閑話 ヨロズ商会


 ――二年前。

 アリサが王都を訪れた、ある日の昼のこと。

 

 

「返しなさい」

「ちっ」

「ごめ、ごめんなさい」


 侯爵令嬢がひとりで街を歩くなど考えられないことだが、アリサはよく王都のメインストリートを散策していた。

 経済的に余裕はないため護衛や付き人はつけられず、普段は寮暮らし。おまけに現代日本人の感覚であるからか、なんとも思っていなかったのである。


「すぐに返せば、罪には問わない」


 王都から離れた侯爵領にいる両親へ手紙を書こうと、便箋びんせんを買いに来たアリサは、細い路地を無防備に歩いていて若い男に財布を


 すぐに気づきをすると、顔面を蒼白にしたその男は命乞いをする。


「こいつだけは、助けてくれ」


 提案する彼の腰にしがみついていたのは、アリサとそう変わらない年齢に見える小柄な女の子だ。

 当の本人は、離れることを拒絶するかのように頭を横に振っている。


「だめ。ふたりで協力してやってるんでしょう?」

「くっそ」

 

 女の子が道で転んだフリをして同情を買い、目線を奪っているうちに青年が財布をる。

 ふたりでひとつのチームだというのはすぐに分かった。

 

「っ……」

「ぐす、ぐす」

 

 ふたりを襲った闇の魔法が、命乞いするほどの恐怖を与えていることに、アリサは胸を痛める。咄嗟とはいえ人に『使おうと思って使った』のは初めての経験であり、やはり自分は悪役なのだ、と実感してしまったからだ。


「私は、闇魔法使いなの」

「は?」


 うぞうぞと、ふたりの足元に黒い影が集まっていく。


「だからか、黒魔女って呼ばれているようね」

「くっそ。貴族で魔女だなんて! そんな裕福なやつらのせいで、俺らは」

「うわーん!」

「全然裕福じゃないわよ。うちの家、お金なくて雨漏りそのままよ? 伯爵家に多額の借金してるし」

「は?」

「貴族令嬢だからって、見知らぬ男へ嫁に行くの強制されるだろうし。不幸すぎる」

「へ?」

「お金もないのに、爵位持ってたってね~なんの役にも立たないよ」

 

 ぽかんとしていた彼が、眉尻を下げる。


「なんだよ……変な奴。ほら、返すよ」


 ぽん、と布の財布を投げてよこす。

 頭の回転が速い証拠だと、アリサはその聡明さに目を細める。


「ありがと。代わりにさ、用心棒頼んでいい? 一回につき、銅貨一枚でどう?」


 彼は、いよいよ笑い始めた。

 

「ぶふ。二枚って言いたいけど、その財布の重さじゃ無理だな」

「そうなのよ」

「いいぜ。こんな小汚い格好で良ければな」

「やった! 明日同じ時間に、またここで会お? えっと名前は」

「ニコ」

「ニコ。私はアリサよ」


 アリサは、ニコの腰にしがみついているままの女の子へ、そっと銅貨を一枚差し出した。

 恐る恐る出された手を、両手でしっかり握って、目を見て渡す。


「これ、前金よ」

「!」

「はあ。こいつはポーラ。取引成立だな。分かった」


 

 翌日、約束通り王都の路地裏でアリサと落ち合ったニコとポーラ。

 予め手に入れていた古着を手渡し、その場ですぐに着替えてもらうと――身なりを整えるだけで、立派な従者とメイドになった。アリサが見込んだ通り、ふたりの見目はかなり良い。

 

 ストリートキッズなふたり相手なら何を言ってもまあいいか、という気のゆるみでもって、アリサは歩きながら家のことを少しだけ愚痴った。もちろん固有名詞には触れず、主に怪しげな出資契約について。

 

「ん~……いくらなんでも、それは怖いな」

「だよね! 私、一人娘だから余計」

「なあ。まさかだけど。先方に未婚の男、いる?」

 

