第9話 狂う予定

 チーグたち一行の旅は、一見順調に進んでいるかに見えた。


 リノンの街を出発してから五日で、野盗やとうや、灰色狼はいいろおおかみの群れ、バグベア、そして賞金稼ぎの殺し屋たちに襲撃されたが、いずれも撃退した。


 ポーリンは、サントエルマの森で勉強し、訓練したことが実戦で役立っていることを実感し、経験を積むことで自信を深めていた。


 彼女が現在、寝る前に取り組んでいるのは新しい魔法の呪文の訓練であった。火の球を小さくして、炎の手の呪文のように掌の上にとどめ、望むように操作するという創作そうさく呪文である。


 両手に炎を宿し、自在に操る魔女――それが当面の彼女の目標であった。


 火の球の呪文を使いこなすこと自体、簡単なことではないが、サントエルマの森の学究がっきゅうたる者、それもできて当然である。従来の呪文をどのように独自の方法論に落とし込めるか、それこそがサントエルマの森では問われる。


 森では決して優等生とは言えなかったが、危険をともなうこの旅を経て、彼女は少しずつ成長していた。


 とはいえ、一度は呪文を暴発させチーグを丸焼きにしそうになったことがあったが……


「……おまえ、もしかして俺を殺すために雇われているのか?」


 すんでのところでポーリンの攻撃を避けたチーグは、冷や汗をかきながらそううそぶいたものだ。


 旅の六日目は土砂降りの雨となったため、木こりたちの暮らす小さな村へ避難し、村で唯一の宿を大金を払って占拠した。追っ手の警戒はおこたれないものの、数日ぶりの寝台にありついたポーリンはゆっくりと身体を休めることができた。


 濡れた着衣を洗濯して、暖炉のまえに部屋干しする。サントエルマの森の香草こうそうを使って調合した軟石鹸なんせっけんは、部屋に心地よい香りをもたらした。


「もう少し進むと、分かれ道がある」


 その晩、地図を見ながらチーグが言った。


「川へ向かえば船着き場があり、船で先へ進むこともできるが、俺たちは陸路を行く」


 一同を見回しながら言うが、あいにくポーリンもノタックもこのあたりの地形が分からないため、基本的には言われるがままだ。


「〈ちょうの野〉を過ぎ、丘陵地帯の南側をかすめつつ、テントウムシヶ丘を目指す」


 チーグはそう言って、不敵な笑いを浮かべた。


「テントウムシヶ丘には、昔の知り合いがいる。そこまで行けば、ひと息つける」


「なるほど」


 旅路を理解したわけではなかったが、ともかく目的地があることはいいことだと思ったポーリンは、深くうなずいた。






 翌日、雨は過ぎ去ったものの、どんよりと重い雲が空を覆っていた。


 あまりのんびりもできない旅であるため、チーグたち一行は重苦しい空の元、前へ進むこととした。


 地面はまだぬかるんでおり、足取りも重い。二日前までの意気揚々いきようようとした冒険心はどこへか、ポーリンは洗濯したばかりの着衣が、馬が跳ね上げる泥に濡れることを気にしていた。


 しばらく進むと、森の中に分かれ道があり、昨晩チーグが言っていたとおり左へと進んだ。


 森の中は落ち葉が積もり、ぬかるみは幾分マシであるものの、たまに見えないまま水たまりに足を踏み入れてしまうことがあり、気の滅入る気がした。


「……船で進んだ方が、楽なんじゃないかしら?」


 ポーリンは、気を紛らわすためにノタックにそうささやいた。


「いい船頭せんどうがいればそうかも知れない」


 ノタックは静かに答えた。


「けれども、馬と馬車を捨てなければならなくなる」


それもいいかもしれない、とポーリンは心の中で思った。何日も馬の背に揺られる旅には慣れておらず、無駄なところに力が入っているのか、首と腰が痛かった。


 頭上の鉛色なまりいろの空が、心を暗くさせていた。


 けれども、ひたひたと忍び寄る、別の”嫌な感じ”も感じていた。それは、人通りが全くないことかもしれないし、小鳥のさえずりが全然聞こえないことだったかもしれない。あるいは、魔法使いならではの独特の感覚だったのかもしれない。


 進むにつれ、空気そのものが鉛になったかのような圧迫感を、その身に感じていた。


 森が終わり、小さな街道が丘陵地帯きゅうりょうちたいへ出ようとしたそのとき、丘のうえに恐るべき存在を目にして、彼女は”嫌な感じ”の正体を知った。


 彼らが進むべき道の先に、巨大な黒い犬がいた。そして、その犬には、頭が二つあった。


 双頭の黒犬……体の大きさは馬ほどもありそうだ。その太い足には、死臭ししゅうがまとわりつき、二対あるにごった黄色い目は死と破壊のみを見据えている。


「ヘルハウンド」


 ポーリンは、サントエルマの森の魔獣図鑑を思い出していた。


 彼らの馬も、異様な雰囲気を感じて立ち止まる。そして、不安げないななきをもらした。


「どうどう」


 ノタックが馬をなだめようとしたが、馬は落ち着く気配がない。


「なんだ?」


 チーグが馬車から顔をのぞかせた。


 ポーリンが顔を青ざめさせながら振り返った。


「ヘルハウンドよ……黒色の魔犬。最も高位のものは三つ首で、冥界めいかいの番犬とも呼ばれる。あいつは二つ首のようだけど」


「ああ」


 チーグは納得したようにうなずいた。


「新手の刺客か……」


 ゴブリン王子の緑色の瞳は、その魔犬の背にのある人物の姿を捉えていた。暗い赤色のマントに身をくるむ人物……鼻元には髭をたくわえ、右目には眼帯をしていた。


 ヘルハウンドの存在感に圧倒されていたポーリンは、気づくのが遅れたが、その人物には見覚えがあった。


「……あいつは、リノンの街の冒険者組合ギルドにいた」


「やっぱり、賞金稼ぎだな」


 チーグは舌打ちした。


「あいつを倒さない限り、前へ進めないわけか?」


 その言葉に反応して、ノタックは落ち着きを失った馬から下り、戦う準備をはじめた。すなわち、背から双頭のハンマーを下ろし、地につけて祈りをささげる……


「ちょっと待って」


 ポーリンが警戒の声を発した。


「……あれは、強敵よ。いままでとわけが違う。デュラモとノトは、いつでも退ける準備を、王子を守りながら!」


「退く?」


 チーグは不満そうに問い返した。


「何のために魔法使いを雇っている? おまえは、あいつに勝てないのか?」


 その言葉はポーリンの闘争心に火をつけたが、そのささやかな火でみさかいをなくすこともなかった。


「……もちろん、勝てますとも、たぶんね。けれども、危険は大きいことは十分に理解していて」


 ポーリンの鳶色の瞳が鋭くデュラモを向く。親衛隊長はその緊張感を理解した様子で、黙ってうなずいた。


 チーグは大きくため息をついた。


「予定が、狂っちまうかも知れないなあ」




<主な登場人物>

ラザラ・ポーリン:サントエルマの森で学ぶ若き女魔法使い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。

チーグ:ゴブリン王国の第一王子。人間の知識を得るための旅を終え、王国へ帰る途中。チーグの帰国を望まぬ者たちに命を狙われている。

ノタック:〈最強のドワーフ〉を目指す古強者。ジ・カーノのハンマーと呼ばれる魔法の武器を使いこなす。

デュラモ:ゴブリン王国の親衛隊長。チーグに忠実。

ノト:チーグの身の回りの世話をする従者。

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