9話 冷たい宰相補佐官


 結局お茶会は、お茶を少し飲んで解散となった。セルジュの話では、エリーヌは勝手に来たという。アリサは呆れすぎて会話を弾ませる気にならなかったし、エリーヌはエリーヌで不貞腐ふてくされている様子だった。

 

 その後で、有無を言わさない態度のロイクに連行されるように、アリサは王宮内へとやって来ていた。オーブリーも来い、と同行してもらえているのが救いだが、正直何を言われるのやらとビクビクしている。

 

 広大な中庭から北に向かった奥には礼拝堂や歌劇場があり、さらにその奥に王族の居住空間である奥宮がある。

 中庭を挟んで西が騎士団本部や厩舎きゅうしゃだ。

 大広間とその奥の謁見の間を挟んで東にあるのが、政務を執り行う各省である。宰相とその部下の四大大臣(行政、法務、外務、財務)がいるのはこの東の建物であり、ロイクの執務室もそのようだ。


 アリサがキョロキョロしながらオーブリーと共にロイクの後ろをついて歩くと、すれ違う様々な騎士や王宮役人が、ぎょっとした顔をする。なぜだろう、と思っていると、オーブリーが耳元で「黒魔女は黒髪黒目って有名だから」と呟いたので――思わず口がへの字になる。


「入れ……そんな不服そうな顔をするな、すぐ終わる」


 それをロイクには、勘違いされてしまったようだ。


 開かれた扉の奥には、焦げ茶色に塗られた重厚な執務机が見えた。上に、尋常でない量の書類が乗っている。

 その書類の山は、手前の応接テーブルまで浸食しているようだ。執務に忙殺されているのは、嘘ではなかったらしい。


「散らかっていてすまないが、そこに座ってくれ」


 ロイクの姿を認めると、部屋付きの侍従とメイドがお茶の用意を始めた。


「お構いなくですわ」

 

 三人掛けソファの、執務机に一番近い場所に腰かけると、ロイクはその正面にある一人掛け椅子に座り、オーブリーはアリサの左隣に座った。

 ロイクの背中側の壁には、暖炉と凝った装飾の置時計、脚付きチェストが並ぶ。どれも非常にシンプルだが、彫り細工が凝っていて、飴色の塗装がされている。絵画などの華美な装飾品はない代わりに、銀細工のキャンドルスタンドや花瓶と生け花など、さすが公爵家、品の良さを感じられた。メイドに持って来られたティーセットも金彩入りの白磁のもので、派手な色どりでなくともソーサーの凝った曲線などで、非常に高価なものだとわかる。


「なんだ」

「ああいえ、素敵な家具や食器だなと見惚れておりました」

「地味だろう?」

「そうは思いませんわ。どれも腕の良い職人技を感じます」


 曲がりなりにも、商会長である。経験が浅く素人だが、将来は目利めきききできるよう色々勉強中なのだ。


「特に、足元の絨毯。我がトリベール織を採用いただき、感謝申し上げます」

「いや。たまたまだ」


 手を振って人払いをした後で、アクアマリン色の鋭い瞳がアリサを真正面から見つめ、やがて額のあたりを見つめる。


「前置きは省く。

「……本当に、知りたいですか?」

「どういう意味だ」

「わたくしは、皆様の噂通りなら『黒魔女』です。呪われるなどと、思わないのですか」

「俺に危険があるなら、オーブリーがとっくに止めているだろう」

「!」


 アリサが思わず左を見ると、オーブリーは、もさもさの後ろ頭で両手を組んでいるところだった。

 

「わあ~、そっか、それもそうだね!」

 

 アリサの心中は、「やられた!」だ。オーブリーを同伴することを、魔法への備えとしか思っていなかった。


「はあ……いたずらに人々を動揺させるのは、わたくしの望むところではございません」

「口外しないことを約束しよう」


 それでもアリサは、躊躇う。


「もし万が一俺が口外したら、呪い殺せばいい。それでどうだ」

「殺すだなんて、できません」

「はは。お優しいことだな」

「その代わり。ぶくぶく太る呪いを、かけてやります」

「!!」

 

 脳内に、ロイクの伯父であるヴァラン侯爵モーリスを思い浮かべた。恐らくロイクも同じだろう。あからさまな嫌悪感が顔に出ている。

  

「絶対に口外しない。絶対にだ」

「では。紹介させてください……ディリティリオ?」

『はぁ~い。やあ、ロイク』

「!?」


 アリサの頭上でウネウネと身を起こす赤目の黒蛇を見て、ロイクはさすがに絶句する。一方で、オーブリーは目を輝かせた。


「うわ~、可愛い!」

『ありがとう、オーブリー』

「なんなんだ、そいつは」

『失礼なやつだナ~』

「闇の精霊です。わたくしに、力を貸してくれますの」

「ディリ、ティリオ? というのか」

『そだヨ~』

「力を貸す、とは」

『アリサの魔力を食べて~、闇魔法する~!』

 

