第8話 陰謀談義
岩場をぬって流れてきた
王子の帰還を喜ぶ者、喜ばぬ者、それぞれが
父王ボランは、チーグが無事に帰還したあかつきには王位を譲るつもりであったが、チーグの帰還を“喜ばぬ者”が身の回りにあまりに多いため、この件については口をつぐんでいた。もっとも、チーグの帰還が喜ばれぬ理由も良く理解できる。チーグが人間の文化を持ち込むことによって、古き良きゴブリンの伝統が
だから、ボランは成り行きに任せる覚悟をしていた。
そんな王の思いを知ってか知らずしてか、次代の王位をかけての駆け引きが、至る所で行われつつあった。
約束の一年以内にチーグが帰国せぬ場合、自らが王位につくと言ってはばからない野心家の第三王子ヨーは、表では王国への唯一の公式な入り口である西門、通称〈
王国の西を塞げば、王国への帰還はかなり困難となるというのが、ゴブリン王国の常識であった。
リフェティの北は、アリグナン山脈の険しい山々が切り立っている。山中深くに住むノーム族との古い
リフェティの南には、ゴブリンたちが恐れて近づかぬダネガリスの野が広がっている。ゴブリン族唯一の大魔法使いヤザヴィがかつて住まいとした場所で、立ち入る者に死をもたらす危険な
そいてリフェティの東には、ゴブリン族よりも遙かに強力で邪悪な魔物たちが暮らす荒れ地が広がる。南西からリフェティを目指すチーグたちがこの地を通るのは、かなり無駄な遠回りをすることとなり、物理的には不可能だ。
よって、〈岩門〉を塞がれた時点で、チーグの王国への帰還は難しいものと思われていた。
「兄上は南のダネガリスの野を通る」
空気を求めあえぐような弱々しさを含んだ声が、ランタンの灯りに照らされた石造りの部屋に響く。ここは、地下に作られた宮殿の、第二王子バレの部屋だ。
「そのために、魔法使いの
そのささやきの語尾は、
ランタンの灯りが石壁に映し出れた影が、苦しそうに
その影と相対する影がもう一つ。
バレの咳が収まるのを待ってから、口を開く。
「……チーグの性格を考えれば、俺もそう思うぜ」
そう言って、影が揺れる。それは、笑いのためだった。
「しかし、まさかあんたが俺たちに情報をくれるとは、チーグもびっくりだろうな。バレ殿下」
「うん、そうだろうね」
弱々しい声が答える。
その声の主は、第二王子のバレであった。病気がちで寝込むことも多いバレは、自身が王位につく野心など持たず、兄である第一王子のチーグを
ゴブリンにしては色白で、気弱そうなその顔立ちは、
もう一方のゴブリンは、やぶにらみの目に左側の口元をゆがめるように上げるくせがあるダンという者だった。左側の牙が常に
ダンは
彼自身も、怠惰で、ずる賢く、労働よりも略奪を好む“古き良きゴブリン”を理想としていた。
「チーグを始末しても……今さら文句は言うなよ、殿下?」
歪んだ左側の唇がさらに大きくつり上がる。
「うん……だけど、放っておいても勝手に死ぬんじゃないかな?ダネガリスの野で」
そう言って再び咳き込む。
「いや、奴はそんなに甘くはない」
咳がやむのを待たずに、ダンは力を込めて言った。
「ダネガリスの野に入られたら、逆に手を出しにくい。その前に、始末する」
「……でも、どうやって?」
「古い友人がいるんだ」
ダンは自らに話しかけるようにそっと言った。
「ふうん、それはいったい、誰?」
「あんたは知らない方がいいだろう」
そういって、邪悪な笑いを浮かべる。
しばらく悦に入ったのち、くるりと背を向けた。
「じゃあな、チーグの奴が南から来ると教えてくれて、ありがとうよ」
「……僕を王にするという約束、忘れないでくれよ」
バレは弱々しいながらも鋭い声をダンの背に投げかけた。
ダンは、それを振り払うかのように軽く手を上げて見せた。
「もちろんだぜ……もちろんだとも」
そう言ったダンの表情を、バレは見ることができなかった。
主な登場人物(ゴブリン王国):
チーグ:第一王子。人間の文化に興味を持ち、本を読むことを好む。人間世界の知識を得て、帰国の途にあるが、それを快く思わぬ者たちに命を狙われている。
バレ:第二王子。身体が弱く病弱。面倒見の良いチーグを慕っていた。
ヨー:第三王子。チーグを廃し、自身が次の王になるという野心を隠さない。軍を率い、ゴブリン王国への正式な入り口である<岩門>を封鎖している。
ダン:保守的な有力氏族の次期氏族長。古き良きゴブリン文化を好み、人間の文化を持ち込もうとするチーグを敵視している。
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