8話 王宮中庭、ガゼボ事件


 翌早朝のヨロズ商会。

 寮監へ出してある外泊届もそろそろ期限が切れる、と学院寮へ戻るための荷造りをしているアリサを、オーブリーが訪ねてきた。

 

「オーブリー? 今なんて言ったの?」

「今日授業の後、一緒に王宮へ行こう、って言った」

「なんで?」

「だから、セルジュ様が、アリサ・トリベール嬢とお茶したいって言ってるんだってば」


 昨夜の余韻で全く眠れていなかったアリサは、何を言われても頭に入らず、そしてそのことについイライラしてしまう。

 

「だから、なんでよ!」

「知らないよ~。僕、殿下に送り迎え頼まれただけだもん」

「……」


 しまった、八つ当たりしてしまった、と思うものの、思考が全く働かない。休日出勤が続いた後は、どうやってメンタルを回復させていた? エナドリ? と文字通り前世へトリップしてしまう。

 

「荷物ってその鞄だけ? 馬車、待たせてあるよ。今から寮に戻れば、授業に間に合うでしょ」

「……ありがとう?」

 

 朝一番の乗合馬車を使おうと思っていたアリサは、その申し出をありがたく受けることにした。

 夜が明けたばかりの薄暗く寒い空気の中を、ひとりで歩くのはさすがに心細いと思っていたからだ。


「ほんっとなんていうか、無茶だよね、アルって」

「そうかしら……」


 馬車の中の空気も冷たい、と思っていたら――オーブリーが手の中に、小さな炎を生み出した。じんわりと暖かく優しい光に、癒される。

 カッコ、カッコ、と馬のひづめが石畳を蹴る音が、静かな街並みに響く。


「侯爵令嬢が、こんな暗い中ひとりで歩いて、乗合馬車で帰るとか。ありえないんだってば」

「あはは~」


 前世では終電で帰るの割と普通だったしなと思いつつ、そういった感覚が狂っているのを改めて自覚する。

 

「ディリティリオがいるにしても。危ないよ」

『ふあーあ。あぶないヨー』

「……そうね」


 アリサが昨夜の出来事を思い出していると、意を決した様子でオーブリーが口を開いた。


「サロンで、なにがあったの」

「……ごめん。まだ頭がごちゃごちゃしてて。ちゃんと整頓してから、話させて」

 

 ダミアンの存在が、ずしんと重石おもしのように心にのしかかっている。

 もう少し冷静になり、夕方ニコと相談してからでないとうまく話せない、とアリサは唇をぎゅっと噛みしめる。

 

「そっか……とにかく無事でよかったよ」

「!」


 オーブリーがアリサを心配して、様子を見に来てくれたのだとようやく気が付いた。

 第一王子とのお茶会の件は、彼なりの口実だったのかもしれない。学院で会った時に言われても、十分間に合ったはずだ。

 

「ごめんね。ありがとう、オーブリー」

「いえいえ」

 

 昨夜眠れなかったアリサは、ほんの十五分だけだが、馬車の中でぐっすりと眠ることができた。

 



 ◇



 

 王宮中庭のガゼボ周辺に降り注ぐ、昼過ぎの太陽光は暖かい。

 軽く膝を折り頭を下げ目線を伏せるアリサを、ラブレー王国第一王子のセルジュは微笑みで歓迎した。


「ごきげんよう、アリサ嬢。良く来てくれたね」

「ご機嫌麗しゅう存じます、殿下。お招きいただき、誠にありがたく存じます」

「こちらこそ。突然のお誘いで申し訳なかったね。同級生なのだから、楽にして」


 形式通りの挨拶をつつがなく行ったアリサの背後からは、不満が垂れ流されてきている。

 

「殿下のお茶会に、制服でいらっしゃるだなんてぇ」


 振り返ると、ガゼボへ通じる白い石畳から跳ね返ってくる日光が、聖女のピンクブロンドの髪をこれでもかと輝かせている。


「……課題を提出していたら、着替える時間がなかったのです」


 頬を膨らませるエリーヌが体の前で組んだ両腕で、豊かな胸が盛り上がっている。髪色に合わせたと思われるピンク色のドレスは、胸元が大きく開いていて、申し訳ないが無駄にそこへ目線が行ってしまう。

 

「良いじゃないか。我が学院の制服のデザイン、私は好きだよ」


 ネイビーのショート丈ジャケットに、同色でくるぶし丈の緩いフレアスカート。白いブラウスには、ネイビーのリボンタイを結んでいる。

 貴族学院になぜ制服があるのかアリサにはさっぱり理解できないが、恐らくは太陽の女神テラが、月の女神ナルの世界――現代の地球――を真似ているのだろうと全能神ゼーは言っていた。はじめは、テラはナルに憧れ、様々なものを真似していたらしい。


「アリサ嬢?」


 また前世のことを考えてぼーっとしてしまった。

 最近、こういったことが増えている。大いなる試練が迫っているからかもしれない、とアリサは自分に言い聞かせる。

 

「失礼をいたしました。服装が適切でなければ、下がらせていただきたいと考えておりました」

「その必要はないよ」

「ありがたく存じます」


 エスコートされ、用意された席に着く。

 一方のエリーヌは、勝手に座っていた。あまりにもこれは、よろしくない。


「エリーヌ様」

「なに?」

「……我が国においては、爵位と言うものが非常に重要視されております」

「なによ、わたくしが男爵令嬢だからって、馬鹿にしたいの!?」

「いいえ。将来王太子妃になられるのであれば、女性貴族と殿下とのご関係を補助されるのもお仕事では。振る舞い一つでご機嫌を損ねては良くない方も、お茶会には多々いらっしゃいます。これは、その予行練習ではないのですか?」

