に床を掃いて、棚の埃を拭う。
子供二人のすることなので、時間はかかったけれど、置いてある物に傷をつけないように掃除をしていると、不思議と心が浄化される気持ちになる。
数週間かけて掃除が終わった後、リュカも同じ気持ちになったようで、
「掃除をしていると、胸の奥に溜まったどす黒い嫌な気持ちが消えていく気がした」
と言っていた。
サットン先生の言葉は正しいのかもしれない。
綺麗になった部屋でお茶を飲みたいなと思ったので、本邸からお茶と私が焼いたチョコレートブラウニーを持って来てもらった。
リュカは「美味い!」と言いながら、ブラウニーを貪るように食べ始めた。
ブラウニーは私が焼いたんだ、と言ったら、リュカは口をあんぐりと開けて
「オデットってさぁ、公爵令嬢だよね?なんでそんなことできんの?」
と呆れられた。
『料理で殿方の胃袋を掴むのは基本です!』と力強く語る姿を思い浮かべながら、サットン先生の方針で、と説明すると
「サットン先生、すげーなぁ」
と感心している。
掃除の時も同じように感心されたっけ・・・。
確かに、こんなことは普通の貴族の令嬢はしない気がする。
でも、掃除も料理もやってみると楽しい。
失敗することも多いけど、そこから学ぶことも出来る。
私はサットン先生に教えて貰えてすごくラッキーだと思う、と言ったら
リュカは私の頭を撫でながら
「お前はいい子だ」
と笑った。初めて見る憂いのない透き通った笑顔だった。
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