 ニコの問いに、虚を突かれた。


「え? 独身男子……確かにいるらしいけど」


 ジョクス伯爵家には、男女ひとりずつ子供がいることは聞いていた。

 上が兄で、下が妹。妹の方は、アリサの一歳上で学院で見かけたが――いかにも高慢な貴族令嬢、といった雰囲気だったため一切近寄らないようにしていた。

 

 ニコの口が、への字になる。


「……そいつ、なんて名前? もちろん、誰にも言わないって俺を信用してくれたらだけど。知りたい」

「えっと確か、ダミアン? ダミアン・ジョクス」

「ふーん。今日の買い物は便箋びんせんだけ? 次の仕事はいつにする?」

「うん。えっとじゃあ、毎週同じ『の日』って、どう?」


 日風水火月金土ひかぜみずかつききんつち、で七日巡る日のうちのひとつを、指定する。


「わかった。また次の火の日。三の鐘の時な」


 ニコが目をきらりとさせて、頷いた。




 ◇


 


「俺の勘が当たっちゃったよ、お嬢様」


 翌週再び会ったニコが、会うなり苦笑しながら告げる。


「え?」

「ダミアン・ジョクス。サロンと娼館の常連で金遣い荒い乱暴者って有名」

「ええ!?」

「賭け事でできた借金踏み倒してるけど、将来侯爵になるのが決まってる、って言い触らしまくってるらしい」

「ちょちょちょ、ニコ!?」

「王都の路地裏で生きてるからね、俺ら。情報は金になるんだよ」


 

(ちびっこギャングだった!?)

 


「あ。俺こう見えて、あんたよりだいぶ年上だよ。よく童顔って言われるけど」

「うっそお!」

「あんた、だいぶ危なっかしいよ。一人歩きするし、家の秘密は喋るし。だからこれは服の礼と忠告」

「……ちょっと泣きたくなってきた。泣いていい?」

 

 ポーラが黙って両腕を広げたので、抱き着いて、遠慮なくわんわん泣くアリサ。ニコが横から、その背中を撫でる。

 アリサは、ニコの憶測は正しいと確信した。

 借金の利息回収にしては、大掛かりなことだと前から思っていたからだ。金だけでなく、ダミアンを婿入りさせて侯爵家を乗っ取るのが目的と言われれば、腑に落ちた。


 それぐらい、この国で『侯爵』という地位には価値がある。なぜなら、王族と関わるには侯爵以上の地位が必要という慣例があるからだ。まつりごとあきないでもって王宮に入ろうと思うと、まず侯爵の推薦や口添えが必要になる。


「ぐしっ、ぐすっ。契約内容を即刻確認したい……でも領地に帰るお金も理由もないし、契約書は見せてくれない……学院に通わないとだし」

「十八になるまであと何年ある?」

「二年」

「それまでに借金返し終わったら、どうだ?」

「無理よ! 破棄条件が盛り込まれてるかどうかも怪しいもの! 商売するにも、莫大な資金がいるし、なにより、女じゃ……」

「まあ、そうだよなあ」


 アリサは学院に入学してからも、ひたすらに身を潜めて平和に過ごしてきた。

 悪役にはならないと誓い、家の復興だけを考えて真面目に生きてきたのに――どうしてもこの世界は、私を不幸に陥れたいのだ。あの女神め! とマイナス思考と涙が止まらなくなった。


「ぐす、ぐす。せめて資金ゼロで始められる商売があれば……ずび。せっかくだし、ニコたちと一緒にできるような」

 

 それまでじっと話を聞いていたポーラが、口を開いた。


「アリサ様、良い人。アリサ様みたいな貴族が増えたら良いのに」

「ポーラ!」


 もう一度、ひしっと抱き着いたらくすぐったそうな顔をされた。アリサはそれを可愛いと思うと同時に、いかに自分がひとりで寂しかったのかを悟る。それもそうだろう、今まではディリティリオしかいなかったのだ。

 

