おやど:03
しばらく布団の中で震えていると雨戸を揺らす音も聞こえなくなる。
甲高いヒィィィィイという音も聞こえなくなる。
男はハッ、となって天井を見る。
そこからあの黒い磯の臭いがする髪が垂れさがってきたような気がしたからだ。
だが、そんなことはない。
天井には何もない。
男は怖くなりテレビの電源をつける。
すぐに深夜番組が映し出される。
男はぼーとテレビを見ながら、風呂場で見た黒い髪はなんだったのか考え直す。
風呂場に入る前、ちゃんと天井も確認していたはずだ。
黒い髪の毛、それもあんなまとまった量の髪の毛などなかったはずだ。
それに「もし」という言葉だけを繰り返し言ってくるのも流石に変だ。
雨戸の外の甲高い音も、雨戸を揺らした存在も何もかもがおかしい。
男はいろいろ考えた結果、はやり幽霊の仕業だと結論づけた。
男にはそれ以外の理由がなにも思い浮かばなかった。
そんなこと男が考えていると、唐突にテレビの電源が落ちる。
ヒィ、と男は情けない声を上げ布団をかぶり、布団の隙間から辺りの様子を伺う。
男は布団をかぶったまま後退し、壁際まで来ていた。
消えたのはテレビの電源だけで、部屋の電気自体はついたままだ。
男はしばらく布団の中から部屋のなかの様子を伺う。
だが、脳裏には上から垂れて来たあの濡れた髪の毛が思い浮かぶ。
恐る恐る上を見る。天井を確認する。
そこには何もいない。
男が何もいなかったことに安心して視線を戻すと、そこにいた。
痩せこけ青紫の肌をした男か女かもわからない、死体のような、そんな存在が床に這いつくばり、顔だけを上げ、ぎょろりとした目を、濡れた波打つ黒髪の合間から覗かしていた。
男はそれと目が合った瞬間、意識がなくなる。
気が付けば朝だった。
雨戸の隙間から朝日が差し込んでいる。
男は部屋の隅で、布団にくるまった状態で目を覚ます。
部屋の電気もつけられたままだ。
男はまずは臭いを確認する。
生臭い臭いはしない。
部屋におかしいところもない。
しばらく男が頬けているとドンドンと、部屋の扉を叩く音がする。
「もう起きられました?」
と女将さんの声がする。
「あっ、はい」
と、男が返事をして扉を開ける。
男は不用心だったかもと思いはしたが、そこには昨晩見た通りの女将がいだけだ。
「す、すいません、昨晩五月蠅くしてしまって」
と、男が平謝りをするが、
「え? いえ、昨晩は部屋に案内して、すぐにお休みになられたのでは?」
女将は不思議そうな顔をして聞き返してきた。
そこで男は昨晩のことはきっと夢だったと思うことにした。
小料理屋をやっているということもあり、朝食は大変美味だった。
男は顔も洗わず歯も磨かずに民宿を後にする。
洗面所と脱衣所は同じ場所なのだ。
あのお風呂場に行くのが怖かったからだ。
ついでに、昨日男が訪れた場所は裏口で、正面入り口は小料理屋とすぐに分かる様な造りになっていた。
男は女将と料理人、恐らく女将の旦那に礼を述べ、多少色を付けてお金を支払った。
昨日の件があったのでこの辺りを見て回る気にもなれなかった男はすぐさま駅に向かう。
駅で昨日の駅員を見ることはなかった。
男は自分の家へと帰る電車に乗る。
まだ朝早いし休日でもある。
電車の中は男しか乗っていない。
昨日満足に寝れなかった男が電車の中で眠ろうとしたとき、ふと臭いがする。
あの磯のような生臭い、あの臭いが。
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