 言ってから、ディリティリオはアリサの頭頂にぽふんと顎を乗せてくつろぐ。


「闇魔法……」

『アリサ、自分でもいっぱいできるけどネ。オイラが助けたら、すごくなるんだヨ』

「……あくまで補助ということか」

『ウン。すぐお腹減るしネ』

「魔力を食べる、と言ったな」

『そだヨ~』


 オーブリーがわくわく顔をしながら手のひらに小さな火の玉を生み出すと、ディリティリオはそれを吸い込みモグモグした。


『おいし! でも火は苦手?』

「うわ、すごい! さすがよくわかるね。僕、水の方が得意なんだ。火はロイクの方が」

『へえ!』

「……こう、か?」


 ロイクが手のひらを上に向けると、そこへ真っ赤に燃える火の玉が浮かんだ。オーブリーのものと大きさは変わらないが、熱量が格段に多い。

 

『しゅるるるる~~~』


 ディリティリオが思い切り吸い込み、ロイクの火の玉をパクンと飲み込む。と――


『ヒィ~~~~~!』


 叫んだ。


「ちょっと! ディリ!」

『ごめんアリサ~、美味しくってイヒヒ~』

 

 頭上が見えなくても分かる。クネクネダンスをしているに違いない。


「なんだ、その動きは」

「可愛いね!」

『ロイクの火、おいし! すごい!』


 アリサは持ち上げた手で、ディリティリオの頭を撫でた。

 

「はい、もうおしまい。ね?」

『わかったよ~』


 大人しく髪の中に引っ込んだのを、手で確かめる。


「闇の精霊です。害はない、とは言い切れません。けれども、わたくしや彼が意図して人に害をなすことは、今までございませんでした」

「知っている。だがこれからもないとは言い切れまい」

「……はい」

 

 アリサは、膝の上でぎゅっと拳を握る。しばらく、沈黙が続いた。こち、こち、と凝った装飾時計の針の音が、部屋に鳴り響く。

 窓の外から、パパパパーッと閉門の合図であるトランペットが鳴るのが聞こえた。


「俺は……知らん」

「え?」

「そこに在るものを、知らん。だから判断しようがない」

「そう、ですね」

 

 頭ごなしに、邪悪なものだと排除しないロイクに、アリサは感謝する。

 下手をすれば監禁、もしくは投獄されるのではと身構えていたからだ。


「とりあえずは……そこに常にいるということは、分かった。もう良いぞ」

「……はい?」

「帰っていい」


 ふー、と深い息を吐くロイクは、アリサの返事を待つことなく立ち上がり、執務机に向かった。


「では、こちらにて失礼をさせていただきます」


 アリサも立ち上がり、彼に向かって軽く膝を折り頭を下げる。

 

「ああ」

 

 それには、頷きだけ返って来た。


「僕が、寮まで送るよ」

「ありがとう、オーブリー」

「いえいえ」

「……おい、ちょっと待て」


 ところがロイクは、アリサの言動が気になったようだ。


「呼び捨てとは。まるで以前からの知り合いのようだな」


 オーブリーとアリサは、同時に小さく「うげっ」と呟く。


「アリサ嬢。そいつは俺の幼なじみなのだがな。魔法ばかり勉強していて、女性に自ら近づくことはない。一体何をした?」


 立ち去りかけていたアリサは、眉間にしわを寄せるロイクを振り返り、微笑んで見せた。

 

「オーブリー様は、闇魔法に非常に興味がおありですの。ですから、学院でお話をさせていただいておりましたのよ」

「うん、そうそう。そうなんだよ!」

「ほう」

「闇魔法って奥が深くてさ~! 光は治したり照らしたりって割と単純なものだけど、闇は狂わせたり毒だったりだけじゃなくて、無効にしたり吸い込んだり。ほんと研究を重ねないと全容が見えてこない分野だなって分かってそれでね」


 オーブリーの怒涛の口撃こうげきに、さすがのロイクもたじたじになったようだ。ついには、両手を挙げた。

 

「もういい、わかった」

「アリサ嬢は、大丈夫だよ!」

「……わかった」

「では、ごきげんよう」


 

 ――そうして執務室を出て廊下を歩きながら、アリサとオーブリーは深く深く息を吐いた。


「はあ~緊張したわ~! なんとかなったかしらね……」

「いやもう、僕まで緊張したよ!」

「オーブリーも!?」

「すんごいキレ者だもん。それにしても、あんなに冷たい態度なのに、よく平気だったね。怒ってない?」

「え? 冷たかったかしら?」


 アリサは首を捻る。非常に理性的で理路整然としているから、むしろ話しやすいとさえ思っている。


「アルも変わってるね。いっつもああいう態度だから、ご令嬢たちみんな怒って帰っちゃうのに」

「え、そうなの!?」

「だから婚約者も決まらないんだよ~。あ、これ内緒ね!」


 ロイクの意外な事情を知って、複雑な心境になった、アリサだった。

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