vol.4 古代文明の女神


   [Ⅰ] 



 夜中、俺はイアティースに「ちゃんと探しておきなさいよ! 無くしたなんて承知しないんだから!」と、捨て台詞を吐かれ、会談を終えた。

 しかし、あれから幾ら探しても、あの美しいエンギルの書が姿を現す事はなかったのである。

 ここで2つの仮説が成り立つ。

 それは、気を失った時に、その弾みでどこかにいったという説。

 それともう1つは、力を使い果たしてエンギルの書が消滅してしまったという説だ。

 とはいえ、出てこない以上どうにもならないので、イアティースには謝って許してもらうほかないだろう。

 という結論に達したところで、俺は叔父さんの所へと向かう事にしたのである。

 窓のカーテンを開けると、外は雲一つない快晴で、ドライブ日和であった。 


「今日は車で、叔父さんの事務所へ行くかな。さて……とりあえず、着替えるか」


 俺は外出用の衣服に着替えると、愛車のスマートキーとスマホと財布をポケットに入れ、部屋を出た。

 そして、アパートの駐車場で青空駐車してある愛車の黒いコンパクトカーに乗り込み、俺は車を走らせたのである。

 ちなみに愛車はハイブリッドカーなので、小さい割りに静かで、燃費もすこぶる良い。

 遠出しても、余裕の燃料ゲージであった。

 取り回しもよく、荷物も意外と乗るので、重宝してるのである。


 話は変わるが、ここで叔父さんの紹介を簡単にしとこう。

 母の弟である叔父さんの名前は、風間清司という。年齢は48歳だ。

 今は俺が住んでいる所の隣の県に在住である。

 2時間ばかり車で移動しないといけないので、そこが面倒だが、まぁ仕方ない。我慢するとしよう。

 で、その叔父さんだが、実は風間行政書士・調査事務所という法人を経営してるのだ。

 名前からわかるとおり、もう思いっきり代書屋兼探偵業というやつである。

 風魔忍者の末裔らしい、現代の忍者とも言える職業であった。

 情報戦は現代も続いてるようである。

 俺も何回かお邪魔した事もあるので、場所は良く覚えているところだ。

 つか、最近も会社のゴタゴタで色々と世話になっているので、叔父さんと俺はそれなりに親密なのである。

 そして、そのゴタゴタが原因で、俺は会社を辞めざるを得なくなったのだ。

 まさに世知辛い世の中というやつである。

 というわけで話を戻そう。


「さて……叔父さんの事務所に行くのは、会社のいざこざ以来だな。あの時は、俺が調査をお願いする立場だったけど、今回は俺が色々と教えて貰わないとな……あの器について。でも……この魔法については秘密にしとこう。余計なトラブルになりそうだし……」


 俺はそこで包帯をぐるぐる巻いた右手に視線を落とした。

 火傷のように痛むので、今は軟膏クリームを塗って応急処置をしてあるところだ。

 流石に人に見せれない傷なので、こういう風にするしかなかったのである。

 見られたら最後、頭のオカシイ奴と認定される事は間違いないからだ。

 おまけに傷痕が残りそうなので、手袋をどこかで調達しなければと考えているところなのであった。

 しかし、後悔は全くしてない。

 傷痕よりも魔法を使えるというメリットの方が大きいからだ。

 これは男のロマンなのである。

 ついでに言うなら、ライトセーバーが欲しいところであった。

(しかし……本当に魔法が使えるなんてな。でもさっき、イアティースは妙な事言ってたよな。あまり使いすぎると身体から水が失われるから、ちゃんと水は飲むようにって……どういう事なんだろ。魔法使用で体内の水分がかなり消費するんかな。MagicPointならぬWaterPointって感じだったりして……まぁいいか、その辺の事は追々調べていこう……)

 などと思いつつ、俺はアクセルを軽快に踏んだのであった。



   [Ⅱ]



