引力

鯖缶/東雲ひかさ

引力

「大変なことになってしまった」

「そうだな」

 夜の林は暗い。そして虫の声でうるさい。ちゃんと虫除けをしてきてよかった。声は蝉が大多数を占めているが、色んな声がする。判別は私には出来ない。

 小津おづの懐中電灯が照らす先を転ばぬように、一歩一歩踏みしめて歩く。隣の小津はそんなこともなく、何の気なしに道が判然と見えているみたいに歩く。フィジカルギャップかと思って感心と憧れを持っていると、小津は派手に転んだ。

「気をつけなよ。暗いから危ない」

「転ぶ前に言ってほしかった」

 私が手を貸して小津は起き上がった。

「懐中電灯は?」

 なんだか暗いと思って小津に問いかけると、暗闇の中で小津はあたりに目を凝らした。

「転んだ拍子に飛んでった」

「その挙げ句、壊れて光も見当たらないね」

「いかにも」

 小津はおどけた。私が少し不機嫌になっているのが、暗闇のせいで伝わっていないようだ。伝わっていたらどうという話ではないけれど。

 だけどこんなことになってしまったのも、自分に責任の一端があるのであまり強くも堂々と不機嫌にもなれない。

 今は林間学校というやつで、私と小津は同じ班だ。林間学校の間、活動をともにする。ふたりきりではなく、本当は五人一組だ。

 今夜は天体観測をする予定だった。宿舎のある林から開けた場所に移動する途中、私と小津はみんなとはぐれてしまった。

 班員だけでなく、生徒全員でわちゃわちゃしながら移動をしていた。その中で私が転んでしまって小津に介抱してもらっている間に皆とはぐれてしまった。

 みんな夜のテンションというか、そもそも林間学校ということで浮き足だっていた。とにかく大勢あつまっていつもと違うことをしていることにドーパミンとかアドレナリンだかよく知らないけれど、そんなものが分泌されているらしく、私が転んだという些事には気づいてくれなかった。高校生って馬鹿だな、と同じ高校生の私が思うほどにみんなは夜の魔物に脳をやられていた。

 転んだ瞬間、咄嗟に隣を歩いていた小津の服につかまり、小津だけは私が転んだことに気づいてくれた。気づいてくれたというよりはそのせいで小津も転んだ。

 みんなが懐中電灯をつけて歩いてくれていれば転んだことが分かったかもしれない。けれどみんなは夜の林をあろうことか無灯で行進していた。あまりにも無謀。

 あれもこれもあの馬鹿な男子と年甲斐もなくウキウキしていた教師のせいだ。馬鹿な男子が暗いほうが雰囲気が出ていいなどと宣った。そいつのまわりにいた男子が共鳴した。すると教師がそうだな、胆試しみたいでいいかもな、と監督責任を放棄して同意した。教師は林間学校のお手伝いをしてくれているインストラクターさんに直談判した。若いインストラクターさんはおじさんの圧に押されて、断り切れずに天体観測の行軍は胆試しテイストでいくことに決まった。

 端で聞いていて、アホらしと思った。小津は無表情だったが、目配せすると馬鹿らし、と言った。

 インストラクターさんは夜でも道は分かるようになってますし大丈夫ですよ、と胆試しに無理矢理付き合わされて興ざめしている私たち含めた生徒に優しく言った。

 しかしそれは嘘だった。

 道は分からなかった。新月ということもあり、林の中はぞっとするほど暗い。だから道とか木々の間隙とかに違いはなかった。

 私と小津が転んで、ごめんとか、巻きこむなよとか言い合っている間にみんなはいなくなっていた。まず懐中電灯をみんなつけていないから闇の中では位置が分からない。足音も虫たちにかき消された。道は暗くて判別できない。八方ふさがりのまま、あてもなくそれっぽく道っぽいところを二人で歩いた。

 小津が手に持っている懐中電灯に気づいたのは、さんざっぱらそこらを歩いたあとだった。そのときにはもう手遅れだった。

 暗いなか歩くことになって一応持たされたんだ、忘れてもおかしくない、と小津は言い訳した。なんだか思い返してみると私はそんなに悪くないんじゃなかろうか。でもまあ、こんな夜は悪くない。そう思ったから、あのときすぐに大声を出したりして、先に行ってしまうみんなを呼ばなかったのだろう。

 そして今にいたる。

「アイツら、きっと怖がってる。胆試ししてたら、人数が足りなくなってる……って」

「先生には責任問題に打ち震えてほしいところだけど」

 灯りをなくした私たちは動くに動けない。

「とりあえず、歩くか」

 どうしようか考えあぐねていると小津が言った。

「遭難したときはむやみやたらと動くな、って聞くけど?」

「……だから最初に言ってほしかった」

 確かに私たちはむやみやたらに動きすぎていた。今回は私の落ち度だ。

「ごめん」

「謝るようなことじゃない、迎えがくれば」

 小津が意地悪なことを言う。責め合っていても仕方がないので反論はしない。そもそも私たちに極限状態下の言い合いをしている気など全くなかった。のほほんとしたいつものやりとりをしているに過ぎなかった。

 仲がいいと思っている人には意地悪をしたくなるらしい。それを思い出し、小津の脇腹をつつきたくなった。

「ねえ、あっちのほう、少し明るくない?」

 まわりをくるくる見渡していると、ある方向が光っているように見えた。けどそれは明暗の差というだけで、実際に光源があるわけじゃなかった。

「木がないから明るいんじゃないか、あそこ」

 小津の言うとおり、自然光であるのは明白だった。そちらに向かって歩き出す。

 すぐに明るい場所についた。そこは林の天蓋がなくなった開けた場所だった。

 見上げると視界いっぱいに星が広がっていた。家で見上げる空よりも星がたくさんあるように思えた。実際、たくさん見えているのだろう。こんなにたくさんあってはどれがどの星だなんて分からない。そもそも私にそんな知見はない。

