17話 御前会議 後(ロイクside)


「閣下。トリベール侯爵家の主産業は、ご存じですか」

「は。たかが羊だろう」

「ええ。羊毛と綿花。それを元にした織物です」

「それがどうした」


 宰相と宰相補佐官の議論に、同席した全員が無言で聞き入っている。

 特に俺からどのような情報が飛び出すのか、興味と恐れが同伴しているような空気だ。


「非常に素晴らしい織物で、私の執務室の絨毯じゅうたんにも採用させていただいているんですが。先々代の国王陛下が大変気に入り、保護するよう王令を発したのはご存じですか。あの独特な模様の織り方……つまり設計図のようなものですね。これらはトリベールの織物ギルド所属の職人しか知らない、門外不出の技術です。それを隣国に渡すことになりますが……よろしいか!」

「!!」

「たかが織物ではないのです! 人材ごと国宝ともいえるものなのですよ、閣下。それを隣国の脅威に晒すと平気で仰る。それのどこが外交なのですか!!」


 謁見室が、水を打ったように静かになった後、国王陛下のうめき声が空気を揺るがし始めた。


「王国民を危険に晒しただけでなく……こく、ほうを……隣国へ、流すところだと。そう言うのか……?」

「その通りです、陛下」

「陛下! たかが織物ごとき!」


 唾を飛ばし激高するハルトムートに、俺は遠慮なく怒りをぶつける。

 

「織物ごときと仰るか!? 何十年もかけて練り上げてきた職人技を大切にせず、この王国の宰相を名乗るのですか!」

「国難だぞ! 伝統芸より王国民の命の方が大事だろう!」

「落ち着け、ふたりとも」


 国王陛下が立ち上がり、両手を上下に動かす。口を閉じ、椅子に座り直した俺たちを見てから静かに口を開いた。


「……ハルトムートよ。聖女を隣国へ嫁がせ、ジョクスの令嬢を将来の王妃に据えれば事は収まる。そう言っていたな?」

「は」

「太陽神教会の権威を渡すだけでなく、隣国の息のかかった者が王妃になる。つまり我が王国は、クアドラドの属国になるということだ」

「違いますぞ陛下! あくまでも一時的な」

「ならば、技術を渡し、人を渡し。その影響が一時で済む。その根拠はなんだ?」


 よくぞ聞いてくれた、とばかりに宰相閣下は胸を張る。

 

「攻め込む好機です!」

「なんだと?」

「聖女を返せと! これは、聖戦ですぞ陛下」


 国王陛下が絶句し、崩れ落ちるように椅子にどさりと腰を下ろした。額に手を当て、苦悩している。


 一方で、俺は内心、呆れ果てていた。

 隣国と手を結ぶと見せかけ、開戦の理由づけを目論もくろんでいたということが明らかになったからだ。

 灼熱の小国を手に入れたとて、ラブレー王国に一体何の利益をもたらすというのか。

 

「あの小国に、何があるというのですか。グライスナー卿」


 俺の疑問をそのまま口に出したのは、セルジュだ。地を這うような低い声は、彼らしくない。

 あえての家名呼びに、彼のいきどおりを感じる。


「何、と申されますと?」

「お互い民族も文化も異なる。仮に戦へ勝利し併合したとて、軋轢あつれきを生むだけです」

「国土を広げれば、国力が上がりますぞ」

「……」


 腹の底は見せない、と言われたようなものだ。

 セルジュもそれが分かったのか、口をつぐんだ。

 

「もはや手はない、か。ははは。まさか息子の婚約者を決めることが、開戦宣言になるとは思わなんだ」


 絶望にまみれた国王陛下の声を燃やし尽くすように、俺は手を天井へ向けて火の玉を生み出した。


「ロイク?」

「そうとは限りませんよ、陛下」

 

