かがみのろうか
かがみのろうか
鏡、特に洗面台に取り付けられているような鏡は、後ろの方は割と床が見える。
どの洗面台の鏡もそうか、と問われるとそれはわからない。
少なくとも、その男が引っ越してきた部屋、その脱衣所にある洗面台に取り付けられた鏡はそうだった。
しかも、ちょっと変わった部屋の配置となっており、脱衣所は長い廊下の先にある。
そして、脱衣所にある洗面台の鏡に、その長い廊下が映りこむような配置になっていた。
古い物件だったのでそう言う今はあまり見かけないような配置の部屋もあるし、何よりそんな配置の部屋のせいか家賃が幾分か安かった。
男は鏡に映り出される長い廊下が少し不気味と思いはするものの、慣れれば平気だろうと思っていた。
実際、しばらくの間は特に何も起きることはなかった。
男は寝る前に洗面台で歯を磨いていた。
ふと鏡の中の自分を見る。
間抜け面の男がぽかんと口を開けて歯を磨いている。
その後ろには暗く長い廊下が続いている。
なんとなく不気味なので、明日からは廊下の電気をつけてから歯を磨こう。
男はそんなことを考えていた。
歯を磨き終わり、口を濯いで吐き出すために下を向き、そして、再び正面を向いた時だ。
鏡の中に自分以外の誰かが映りこんでいた。
男は一人暮らしだ。今日は泊まりに来ているような客もいない。
なのに、暗い廊下の先に、廊下を歩く下半身が映りこんでいた。
鏡の角度的に上半身は映っていなかったが、下半身はしっかりと映りこんでいた。
男は驚いて振り向くが、そこには誰もいない。
慌てて、鏡を確認する。
そこにはもう何も映りこんではいなかった。
男はもう一度振り返り廊下を見る。
もちろん、何者もいない。
廊下の電気を着け、何者かの下半身が見えたところを見に行く。
誰かがいた形跡はない。
泥棒でも見かけたのかと思ったが、そういうことでもない。
心臓が妙に脈打つのを男は感じていた。
その後、またしばらく何も起きなかったし、あれ以来、男は廊下の電気を着けて歯を磨くようになっていた。
ただ脱衣所の扉は折り畳み式の引き戸になっているのだが、立て付けが悪く開け閉めすると結構な音を発する。
男が夜に歯を磨く様な時間、毎日その引き戸を開け閉めするのは少し憚られていた。
電気を着けていても夜はこの長い廊下、それが鏡に映るのはやはり不気味だな、と男がそう思っていると、急に廊下の電気だけが消えた。
男がギョッとすると、はやり鏡の中に以前のように何者かの下半身だけが映りこんでいて、廊下を歩いている。
恐る恐る振り返ると、電気は消えているものの、何物もいない。
男が慌てて廊下の電気のスイッチを付ける。
電気はちゃんとつく。
もちろん、何者もいない。
それ以来、男は脱衣所の扉の音を気にせずに、必ず閉める様になった。
何かが軋むような、ギギギキィィィーーーーイという響く音も不気味ではあるが、男にとっては鏡に映る廊下の方が恐怖の対象だった。
また扉を閉めるようになってから、しばらく何もなかった。
その日もいつものように、男は寝る前に歯を磨いていた。
なんとなく鏡で後ろの扉を見ると、ゆっくりと、本当にゆっくりと引き戸が開いていくのを男は見てしまう。
慌てて男は振り返り、開きかけの引き戸を閉めた。
そして、鍵を掛けた。
ガシャン、ガシャン、と音を立てて引き戸を引く音がする。
男は扉を必死に押さえた。
それ以降、扉を開こうとするような動きはなかったが、男は朝まで引き戸を押さえていた。
そして、朝が来ると引越しを決意した。
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