「ポーラはな、人の感情に敏感なんだ。あんたもそうじゃないのか?」

「私のは、。こんな可愛くないよ」

「そうだった……闇っ……」


 ふてぶてしい態度のニコでさえ、一歩下がる。それぐらい、この国では恐れられている力だ。

 

「そ。怖いでしょ」

「アリサ様は、怖くないよ」


 ポーラのまっすぐな目に、アリサの目からまた涙があふれそうになる。

 ニコは、バツが悪そうに後ろ頭をぽりぽりといた。

 

「あのさ……そういうのってさ、秘密とかにも鼻がくもんなの? 資金がなくても商売になるって、俺からしたら情報ぐらいしか思いつかない」

「ひみ、つ……」

「お貴族様でも脅迫してみなよ。ケケケ」


 意地悪な顔をしているニコに、アリサは目を輝かせた。


「やってみるわ!」



 そうして、第一王子セルジュの側近であるオーブリーに白羽の矢を立てる。


 王宮魔導士に内定している彼は、セルジュに近づく女子学生たちへ『実験』がてら忘却の魔法などを試していたからだ。実験といっても、貴族令嬢へ本人の許可なく魔法を行使することは、罪に問われる。女神テラの用意したシナリオのアリサは、その事実を悪用してセルジュに近づくが、今のアリサは側近のオーブリーに協力を願い出るという賭けに出た。

 

 魔法実験にのめり込むぐらいだ、きっと闇魔法に食いつくだろうという予想だったが、オーブリーは研究の対価として「この王国では、女性が商会長になることはできない。ならば男性のふりをしてみてはどうか。店の名義や建物は口利きをする」とまで申し出てくれた。もし侯爵家がうまくいかなかったとしても、商会長という身分があれば家族で生きていけるよ、と。

 

 アリサは商会の屋号を『ヨロズ』とした。万事や万端といった意味の前世の言葉であるが、愛と太陽の女神テラに対抗するため「八百万やおよろずの神様、助けてね!」という思いも込めている。


「オーブリー。無理はしないでね」

「うん。アルには心から感謝しているんだ。これはそのお礼だよ……僕、魔法のことしか考えられてなくて。恥ずかしいけど、暴走してた……殿下を誤魔化すのは大変だけど、商会を援助するのは楽しんでるんだよ」

『ぼーそー、ダメ』

「うん。もうしないよ、ディリティリオ」


 行き過ぎた探求心の結果、身を滅ぼしていく王宮魔導士の運命を変えたのは、今のアリサだ。

 ニコやポーラも、街の片隅で命を失うはずが、生き生きと働いている。もちろん本人たちはそれを知るよしもない。


 


 ◇



 

 それから二年後。

 ニコはおやつをモグモグと食べながら、敏腕と名高い宰相補佐官を、目立たない路地裏に停めてある馬車まで見送っていた。



「引退した人間をこんなにも使いまくるって。いい加減、他に人材いないんですか? ロイク様」

「優秀なだった男が商会にいるとあっては、使わんと損だろう」

「ちぇー。見抜かれた俺が悪いんですけどね」

「この王国は根まで腐っている。手を汚すのは、俺たちだけで良いだろう」

「過保護」

「お前もな」

 

 ニコは、馬車のステップに足を掛ける美丈夫を睨みつけた。


「あんたの幼なじみの魔法使いはどうでもいい。けど、アル様に何かあったら、許しませんからね」

「ああ。安心しろ。そうなった時は、俺も自分を許さない」


 ふんっと鼻を鳴らし、ニコは顔を逸らす。

 その無礼な態度を、むしろ好ましいと感じるロイクは、眉尻を下げつつ馬車に乗り込んだ。

 

「……言われなくとも」

 

 ロイクにとってヨロズ商会長のアルは、魔法を追求するあまりに、道を誤っていく幼なじみの暴走を止めてくれた、いわば恩人である。


「必ず、守る」


 馬車の中でひとり呟くロイクは、拳をぎりりと握りしめた。

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