「わあ、綺麗」

 だから口をついて出たのは、ありきたりなそんな言葉だった。自分でも恥ずかしくなるほどの感嘆の溜息と短い感想。

「月並み」

 小津がそんな私を茶化した。

「月は見えないけどね」

「月並みの月って、空の月なのか?」

「知らない」

 惰性で意味のない会話をする。小津も私を茶化しておきながら、自身も星々に見蕩れているようだった。

「でも、ほんとに綺麗だよ」

 私がそう言うと小津は小さく、うん、と言った。

 開けた場所は林の終わりで原っぱになっていた。だいぶ広く、あたりには何も見当たらない。

「星だけでも案外明るいな」

「確かに、そうだね」

 ぼんやりと小津の顔が見えるくらいには明るかった。天体観測をする場所はここではないかと思ったが、まわりにそれらしい影はない。

 原っぱに二人で寝転がる。星を仰いでいると世界が広がったみたいに思える。巨大な建造物を見たときに、自分が小さく感じる感覚とはまた違う。なんというか建造物に対しては拒絶反応だったけど、満天の星には自分さえも溶けて一緒くたになってしまうように思えた。

「広い場所にぽつんといると、なんか怖い」

「小津は狭いところのほうが落ち着く?」

「どうだろ、でもだだっ広いところだとうまく寝付けないな」

「私も。私は細い通路みたいなところで壁に挟まれて寝たい」

「それは、変だ」

 言っていて自分でも変だと思った。内容じゃない。広いところは落ち着かないのに、今はとても落ち着いていることだ。

 溶けていって微睡むような感覚が身体に流れる。けど、眠いわけではない。虫の音は聞こえない。私と小津だけがいる。

「小津、星に詳しかったりする?」

「全く」

「ならなんか話してよ」

「人の話を聞いてよ」

 小津は溜息を吐く。そして話しだす。

「宇宙に興味はあるか?」

「あるってことにしとく」

「宇宙にはダークマターって言って観測は出来ないけど、確かにそこにあるっていう物質があるんだ」

「なんで観測出来ないのにあるって分かるの?」

「光に反応しないし、電磁波でも観測できないけど、そういう物質がなければ宇宙の物理現象が説明できないらしい」

「例えば?」

「銀河とかが出来ないらしい。ほらあそこの天の川銀河もダークマターがなくちゃ出来てない」

 小津は空の星がぼやけて、帯状になっているところを指さした。

「へえ」

 天の川に見蕩れて雑な返答をしてしまった。

「さ、俺の浅い知識じゃこれくらいしか話せない。今度はそっちの番」

 小津は私の反応にムッとしたのか、面白い話をしてみろよ、と言わんばかりに話を投げた。目をつむって、しばし考える。ダークマター。天の川。七夕。

「ダークマターって人の気持ちみたいだね」

「ロマンチックで、いいな」

 私としてはおちゃらけたつもりが、小津が存外にもロマンチストで共感を買ってしまった。ツッコミがなければ成り立たない。私は顔を赤くした。暗くて小津には見えていないはずだ。

「ああ、もう最悪」

「なんでだよ」

「何でもないよ」

 沈黙が宿る。

「なんかごめん」

 小津が謝る。

「謝るようなことじゃない。ってか誰も悪くない」

「ならいいんだけど……」

 小津が申し訳なさそうにする。私は居たたまれなくなって、意味なく声をあげた。

「なんだよ、急に」

「小津。ロマンチックついでに言っておきたいことがある」

 二人きりだ。いい機会じゃないか。そもそも私は最初からこんなことを考えていた。理想は理想としてあるけど、自分から言わなきゃならないことだってあるのだ。

 小津は黙って神妙にしている。私は目をつむって、一心に呼吸を落ち着ける。私も浮かれていたのだと気づいた。恥ずかしついでに、転び方によっては恥の上塗りになってしまう選択をしてしまった。もう後戻りは出来ないらしい。

 息を吐いて口を開く。そのときざわざわと、林のほうから音が聞こえた。驚いて私たちは二人して身を起こした。

 その音の主は見覚えのある一団だった。ガヤガヤとインストラクターさんを先頭にして数十人が団子になっている。

「どうやら俺たちのほうが先に着いてたみたいだな」

 小津がやれやれと苦笑いをした。私は苦笑いに笑いかけた。

「それでなんだったんだ? 言っておきたいことって」

 小津はみんなと合流しようと立ち上がって、服を払いながら言った。

 ダークマターが人の気持ちみたいと私は言ったが、実は人の気持ちは観測が出来る。これは私の気持ちに限る方法かもしれないけれど。それは言葉であったり行為であったりする。けれどそんなものなくても、小津にいつか観測してもらえるかもしれない。

 けど受け身では駄目なのだと、ここ最近思っていた。だからいま勢いに身を任せ、話そうとしてしまったのだが、少し焦っていたみたいだ。驚きで我に返った。

「またの機会に」

「もったいぶるなよ」

「ふふ」

 もう少しこのままでもいい。このままがいまは心地いい。壊してしまうには惜しいのだ。怖いのだ。二人きりで浮き足だって、のぼせ上がって、外れていたタガが戻った。

 どうせダークマターの観測方法は分かりきっている。けどいまは、もう少しだけこのままにしておく。

 ダークマターの正体は――観測方法は、いまのところ宇宙の神秘、私の秘密ということにしておこう。

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