第30話 開戦

 翌日、ゴブリン王都リフェティへの潜入せんにゅう作戦は、静やかに開始された。


 チーグ、バレ、デュラモ、ノトの四人のゴブリンは、リフェティの外縁がいえんの森の中にある秘密の通路からリフェティへ侵入した。


 ポーリン、ノタック、<四ツ目>は、森の中を音もなく駆け、森の中からのように突き出た岩の台地――――リフェティの中心を目指す。


 歴戦の古強者であるノタックや<四ツ目>と肩を並べて行動しながら、ポーリンは少し面白おもしろおかしい気分を味わっていた。ほんの数ヶ月まえまでは、サントエルマの森で学問と研究に明け暮れていた。あの日々とは大違いだ。


 いまのポーリンを、「凋落ちょうらく」と見なすかつての学究仲間もいるかも知れない。けれども、彼女はサントエルマの森では得がたい経験を経て、確実にたくましくなっていた。


 ポーリンたちは、リフェティの中心である岩場が見える場所まで来ると、木々の中に身をひそめた。


 リフェティへの正式な入り口は、岩場の上と、岩場の周囲四カ所あるとチーグは言っていた。彼女たちがいま目にしているのは、岩場の南側にある通用口のひとつだ。入り口は小さく、見張りのホブゴブリンたちが二人いるだけである。


「ホブゴブリン・・・」


 ポーリンはその姿をみて、けわしい顔をつくった。普段は澄んでいる鳶色とびいろの瞳が、嫌悪と憎しみにかげる。向学心と負けん気に満ちた若き魔法使いが、その片足を闇の中に突っ込んでいるかのような影を帯びていた。


 その顔立ちをみて、<四ツ目>はふと思い出したように問うた。


「ときに、ラザラ・ポーリン。おまえは、コヴィニオン王国の出身か?」


 思いもよらぬ問いかけに、ポーリンははっと我にかえった。


「・・・なに、コヴィニオン王国?いえ、一度も足を踏み入れたこともないけれど?」


「そうか」


 <四ツ目>は小さく息をつきながら、眼帯を触った。


「おまえを見ていると、コヴィニオン王国のある魔法使いを思い出す・・・そいつはまだガキだったがな。いや、忘れてくれ」


 ポーリンは、みょうなことを言う男だと、<四ツ目>をまじまじと見つめたが、やがて苦笑しながら肩をすくめた。


「かまわないわ。おかげで、平静を取り戻せた。ホブゴブリンには、いやな思い出があってね」


「ホブは基本的には人間の敵さ。ゴブリンもふつうはそうだが、チーグやバレは興味深い例外だったな」


 そう言って、<四ツ目>はヘルハウンドの首筋をなでた。戦いを予感して、双頭の魔犬は興奮気味だ。


「・・・そのチーグたちは、そろそろ侵入したころか?こちらも、ひと暴れするか」


 <四ツ目>は不敵につぶやいた。


 ノタックが、戦いを前にハンマーに祈りを捧げようとしたが、<四ツ目>が止めた。


「あんたたちは、万一に備えてここに隠れていてくれ。あのホブどもを相手に、一騒ぎするぐらいならば、俺たちで十分だ」


<四ツ目>はそう言うと、赤いマントをひるがえしてヘルハウンドにまたがった。


ノタックは<四ツ目>の意図を理解すると、祈りの姿勢を解いて立ち上がった。


「了解した。万一のときは、援護にまわろう」


 <四ツ目>はにやりと笑った。彼は、徒党を組まない。賞金稼ぎになってから、ずっと一人で行動してきた。ノタックの頼もしい言葉は、古い過去の感覚を呼び覚ますものであった。


 <四ツ目>はヘルハウンドの頭をなでると、その隻眼せきがんをホブゴブリンたちに向けた。


「さて、ゴブリンたちのだまくらかしあい・・・いざ、開戦だな」





 チーグたちの潜入は、比較的容易に行われた。


 王家の者しか知らない秘密の通路を通り、王族の居住区画へと出る。そこからは、物陰から物陰へと、密やかに移動する。幸いなことに、王がとらわれている特別牢は、王族の居住区画きょじゅうくかくに隣接しているため、危険を冒さなければならない場所は限られていた。


 途中、ホブゴブリン兵の一団が、あわてて通路を走っていくのをやり過ごす場面があった。きっと、ポーリンたちが計画通りに騒ぎを起こしたのだろうと思った。


 特別牢の見張りたちがいる部屋の少し手前で、一同は積み上げられたたるの影に隠れた。


 そこで、チーグはまじまじと弟のバレを見つめた。


「これだけ走ったり、隠れたりしても、せきひとつしなくなったな、バレ」


 満足そうにつぶやく。


「・・・僕も驚いているよ。兄さんの薬のおかげで、すごく体調が良くなった」


「ああ、おかげでお前と一緒に来れて、良かった」


 チーグの口元から、小さな牙が顔をのぞかせた。


 バレはてれれたような笑いを浮かべたが、まるで太陽が雲に隠れるかのように、その笑いに少し影がさしたときには、チーグは視線を別の場所へと移していた。


 見張り部屋の様子を探りにいっていたデュラモが腰をかがめながら戻ってきた。


「見張りは、ホブゴブリン三人だけです。おそらく、俺ひとりで始末できます」


「戦いになればな」


 チーグはいたずらっぽくつぶやいた。


「王国への帰還にあたり、どうしてもやりたかったことがある」


 そう言うと、チーグはバレたちにこの場にとどまるよう両手で指示をし、単身、見張り部屋へと向かった。


 チーグは堂々とした素振りで見張り部屋へ入ると、わざとらしくせき払いをした。


 槍を持った愚鈍ぐどんそうなホブゴブリンが三人、あっけにとられてチーグを見た。おかまいなしに、チーグは口を開いた。


「おまえたち、太陽の騎士団の戦記は知っているか?」


 尊大そんだいな口ぶりに、二人のホブゴブリンが顔を見合わせ、一人が首を横に振る。


「盾の英雄マイヤー卿が、ソブリン城を奪還したときの台詞を、是非言わせてくれ」


 チーグはそう前置きすると、ひとり悦に入りながら深々と息を吸った。


「時、来たりて、正統たる者、王座に帰還す。ひれ伏せよ、正統ならざる者よ」


 大きな声でそう言ったあとに、意図的に声を低めてこう続けた。


「我はチーグ。ゴブリン王国第一王子にして、<本読むゴブリン>」


 そして、不敵な笑いを浮かべた。


「さあ、ゴブリン王国を取り戻す戦いの、はじまりだ」



主な登場人物:

ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。

チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国へ帰る途中。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われている。

ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。<四ツ目>との戦い以降、行方不明となっていた。

デュラモ チーグの腹心のゴブリン王国の親衛隊長。

ノト チーグの身の回りの世話をする従者。

バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。

<四ツ目> 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。

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