 2時間ほど車を走らせ、昼前になんとか叔父さんの事務所があるビルに到着した。

 事務所の扉を開くと、衝立のような間仕切りの白い壁があり、その手前には、ベージュ色の受付カウンターが置かれていた。

 ちなみに、今は無人である。

 間仕切り壁には風間行政書士・調査事務所のロゴが描かれている。

 以前、来た時と変わらない様相であった。

 俺はカウンターへと向かい、その上にある呼び鈴をチーンと鳴らした。

 すると程なくして、奥の間仕切り壁の裏から、40代くらいの女性が現れたのである。


「風間行政書士・調査事務所にようこそ。ん? あれ、耕助君じゃない。久しぶりね」


 この女性は事務員さんだが、叔父さんの奥さんだったりする。

 叔父さんと同様、行政書士の資格も持ってるので、色々とそっち方面の仕事も多いそうだ。


「どうも、お久しぶりです。清司さんはおられますかね。昨日、一応、連絡はしたんですけど」

「いるわよ。呼んであげるわ。所長~、耕助君が来たわよ~」

 

 その直後、ひょっこりと叔父さんは姿を現したのである。

 一応、業務中なので、叔父さんは紺のスーツでビシッと決めていた。

 テカテカの整髪料で髪をオールバックにしており、金縁眼鏡と口髭を生やした厳つい人相をしている。

 一瞬、その筋の人に見える叔父さんであった。

 ガタイもいいので尚更だ。


「おう、来たか、名探偵。久しぶりだな、親父の葬儀以来か」

「叔父さん、またそんな言い方する。俺は探偵じゃないっスよ」


 相変わらずのこの言い方である。

 この叔父さんは、いつもこんな事を言ってくるのだ。

 困ったもんである。


「何言ってんだ。名探偵みたいな名前のくせに。おまけに、この間は俺も手伝ったけど、お前さんの機転で詐欺組織の連中を一網打尽だったそうじゃないか。警察も、あの匿名通報には感謝してる筈だぞ。風の噂で、そんな話を聞いたしな」

「いや、まぁあれはねぇ……俺に災難が降りかかりそうだったんで、前もって露払いしただけですよ。お陰で、会社に居づらくなって、今は無職ですけどね。未だにあの時の判断が正しかったのかどうか、悩む時がありますし……」


 すると、叔父さんは少し罰が悪そうに、後頭部をポリポリとかいた。 


「まぁ……そうなんでも上手くはいかねぇわな。お前には災難ちゃ、災難だったし。ん? お前、手をどうしたんだ? 包帯を巻いてるけど……」

「ああ、コレですか。ちょっと熱いモノを触って火傷をしてしまいましてね」

「なんだ火傷か。気い付けろよ。どうせ、慣れない家事でもして火傷したんだろ?」

「まぁそんなとこです」

「やっぱりか。まぁとはいえ、1人暮らしも色々とあるから、そういう時もあるわな。さてと……そういや話があるんだったな。もう飯時だし、ちょっと表で話そうか」

「ええ、いいですよ」


 叔父さんはそこで、叔母さんに振り返った。


「じゃあ、ちょっと耕助と一緒に飯食ってくるわ。なんかあったらスマホに連絡くれ」

「はいはい、わかったわよ」

「じゃあ行くか」――


 そんなわけで、俺と叔父さんは外食へと繰り出す事となったのである。



   [Ⅲ]