 その火を合図に、近衛がバン! と謁見室の扉を開く。開いた扉から頭に飾り布を巻いた、褐色肌の男がずかずか入って来た。


「人の伴侶を、勝手に決めないでいただきたいものだな」


 大胆不敵に笑う金髪の青年は、白い詰襟のチュニック姿で、足先がくるんと反り返った布の靴を履いている。

 琥珀色の瞳が、室内を一周見回してから――椅子に空きがない様子に苦笑している。


「われこそは、サマーフ・クアドラドである。さて、どこに座ったら良いかな?」


「サマーフ……? クアドラド王太子殿下であらせられるか!」


 セルジュが驚きと共に立ち上がり、自分の席に座るよう促した。


「うむ。そちらはもしかして、セルジュ殿下か?」

「ええ。遠路はるばる、ようこそお越しくださった!」


 すかさずボウ・アンド・スクレープを披露するセルジュに気を良くしたのか、サマーフはクアドラド式の立礼を返した。

 

「いやいや。フォクトにいる叔母おばの協力で、快適な旅だったぞ。そこの宰相補佐官に呼び出されたのには、驚いたがな。早く来ないと戦争になるぞと脅された。ハッハッハ」


 どさりと俺の隣に腰かける王太子からは、スパイシーな香水の香りが漂う。

 セルジュには俺の椅子をすすめた。俺はむしろ、立っている方が都合が良い。


「さて。さっきから扉の前で聞いていれば、勝手なことをゴタゴタ言っていたな? 俺は面倒な戦争なぞしたくない。聖女もいらん。バジャルドを引き渡してくれたらそれでいい」


 傲慢な笑みを浮かべる褐色肌の王子に向かって、宰相閣下は鼻で笑って見せた。

 

「貴殿がサマーフ殿下ご本人であるという証拠がございませんな」

「貴様、不敬だな。本国であれば即刻首を飛ばしてやるものを」


 サマーフが、ニヤリと笑う。


「俺がニセモノと判明したら、遠慮なくバルナバスの首をねろ。知っているだろうが、俺の従弟いとこだ。そうなればクアドラドだけでなく、フォクトとラブレー騎士団を敵に回すことになるけどな。ハハ、そしたらどうやって戦うんだろうな? ハッハッハ」

「ぐ」

「王位継承争いは本当だ。争いになるほど相手の戦力はないけどな。争っているフリをしている」

「な!」

「そこの宰相は、クアドラドの戦力を見誤っている。補佐官殿の方がよほど上手うわてだ。素晴らしい折衷せっちゅう案を出してきたから、乗ってやろうと思ってな」

「光栄です殿下。優秀な事務補佐の働きのお陰ですが」

「ああ、アルと言ったか」


 褐色肌の王子は末席にいるにも関わらず、覇気でもって謁見室の空気を掌握している。


「クアドラド王太子サマーフは、ロイクとアルの案に賛同する。協定に署名させてもらおう」

「いったい、何の話を……」


 戸惑う国王陛下を見たサマーフは、俺に傲岸不遜ごうがんふそんな笑みを寄越す。

 

「勇み足だったか?」


 俺は、それには苦笑するしかない。

 

「殿下。会議が長引いてしまい、大変申し訳ない。……陛下。クアドラドとの協定について、説明をさせていただきます。聖女や黒魔女を引き渡すことなく、魔術師団の入国を許可する必要もなく、ましてや戦争の必要もございません」

「!! それは、まことか!?」

「はい。私の優秀な部下たちのお陰で、魔術師バジャルドとジョクス伯爵家は、もはや何の手立ても講じることはできないでしょう」

「黙れロイク! 貴様には何の権限も!」


 激高する宰相に向かって、これまで沈黙を続けていた法務大臣が言を発した。

 

「黙るのはハルトムート、貴様の方だ。国益をなんと心得る。宰相罷免ひめん裁判にかけることを進言する」

「財務大臣としても、賛同します。さきほどの閣下の案で損なわれる国庫をざっと計算しましたがね。半年分の税が泡のように消えますぞ。つまり国が傾く」

「貴様ら……!」

「控えよ、ハルトムートッ。ロイク、説明せよ」

「は!」


 俺は国王陛下に最大限の礼をし、懐から協定の書かれた紙を取り出し、国王陛下とサマーフの前にそれぞれ置いた。

 アルの几帳面で丁寧な文字が見える。協定は、三条構成になっていた。横から国王陛下の紙に指を落としつつ、丁寧に説明をする。


「ひとつ。我が王国へ薬物を蔓延させた主導者である、魔術師バジャルドとジョクス伯爵家ダミアンの身柄を、サマーフ殿下に引き渡すことに全面協力する」

「ダミアン、とは」

「ジョクス伯爵家の長男です、陛下。ちなみにホルガー殿のお力により、既に身柄拘束しております」


 ホルガーは、にやりと笑って右手を軽く挙げた。

 

