おやど:02

 男はすぐに部屋に通された。

 今からの食事は無理だが朝食は出してくれるとのことだ。

 それで三千円はえらく安い。

 ただこの時間からのお風呂は入らないほうが良いと言われた。

 男は意味が分からなったが、少し詳しく聞くと、

「出るんですよ、これが」

 そう言って中年の女性、女将とでもいうのか、その人は両手の甲をだして手を下げてそう言った。

 民宿で? と男はそう思ったが、どうやら民宿は副業で本来は小料理屋を夫婦で営んでいるらしい。

 またたまに男のように乗り過ごした人間のために民宿もやっているのだとか。

 ただ、いつの頃からかお風呂場にお化けが出るようになった、というのだ。

 女将の話では、特に今日のように生臭い風が海から吹く日は出るのだとか。

 男はその話が気になったので、入らないから見せてもらうことか可能か? と聞くと、それはご自由にと、ですが責任は持ちませんよ、との話だった。

 男は通された部屋で一息つく。

 すでに布団はひかれている。

 まあ、値段相応と言ったらそれまでだが、普通の一般家庭の部屋だ。

 それでも三千円で朝食までついてこの時間からでも対応してくれるのだから、男からしたらありがたい話だ。

 小料理屋をしているということで朝食に期待しつつ、男はさっそくスマホ片手に風呂場へと向かった。

 少し広いだけの、何の変哲もない風呂場だ。

 しいて言うならば、風呂の家具、椅子や風呂桶が檜製でそれとなく雰囲気がある、といった程度だ。

 後は少し広いだけの風呂場で、一般的な家庭にある風呂でしかない。

 脱衣所にも風呂場にもおかしな点はない。

 今日はこの風呂場は使用されてないのか、風呂場の床も濡れた後すらない。

 浴槽にもお湯も水も張られてはいない。

 どこにお化けが出るのだろう? と、男はもう少し詳しく話を聞けばよかったと後悔する。

 しかし、まあ、こんなものだろう、と男は思い風呂場を後にしよとしたとき。


 ゴゴゴゴゴゴッ、ゴボッ、ゴボッ、ゴボッ。


 と、排水口から音がする。

 そして、辺りに下水の臭いではなく、海のような、磯のような生臭い臭いが立ち込める。

 男は焦りながらもスマホのカメラを起動して動画を取ろうと排水口にスマホを向ける。


 その瞬間、男の視界に黒い物が垂れ下がってくる。

 それを男が、濡れた長い黒髪だと気づくまで、少しの時間を有した。

 初めはそれが髪の毛だとは理解できなかった。

 その髪の毛は、海のような生臭い磯の臭いを漂わせていた。

 それが上から垂れてきているのだ。

 何かが自分の真上に何かいるのは間違いない。

 だが、男は恐怖で上を見ることができなかった。

 男は慌てて、風呂場から逃げ出し、自分の部屋へと舞い戻った。


 そして、頭から布団をかぶる。

 がたがたと男が震えていると、扉をノックする音が聞こえる。

「もし、もし……」

 と、先ほどの女将さんの声で扉の外から話しかけてくる。

 騒いでしまったと、男は反省し、冷静になる。

 急いで部屋の扉を開けようとしたとき、磯臭い臭いが漂ってくる。

 そして、コンコン、と扉を叩き、

「もし、もし……」

 とだけ、声をかけ、また扉を叩き、声をかける。

 それだけを何度も繰り返している。

 男は入り口の扉から距離を取る。

 そして、女将さんの言う通りお風呂に行くのではなかったと後悔する。

 どうしたらいいか、わからず男が部屋の中で震えていると、扉を叩く音と声が聞こえなくなった。

 その次の瞬間、甲高い口笛のような音で、ヒィィィィイ、ヒィィィィイと外から、部屋の雨戸のすぐ外から聞こえて来た。

 そして、雨戸がガタガタと強い風でも吹くかのように揺すられる。

 男はどうしたらいいかわからずに、布団を頭から布団をかぶり振るながら朝を待った。




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