 俺は叔父さんに連れられ、事務所の近くにある個室カフェみたいなところで飯を食う事になった。

 どうやらこの店は叔父さんの顔なじみの店らしく、ここで時折、お客さんと打ち合わせをする事もあるそうだ。

 叔父さん曰く、結構、プライバシーが守られているお店との事である。

 まぁそれはさておき、4畳ほどの洋風の個室に案内された俺は、そこに設置されているテーブル席のソファーに腰掛けた。

 続いて、叔父さんも対面に腰を下ろす。

 そして、適当に料理を頼んだ後、俺達は話を始めたのである。


「そういや……親父の件で話があると言ってたが、なんだ一体?」

「はい、ちょっと遺品の件で訊きたい事がありましてね」


 俺がそう言った直後、叔父さんはソワソワとし始めた。


「い、遺品だって! ……おお、そうか、遺品ねぇ。で、何か起きたのか?」

「ン? 何か起きた?」

「あ、い、いや……何かわからない事でもあったのか? って事だよ」


 何かに焦っているような、おかしな挙動であった。

 心なしか、呼吸も荒く感じる。

 もしかすると、俺の予想は当たりかもしれない。


「流石、叔父さんですね。何か起きたとすぐにわかるなんて。ええ、その通りですよ。何か起きたんです。不可解な事がね……」

「ふ、不可解な事か。で、何があったんだ?」


 叔父さんはソワソワしながら、目を泳がせていた。

 もう少し追い込むとしよう。


「実はね……叔父さんも知ってると思うんですけど、風間の祖父じいさんから相続した銀の器で、ちょっとありましてね。俺も困ってるんですよ」

「こ、こま、困ってるって……何がだ?」


 叔父さんは手が少し震えていた。

 俺はそんな叔父さんを前にして、平然と話を続ける。


「実はですね、奇妙なモノがね、銀の器に映り込んだんですよ。で、今日はそれの件で、お伺いさせてもらったんです」

「き、奇妙なモノが映るだって……そ、そんな馬鹿なことあるかよ。夢でも見たんじゃないか? 水面に何が映ってたのか知らないが、気のせいだろ」


 すると叔父さんは、目を泳がせながらコップに手をやり、震えながら喉を潤したのであった。

 相当、喉が渇いているようだ。

 俺は今ので内心、『この人、黒やな』と思ってはいたが、そのまま話を続けた。


「叔父さん、よく水面と分かりましたね。そうなんですよ、アレに水を注いだら、水面に奇妙なモノが映り込んだんです。いやぁ、流石です。まだ水を注いだ事は話してなかったと思ったんですけど、すぐにわかったんですね。流石、叔父さんだ」

「い、いや……そうじゃなくてだな」


 叔父さんはそこでまたコップに手をやり、ゴクゴクと一気に喉を潤していた。

 極度の緊張が見て取れる仕草であった。


「話を戻しましょうか。それで銀の器に水を注いだらですね……奇妙な部屋が映りこんで、尚且つ、そこから見知らぬ者が現れたんですよ。そして、その者は俺に向かい、マーシアス様ですか? って訊いてきたんですよね。どう思いますか?」

「え? マシマッス様……」

「マシマッス?」

「い、いや、そうじゃない……ええ~と」


 叔父さんは尚も目を泳がせ、シドロモドロになっていた。

 少しイントネーションが違う言い方だが、何か気になる言い回しである。 

 追及してみるとしよう。 


「叔父さん……何か心当たりないですかね? というか、アレに水を注ぎませんでしたか? 叔父さん……注ぎましたね?」 


 俺達の間に重苦しい沈黙の時が訪れる。

 すると観念したのか、程なくして叔父さんは、深く頭を下げたのであった。 


「すまん……お前の言う通りだ。すまん、許してくれ……」

「やっぱりですか。風間の祖父さんからの手紙に、叔父さんが俺に相続してもらったらどうだって打診があったって書いてあったので、気にはなっていたんですよ。で、その時、何があったんですかね? もしかして、どっかの王様が現れたとかですか?」


 すると叔父さんは目を見開いた。


「お前も見たのか……あの死にそうな顔した自称王様を?」

「死にそうな顔した自称王様? ま、まぁ、その人じゃないかもしれませんが、似たような人は見ましたよ」


 多分、叔父さんが見たのはイアティースの親父さんだろう。

 まぁそれはさておき、叔父さんは頭を抱えて身体を震わせながら、詳細を話してくれた。


「そうか……お前も見たのか、あの死にそうな顔した自称王様を……。瘦せこけた頬で、真っ青な顔してさ……血走った目を見開いて、切羽詰まった感満載で恐ろしい形相で迫って来るんだよ。『イシュタルトよ、助けてくれ、助けてくれ!』 ってな。俺はあれ以来、あの恐ろしい顔が脳裏に焼き付いていて、今でも時々、夢に出てくんだよ。正直、ヤバいと思った。あれは……悪魔か、なんかだぜ。俺、あれ見た時、小便ちびりそうになっちまってな……というか、ちょっとちびっちまったよ。そうか、耕助……お前もアレを見たのか……怖かっただろうな」


 なんか知らんが、イアティースの親父さんはかなりヤバ気な感じで、叔父さんに訴えかけたみたいである。

 叔父さんはトラウマになっているのだろう。


「やっぱり叔父さんも見たんですね。ところで、叔父さんが水を注いだのっていつ頃なんですか?」

「1年くらい前だ。親父が肺がんのステージⅣとわかって、もう長くないと医者に言われたから、俺は実家の片付けとかもしてたんだよ。その時、親父から昔聞いていた、あの銀の器を見つけたんだ。あの時ばかりは失敗したよ。ちゃんと親父の言いつけを守っておけば良かったってな。後で親父にも聞いたが、親父は言いつけ通り、一度も水を注いだ事はなかったそうだ。やっぱ言い伝えは守らなきゃダメだな。失敗したよ。って……お前も同じ口か」