「なんと!」

「ふたつ。香料であるバニラの風評被害回復にラブレーは尽力する。……薬物に使われてしまいましたが、本来は菓子などの風味付けに使用する、素晴らしいものです。私も好きでよく食べます」


 これには、サマーフが笑顔で頷く。

 

「みっつ。トリベール織物を、クアドラドへ輸出する。これまで王国内にのみ流通していましたが、以前から売って欲しいと打診があったもの。黒魔女の生家とクアドラド王家との繋がりを持つことで、クアドラド魔術師団を牽制けんせいする目的です。ラブレーとしても新たな貿易・商流によって経済が活性化します」

「ふむ」


 俺は、今一度室内を見渡した。


「戦争など、何も生まない。セルジュ殿下は聖女殿と結婚し、王国へ聖女の祝福が降り注ぐ。黒魔女の生家であるトリベールは救われ、新たな商売も成り立つ。クアドラドとの友好関係も維持できる。いかがか?」

 

 うんうん、と国王陛下が首を縦に振るのを見て、俺は確かな手応えを感じていた。だが、ハルトムートはめげない。


「バジャルドを確保できる保証もなく、ましてやジョクスはどうする! 黒魔女を制御できるとも思えんしな!」

「ダミアンを確保しています。そこから手がかりを辿っている。良いしらせはすぐに届くでしょう」


 すると、サマーフ殿下が半眼でハルトムートを見つめた。


「というか、先程から気になっていたんだがな。宰相とやら。中毒がずいぶん進んでいるな? 治療しないと死ぬぞ」

「!」

「……なにを、言うかぁ!」


 激怒して目を見開くハルトムートの眼球は、真っ赤に充血している。

 

「近衛っ!」


 俺が叫ぶまでもなく、部屋の不穏な空気を察知した数名の騎士が、飛び込んできた。


「ハルトムートを、拘束せよ!」


 動揺する国王陛下に代わり、毅然きぜんとセルジュが叫ぶ。

 

「へいかあああああああああぁぁぁっ!!!!!」


 両腕を両脇から押さえ込まれたハルトムートは、口から泡を吐き出しながら暴れ回り、部屋の外へと連れ出された。怒号が、遠のいていく。高位貴族といえど、王の前で不敬を働けば、近衛権限で収監できる。


「なん、と」


 呆気に取られる国王陛下に向かって、サマーフ殿下は眉尻を下げる。

 

「見ただろう? 本当に恐ろしいものだ」


 俺は思わず、敬語を忘れた。

 

「なんということだ……宰相閣下自ら、薬物を! ……まさか、安定供給のため、クアドラドが欲しかったと! そういうことか! だが、バニラの匂いは感じなかったっ!」


 その問いには、サマーフ殿下がすらすらと答える。

 

「あれは使い続けると、依存性も欲する量も増える。香料を使わない、もっと純度の高いものを常用していたのだろう。判断能力も落ちるし正気ではいられん。となれば、あのような振る舞いもさもありなん、だな。それほどまでに恐ろしいモノを作ったバジャルドを、俺は許す気はない。……さあロイク、邪魔者はいなくなった。静かになったことだし、続けよう」


 俺は、慌てて思考を元に戻す。

 

「ええと……ジョクスと黒魔女については……良い解決策があります」


 一瞬目を閉じ、艶やかな黒髪で涼やかな目元の黒魔女を脳裏に思い浮かべると、あわ立った心が落ち着いていく気がした。

 

 俺の執務室の絨毯じゅうたんを見て、喜びにほころんだ顔。

 理知的で、職人技への造詣ぞうけいが深く気品もあり、聖女の傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いにも耐える理性。何より、この俺が女性とまともな会話をしたのは、何年ぶりだったか。

 

「……ジョクス伯爵家は、ダミアンの責を負わせ廃爵はいしゃく。私がアリサ・トリベール嬢と結婚し、トリベール侯爵家とクアドラドとの貿易のかじを取る。同時にジョクス領も治める。いかがか」

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