11話 宰相補佐官の憂鬱(ロイクside)


「ロイク様。こちらの書類の不備ですが、時系列の伝達工程そのものに欠陥があるかと。指揮系統と報告の流れに齟齬そごがあります。抜本ばっぽん的な変更を要求します」

「! それは宰相閣下へ稟議りんぎをかけよう。稟議書は」

「こちらに」

「……ああ。そうだアル、あの予算案だが」

「ロイク様のご指摘通り、誤りがありました。再計算しまして、修正案がこちらです。検算けんざん願います」

「助かる」

「それから、ニコが王宮中庭の警備体制に不備があると指摘を」

「あー、それは騎士団長へ稟議を」

「稟議書は、こちらです」

「……」

「ロイク様、ロイヤルミルクティーをお淹れいたしましたよ。添え物は、アップルパイです」

「ありがとう、ポーラ」

「はい!」


 

 ――快適すぎる……!



 ヨロズ商会から、宰相補佐官執務室付き事務補佐としてアルたちを採用して、数日が経つ。

 さすが小規模とはいえ商会を三人であきなっていただけはあり、言わずともかゆいところに手が届く働きっぷりだ。書類はもちろん、身の回りの世話やお茶菓子のタイミングまで、全てががっちりとハマるとはこのことか! とその快適さに毎日感動している。

 

 山ほど積みあがっていた書類はみるみる減り、今は過去の記録の整理にまで手を伸ばし始めた。


「おい、アル」

「はい?」

「文字や計算はもちろんだが、仕事の仕方はどこで学んだんだ?」

「えーっと、独学……です?」


 特に商会長のアルは、基礎学力だけでなく知識の豊富さや教養、応用力に目を見張るものがある。正直、商会長などという身分ではもったいない。すぐにでも文官として正式雇用をしたいぐらいだ。

 それと同じくして、彼の出自が気になった。なぜなら――


「今日はアップルパイですのね!」

「……またいらしたのですか、エリーヌ様」


 すっかり聖女であるエリーヌ・アゼマ男爵令嬢になつかれているからだ。きっかけは、教会に提出する成績報告書の内容を見てやったことだが、それ以来質問がある度に、こうしてこの執務室に来るようになった。貴族の慣例や所作にも造詣ぞうけいが深いことに、内心非常に驚いている。

 

「だってぇ……修行して疲れちゃったから……ここのお茶もお菓子も美味しいしぃ。それにね、あのね、アル。お手紙の書き方でね、ここどうしたらいい……?」


 書類確認をしていたアルは手を止め、眼鏡を人差し指でくいっと持ち上げると、テーブルに着いたエリーヌの脇から手元を覗きこむ。

 

「殿下のお茶会へのお礼状ですか。ええと時候の挨拶と」

「じこう?」

「ああ、お茶会というのは、交流の機会ですから。あの時このお花が綺麗でしたね、とか、あいにくの雨でしたが会話が弾んで、とか。その時の思い出を一筆入れておくと、楽しんでもらえたのだなと相手に伝わるでしょう」

「そっか! いちごが美味しかったの」

「食べ物をいきなり書くと、下品ですから。天気やお庭の様子を書くことをお薦めしますよ」

「んーとんと……あの赤い花、なんだったのかな……」


 彼はすっと本棚に近寄ったかと思うと、一冊の分厚い本を取り出し、元の位置に戻る。

 

「草花図鑑なら、こちらに」


 すっかり執務室にある本の種類や位置まで把握しているのだな、と感心した。

 

「! ありがと! ごめんね、わたくし、頭が悪くて」

「いいえ。頭が悪い方というのは、説明しても分からない方のことです。エリーヌ様は、全て覚えていってらっしゃる。学んでいなかっただけですよ」

「!!」

「使って覚えて、分からなかったら調べればいいんです」

「うん!」

「素直でいらっしゃるのは、とても素敵なことですね。殿下もお喜びになることでしょう」

「がんばる!」

 

 いつも憂鬱な顔で歩いていると噂の聖女が、薔薇色の頬で嬉しそうに微笑む。

 セルジュの婚約者になれという教会の圧力が非常に大きかったことを、ここでの雑談で初めて知った。

 アルはその気持ちに寄り添い、周囲ではなくエリーヌ本人がセルジュをしたっている事実を大切にすべきだ、とこうして話を聞いてやっている。


 それから、もう一人入り浸るようになった人物がいる。


「お、アップルパイだ!」

「またいらしたのですか、バル様」

「おう、ニコ! 今日こそ手合わせ願おう」

「お断りします。痛いのは嫌いです」

 

 扉を開けて出迎えた、ふわふわの天然パーマで薄茶色の髪の好青年が、とび色の瞳を伏せて困った顔をする。

 上司として、助け船を出してやろうと口を開いた。

 

「バルナバス。ニコを困らせるな」

「ぐぬぬだってなぁ」


 ニコの所作から只者ではないと察したバルナバスが、こうして性懲りもなく訪ねてくるのだ。

 

「俺には、相手の歩き方で大体の強さが分かるっていう特技があるんだ。ニコは、相当強い」

「ハズレです」

「逆にアルは……ほんとに男か?」


 本棚の前で資料を探していたアルが、心底嫌そうな態度をする。

 

「はあ? どうせこの通り華奢ですよ、すみませんね。まったく騎士って無神経な生き物なんですね」

「げげ。そう怒るなって。とりあえず、俺にもアップルパイ!」


 ポーラが苦笑しながら、バルナバスを見上げる。

 

「バル様、お飲み物はチャイになさいますか?」

「気が利くなぁポーラ。そうしてくれ!」

「かしこまりました。お座りになってお待ちくださいませ」


 上機嫌になったバルナバスがどかりと座った応接テーブルでは、アルに礼状の書き方を教わり終えたエリーヌが、綺麗な所作でティーカップを持ち上げていた。

 細かな仕草に気品を持たせられたら一層素敵ですよ、とアルに言われてここで練習している。その成果が出ている。


「エリーヌ嬢、今の飲み方はよかった」

「ほんと? 嬉しいっ!」


 公爵令息でありセルジュの側近でもある俺が褒めれば自信に繋がる、とアルに頼まれて声を掛けるようにしたら、なぜかこの部屋にいる全員の体調が良くなるのだ。疲労回復、気力充実、である。

 部屋の端でオーブリーが「わー! 聖女の祝福だ~すごーい」と口の周りにアップルパイの食べかすをくっつけたまま、笑っている。

 なるほど、聖女の恩恵だったのか、と腑に落ちる。

 

 温かい空気と、談笑に満たされた部屋。

 皆の様子を見ているだけで、胸の中まで、ぽかぽかと暖かくなる気がする。――アルがいなければ、こうはならなかった。


「ロイク様? 何か問題でも起きましたか?」

「ん? ああ、いや」

「そうですか。何かあればいつでも」

「ありがとう。アル」

「……どういたしまして」

 

 俺自身「ありがとう」を言う回数が、格段に増えたことを実感する。

 今までの人生よりも、この数日で言っている回数の方が上回るに違いない。


(これが無くなったら……)

 


 冷えた執務室の空気の中、理不尽な要求やはかりごとに孤軍奮闘していた過去を振り返ると、うすら寒い思いがした。



(……憂鬱だな)

 

 

 にぎやかな応接テーブルを眺めながら、執務机でロイヤルミルクティーを飲む。その脇では、アルが綿密に書類のチェックをしながら、意見を言ってくれている。

 この時間を楽しんでいる自分に、自分でも驚いた――

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