「確かに、そうかもしれませんね。ところで、叔父さん……さっき、マシマッスって言いましたけど……あれは?」


 すると叔父さんは申し訳なさそうに頭を下げ、こう告げたのである。


「実はな……あの自称王様が、すごい形相で『我等を救ってくれッ』って、しつこく訴えかけてくるもんだから、俺はついつい言っちまったんだよ」

「ついつい言っちまった?」

「あの時……俺の脳裏に、耕助の顔が過ぎってしまったんだ。だから……苦し紛れに……思わず、こう言っちまったんだよ。アンタを助けるのは……ま、真島ッス、て……」


 この時点では、俺は何の事かわからなかった。


「マシマッス?」

「そう、真島ッスだ……耕助の苗字だよ」

「真島ッス……マシマス……」


 俺達の間に沈黙の時が訪れる。

 そして、俺は今の言葉を脳内で復唱し、真相に辿り着いたのであった。

(真島っス……マシマッス……マシマス、マーシマス……マーシアス……あぁッ! おのれぇ、アンタの所為だったのか! もしそうなら、マーシアス様って俺の事やんけ! ふざけんな、認めんぞ! 俺はそんなの絶対に認めんぞぉぉぉ! なんで俺があの国を救わなあかんのじゃ!)

 俺は脳内で絶叫していた。

 流石の俺も、叔父さんにカチンときたのは言うまでもない。

 マーシアス様に関しては、状況証拠から考えて、恐らく俺だろう。

 イアティースと叔父さんの証言内容が一致するからである。

 思いっきり恫喝したい気分ではあったが、俺は分別ある大人だ。

 会話は冷静にしておいた。


「叔父さん、なんで俺の名前を……」

「すまん……理由はない。たまたまだよ。なぜか知らないが、耕助の顔が脳裏に過ぎっただけなんだ。本当に……すまん。この通りだ」 


 叔父さんはそこで席を外し、土下座のような姿勢になったのである。 

 これは意外な行動であった。

 あの強面の叔父さんが、こんな行動するなんて思いもしなかったからである。

 まぁとはいえ、俺もそのお陰で、エンギルの力という魔法のような技能を手に入れたので、そこまで怒ってはいない。

 つーわけで、許す事にした。


「叔父さん、顔を上げてください。もうなってしまった事は、今更どうにもなりませんよ。それに、俺も納得して遺産を相続したので、もうこれについては終わりにしましょうか。お陰で、マーシアスの謎も解けましたしね。まさか、俺の苗字だとは思いませんでしたけど……」


 叔父さんは顔を上げ、ホッと一息吐くと、そこで席に着いた。


「すまんな、そう言ってくれるとありがたい。今、お前が言ったマーシアス様? だったか。それは多分、俺のせいだ。本当にすまない。しかし……耕助は鋭いなぁ。ウチで探偵やらないか? お前、結構、探偵向きだと思うぞ。名前もそんな感じだし」


 褒められているので悪い気はしないが、今は他に気になる事があるので、後にしよう。

 俺は叔父さんから情報を引き出す為、質問を続ける事にした。


「その件はまた今度にしてください。今はまだ、心の整理がついてないので。ところで、今、自称王様が『イシュタルトよ、助けてくれ』と言っていたらしいですけど、イシュタルトって何なのですか?」

「ああ、それなんだがな。実は……さっぱりわからんのだ。あの時は、自称王様にビビっちまってたもんだから、話を聞く余裕なんてなかったしな。でも、あの後、俺なりに少し調べてみたんだが、1つだけヒットしたモノがあったんだよ」

「1つだけヒットしたモノ……なんですか、それ?」

「イシュタルト……それは古代シュメールの女神の名前だよ。なんでも、運命を定める7柱の神の1柱だそうだ」


 古代シュメール……世界最古の都市文明と謂われるメソポタミア文明が栄えた辺りである。

 場所的には、チグリス川とユーフラテス川が流れる現在のイラクの辺りだ。


「シュメールの女神……って事は、メソポタミア文明とかあった辺りの神話ですか?」

「ああ、呼び名は幾つかあるらしいんだが、イナンナとか、イシュタルとか、イシュタルトとかな」

「へぇ、シュメールの女神、イシュタルトですか」

「ああ、そうだ。で、このイシュタルが後世になると、古代ギリシャ神話のアフロディーテって女神になったって話もあるそうだ。ま、紀元前数千年前の神話だから、細かい事はわからないがな」