「っ」

「アリサ嬢、私の婚約者はまだ決まっていないし、王太子にもなっていないよ」

 

 微笑むセルジュが、心底困った、という態度でアリサの向かいに腰を下ろす。その背後にはいつの間にか、側近のバルナバスとオーブリーが立っていた。


「でもありがとう。エリーヌ嬢には、少し自覚をしてもらえたかな」

「殿下!?」

「愛と太陽の女神テラは、自由奔放。それは良い。けれども、それと我が国の王侯貴族の在り方とを履き違えてはいけないと私も思うよ」

「殿下は、黒魔女の味方なのですか!」

「貴族の味方だよ」


 エリーヌは涙を浮かべて、唇を嚙みしめる。


「アリサ嬢は、トリベール侯爵のご息女だ。相応の態度を取るべきだと言うのは、おかしなことかな?」

「潰れる寸前でしょう!?」


 それからキッとアリサを睨んできた。


「もうすぐ、貴族じゃなくなるし!」

「エリーヌ嬢っ!」

 

 この世界に生まれて十八年という月日は、短いかもしれない。それでも、懸命に歯を食いしばりながらここまで生きてきた。

『聖女』という才能を持って生まれ、何不自由なく生きてきた彼女にそれを想像しろと言うのは、酷なことだろう。それでも――この侮辱には耐えきれそうもない。


「殿下。申し訳ございません」


 す、とアリサは静かに立ち上がり、今度は最大限のカーテシーの姿勢を取った。


「気分がすぐれませんの。こちらにて失礼をさせていただきたく、お許し願えますか」

「……黒魔女ともあろう者が、ずいぶん殊勝なことだな」

「!!」


 聞き覚えのあるバリトンボイスに、アリサは思わずバッと顔を上げた。

 

「殿下、遅れて申し訳ない」

「遅いぞ、ロイク」

「執務に追われておりまして」


 ヴァラン公爵令息で宰相補佐官のロイクが、アリサを悠然と見下ろしている。ベルベット素材でネイビーのテーラードジャケットに、同じくネイビーのアスコットタイ。王宮からそのまま来たであろう恰好だ。

 アリサが、男装でない素の姿でロイクと会うのは、実はこれが初めてだ。突然のことに動揺してオーブリーを横目でそっと見ると、いたずらっぽく微笑んでいる。あえて黙っていたのか、いじわるめ! と心の中で悪態をついた。


「で。アリサ嬢は侯爵令嬢なのだから、言い返せばいいだろう」


 アリサが反応するより先に、エリーヌが叫ぶ。

 

「ちょっと!」

「非常識で頭の足りない男爵令嬢に好き勝手させて、何になる?」

「ひどいー!」


 氷の刃のような言葉にいちいちグズグズするエリーヌの態度が、だんだん面白くなってきた。

 

「俺の発言は、おかしいか?」

「ええ。聖女様は、何よりも尊ぶべき存在ではないのですか」


 どかり、とロイクは尊大な態度で席に座り、アリサを睨むように見上げる。


「一歩国外に出たら、どうだろうな。王太子妃、ましてや王妃として外交できると思うか? コレが。俺が宰相になるなら、非常に憂う問題だ」

「あー、ロイク、分かったから」

 

 慌てて場をとりなそうとしたロイヤルを、じとりとアクアマリンの瞳が射抜く。

 

「殿下のその悪癖も、直してくださいませんかね」

「げっ」

「アリサ嬢、気を付けろ。こいつは女性の涙を見て喜ぶ変態だ」


(ええ!? つまり、ドSってこと!?)

 

「ロイ!?」


 セルジュが、珍しくその穏やかな表情を崩して焦っている。図星か、とアリサは判断した。

 

「……そういうことでしたか。ではわたくしは、エリーヌ様をいじめ抜いた方が良いということですね」

「そういうことだ。それを見たくて、こういうことをしている」

「ロイッ!」

「なるほど。納得いたしました」

「アリサ嬢!?」

「エリーヌ様。というわけで、殿下の前ではいじめることにいたします」


 アリサは、ニタァと笑いながら黒い霧をじわじわと足元から発生させた。

 

「ひ!」


 顔がひきつるエリーヌの一方で、セルジュの背後にいる側近はそれぞれの反応を示している。

 

「おいおい。また目つぶし喰らいたくないぞ!」

「あはははは! ひーーーーー! おもしろすぎる!」


 特にオーブリーは、笑いすぎかもしれない。


「ねえロイ、どうするのこれ? 収拾つかないんだけど」

「知りませんよ、殿下」


(冷たいっ! でも、知ってた!)


「エリーヌ様。というわけで、今後は遠慮いたしません。どうぞよろしくお願いいたしますわね」

「いやああああああああああああああっ!!」


 中庭に前代未聞の女性の悲鳴が響き渡ったため、近衛騎士たちが大慌てでガシャガシャ走って来た。

 

 セルジュはテーブルに両肘をついて頭を抱えていたし、バルナバスは「問題ないです、悪ふざけでして」と言い訳するのに必死な横で、オーブリーは「お腹よじれるううううう」とずっと笑っていた。

 

 この世の終わりのような真っ青な顔をしたエリーヌを、さてどうしたものかなとアリサが「にたぁ」顔のまま考えていたら――


「その、頭のはなんだ?」

「!」


 ロイクに、ディリティリオが見つかってしまった。どうやら、こらえきれず髪の中で笑っていたらしい。

 

「あー、えーっと、そのー……ここでは、その」

「わかった。あとで聴取する」


 お茶会後、宰相補佐官執務室へ連行されることになった。

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