 なんか知らんが、意外な所からイシュタルトの名前が出てきた。

 シュメール神話か、調べてみると良いかも知れない。


「へぇ、イシュタルトが、古代ギリシャ神話のアフロディーテになったんですか。色々と繋がってるんですね」 

「おう、それに加えてな、その後のユダヤ教やキリスト教になると、そのイシュタルが、アスタロトとかいう悪魔になって旧約聖書に書かれてたりするんだよ。俗に言う、ソロモンの72柱の悪魔・アスタロト大公爵とかいうやつだな。なんで、悪魔が爵位持ってんのか知らねぇけどよ。まぁとはいえ、一神教の場合、他所の宗教の神様は大概、悪魔扱いになるから、仕方ないんだがな。ま、何れにしろ、イシュタルトについて調べたら、そういう神話にヒットしたというわけさ。でも、だからと言って、あの自称王様の言ってるイシュタルトがそれかどうかは、また別の話だぞ。偶然の一致という線も、可能性としては十分にあるんでな」

「確かに、そうですね……でも気になりますね。シュメールの神、イシュタルトか……」


 すると、叔父さんはそこでズイっと顔を寄せ、俺の眼前に人差し指を立てたのである。


「おい、耕助……1つ言っておくぞ。俺が言うのもなんだが、あの銀の器に深く関わるのはやめておいた方が良い。アレからは不吉な気配を感じるんでな。あまりビビったりしない俺が、怖いと感じたくらいだ。そして……この世には見てはいけないモノがあるんだと、俺はアレから学んだんだよ。だから……老婆心ながら、忠告しておく。あの銀の器にはあまり首を突っ込まず、静かに保管しておいた方が良い。俺からはそれだけだ。思い出しただけで身震いするよ……」


 叔父さんはそう言って、肩をブルッと震わせたのであった。

 しかし、この無責任な言い方にイラッと来たので、俺も遠慮せず言い返したのである。


「なら、叔父さんに返却しましょうか? 俺は本来、風間家の者ではないですし」


 すると叔父さんはガタッと立ち上がり、いつでも逃げれる体勢になったのである。

 面白い反応するオッサンである。

 あの銀の器に対して、完全にビビってしまってるようだ。

 もう畏怖の対象なのだろう。


「そ、それはなぁ……おい、耕助……お前、それはナシだぜ。それだけは……」

「冗談ですよ。もう正式に相続してしまったので、今更どうにもなりませんから」

「ったく、もう……脅かすなよ。お、飯が来たぞ」


 ちょうどそこで、注文した料理が部屋に運ばれてきたのだ。

 俺が注文したスパゲティボロネーゼの美味しそうな香りが、胃袋を刺激する。

 ちなみに叔父さんはカツカレーであった。


「ふぅ……今日は嫌な汗を一杯かいちまったよ。さて、気を取り直して飯にするか」

「ですね。俺も流石に腹が減ってきました」


 俺達は早速ランチを食べ始めた。

 ボロネーゼはなかなかの美味しさであった。

 そして俺達は、食べながら他愛のない話を続けたのである。


「ところでコースケ。親父さんはまだ向こうにいるのか?」

「今も単身赴任でベトナムに行ってますよ。今年の盆には帰って来るんじゃないですかね」

「親父さんは商社マンだから、海外赴任で大変だな。まぁ仕方ないか。あ、そうそう、話は変わるんだが……お前、マジでウチに来ないか? 葬式の時も言ったけど、お前、頭が結構キレるから探偵向きだと思うぞ。それに今、弁護士から調査依頼が結構来てんだわ。お前も手伝ってくれよ。今、無職なんだろ?」

「まぁ確かにそうなんですけどね……とりあえず、考えときます」――


 そして、その後、俺は叔父さんの事務所で、少し世間話をしてから家路に着いたのである。



   [Ⅳ]



 その日の夕刻、俺はまた銀の器の前でスタンバっていた。

 今の時刻は午後7時頃。

 昨日は彼女が既に現れていた時間帯だが、今日は流石に彼女も昼食を食べると思うので、来るのはもう少し遅くなるかもしれない。

 ちなみにだが、昼は用事があるので、俺はいないとイアティースには言っておいた。なので、流石に礼拝には来ていないだろう。

(さて……どうするかな。エンギルの書については正直に話すしかないか。でも、マーシアスの件は伏せておこう。話がややこしくなる。ン?)

 ふとそんな事を考えていると、奥の扉が開いた。

 現れたのは勿論、イアティースであった。

 イアティースは俺がいるのがわかったのか、小走りでこちらに駆け寄ってきた。

 その脇には茶色い巻物のような物を携えている。

 何か持ってきたようだ。 


「お帰り、コースケ。もう、用事は終わったの?」

「ただいま、イアティース。お陰さんで、無事終わったよ」

「それは良かったわ。実は、貴方に話したい事があったから、さっきも鏡の前で待ってたのよ。でも、今日は流石に食事を抜くわけにはいかないから……」

「そんなに気を使わなくていいよ。で、話したい事って何?」


 イアティースはそこで、脇に抱える巻物に視線を向けた。


「それなのよ。実は今朝、宮廷魔導師にお願いして、エンギルの契約の印が描かれた書物を借りてきたの。そうしたら、コースケの手に現れたモノと似た印が、その書物に描かれていたのよ」

「へぇ、似た印か。で、どんなの?」


 イアティースは巻物を広げる。

 巻物には、密教の胎蔵界曼荼羅のような感じで、幾つもの印が描かれていた。

 そしてイアティースは、その巻物の中心部に描かれている7つある印の1つを指さしたのである。

 ちなみにそれは、銀の器に描かれている八芒星の印と全く同じであった。


「この印よ。これはイシュタルトの印といって……この間も言ったけど、我が国で希望の光と言われているモノなの。コースケの印はこれにそっくりなのよ」

「これがイシュタルトの印なの。確かに……似てるね。でも、俺のとは微妙に違うんだよな。特に、周りの部分が……」 


 そう、外周の文字みたいな部分が不完全なのである。

 なので、全く同じではないのだ。

 とはいえ、無視できないくらいに似ているのは、疑いようのない事実であった。


「そうなのよ。だから……コースケは、イシュタルトに何か関係してるのかもしれないわ。それで、コースケにお願いがあるの?」

「お願い?」


 するとイアティースは居ずまいを正し、祈るように胸の前で両手を組んだのだ。


「これからも、私とこうやって会ってほしいの。コースケが、イシュタルトのような契約の印を授かったという事は、なにか不思議な繋がりを感じるのよ。だから……これからも……私と会ってくれますか?」


 イアティースは真剣な眼差しであった。

 それに加えて、少ししおらしい感じになったので、可愛い女の子に見えたのである。

 最初から、こんな感じだったならな、と思う今日この頃であった。

 まぁそれはともかく、返事をしよう。


「ああ、これからも会うよ。俺も今は割と時間があるからね。それに、俺もイアティースに色々と聞きたい事があるんだよ。このエンギルの力の事とかね」


 イアティースはホッとしたのか、肩の力を抜いて微笑んだ。


「よかったぁ……断られたら、どうしようかと思っちゃった。コースケ、これからもよろしくね。約束よ。絶対だからね」

「ああ、こちらこそ、よろしくね」

「そうだ、コースケ。最低でも、1日3回は会うようにしましょうよ。できれば、それ以上会いたいかも……」

「はぁ? 3回以上もか?」

「だって……女王として振舞うの疲れるんだもん。コースケの前だと、本当の自分を出せるというか……」

「それって……ただ単に、息抜きしたいだけじゃんか」


 図星だったのか、イアティースは少し目を泳がせた。


「そ、そうともいうわね。でも、そのくらい会えば、私達、もっとお互いの事を知れると思うから。どう?」

「ま、いいけどさ。でも、俺も色々としなきゃいけない事もあるから、その時々は融通付けさせてもらうよ。3回と固定されると、俺も厳しいんだよね」

「うん、それはそれでいいわよ。その代わり、前もって教えてよね」

「ああ、そうするよ」


 と、そこで、イアティースは何か思い出したのか、ポンと手を打ったのである。

 

「あ、そうそう。そういえば、エンギルの書だけど、見つかった?」


 さて、どう答えるか、悩むところである。


「それなんだけどね……まだ見つかんないんだよね」

「えぇ、困るわよ! まだ見つからないの! というか、何で無くすのよ!」

「もうちょっと待ってよ。もう一度探してみるから」――


 と、まぁこんなやり取りをしつつ、俺達は親睦を深めていくのであった。

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