第12話 形勢逆転
「む?」
黒ひげの男が、いぶかしそうな声を出しました。
「なんだ……どうして死なん」
力をこめて首を締め上げているのに、フルートはまだ息をしていました。
もう抵抗する力もなくして、ぐったりとなっているのに、それでも息の根を止めてしまうことができないのです。
男はフルートの右腕を押さえていた手を放すと、両手に満身の力をこめて首を絞めました。
が、やはり、フルートはかすかに息を続けていました。どうしても完全に息の根を止めることができないのです。
まるで、ぎりぎりのところで、何かが男の力に抵抗を続けているようでした。
すると、フルートの胸から淡い金の光があふれました。かげろうのように空へ立ち上り、金のきらめきを放って、あっという間に消えていきます。
目を見張った男は、すぐに
「それか! そこにある魔石が、おまえを守っているな!」
男はフルートの首の鎖をつかむと、鎧の中から金の石のペンダントを引き出しました。
鎖を引きちぎって取り上げようとします。
フルートはまったく動けません。
その時、ひょぉぉ……と遠い風のような音が後ろから聞こえてきました。
男が嫌な予感に襲われて振り返ったとたん、背中に矢が深々と刺さります。
男は叫び声を上げて飛びのきました。
白い羽根の矢が分厚い革の胸当てを貫通しています。
ゼンが金の光めがけて放ったものでした。
フルートは、ようやく息ができるようになって、倒れたまま呼吸をしました。
すぐに呼吸が楽になって、
フルートはよろめきながら立ち上がりました。締め上げられた首がずきずきと痛みましたが、それもじきに薄れて消えていきました。
「ふぅ……」
フルートは大きく息をすると、目の前に倒れている男を見ました。
急所は外れたようですが、深く突き刺さった矢を抜くことができなくて、のたうち回っています。
すると、男がフルートをにらみつけてきました。
「形勢逆転か……くそ、まさか矢が飛んでくるとは思わなかったぞ」
そう言って、激痛にまた唸ります。
黒ひげの男にはもう武器はありませんでした。
襲ってくる力も残っていません。
フルートはロングソードを背中の鞘に収めると、転がっていた兜を拾い上げて、その場を離れようとしました。
「ま、待て!」
男が呼び止めました。
「とどめを刺していかないのか……。見逃せば、俺はまたいつかおまえを襲うぞ。つまらん情けはかけるな」
脂汗を流しながら、男が言います。
フルートは小さなため息をつきました。
「やりたくないことは、やりたくないんだよ。たとえ甘いって言われてもね」
そして、フルートは
「ゼーン! ゼン、どこだい!?」
フルートが呼び続けていると、行く手の草の中からゼンの声が聞こえてきました。
「おーう、フルート。ここだぞ、ここだぁ……」
声を頼りに進んでいくと、草が踏みにじられた場所に出ました。
真ん中にゼンが座りこんで、片手を背中に回し、自分の体を抱きかかえるような格好をしています。
その背中が血で真っ赤に染まっているのを見て、フルートは息を呑みました。
「ゼン! 大丈夫!?」
「あんまり大丈夫じゃないかもな。ちぃと出血が多い……。頭がぼんやりしてきていたところだ。ちょうど良かった」
そう言ってゼンはにやりと笑い、すぐに、あ、いてて、とうめきました。
フルートは大あわてで首からペンダントを外すと、金の石をゼンの体に押し当てました。
あっという間に出血が止まり、傷が消えていきます。
「治った治った! 相変わらずすごい効き目だなぁ!」
とゼンは笑顔で跳ね起きました。腕をぐるぐる回してみて、痛みが残っていないのを確かめます。
すると、すぐ近くの草の中から、情けなさそうな馬の声が聞こえてきました。
見ると、馬が横倒しになっていて、剣を持った男が下敷きになって気を失っていました。
ふん、とゼンは鼻を鳴らしました。
「俺のここに傷をつけたヤツだ。頭にきたから、馬ごと持ち上げてぶん投げてやった」
「その傷で?」
とフルートはあきれました。ドワーフというのは本当に怪力で頑丈な種族なのです。
「さてと、ポポロが心配だな」
とゼンが森のほうを眺めながら言いました。
「先にポチと一緒に行かせたんだが、あのお嬢ちゃんじゃ、馬から振り落とされてるかもしれないからな」
「追っ手はみんな倒したんだね? ぼくのほうは男を二人やっつけたけど」
とフルートに言われて、ゼンはひーふーと指を折り、急に顔色を変えました。
「ひとり足りないぞ……あの女占者だ!」
「ポポロを追ったんだ!」
とフルートも青ざめます。
ゼンは草原に向かってピーッと口笛を吹きました。たちまち黒馬が駆けつけてきます。
ゼンとフルートは背中に飛び乗ると、森に向かって駆け出しました。
すると、行く手の森で突然不思議なことが起こり始めました。
風もないのに森の木がざわざわと鳴りだしたと思うと、枝が大揺れに揺れ、幹が大きく傾いで、横倒しになっていったのです。
それも一本二本ではありません。巨大な木が、まるで見えない巨人に押し倒されていくように、根こそぎ抜けて、ばたばたと倒れていくのです。
あたりにはすさまじい地響きが鳴り渡ります。
「お、おい……なんだこりゃ」
ゼンが馬の手綱を引いて言いました。
フルートもあっけにとられて目の前の光景を眺めました。
森の木々は、自分からどんどん倒れ続けていきます。
けたたましい悲鳴を上げながら、鳥や獣たちが木の梢から飛び出していくのが見えます。
けれども、数分後、森はまた静かになりました。
フルートは我に返って言いました。
「ポチとポポロを探そう!」
「おう!」
ゼンはすぐに馬を駆ると、まっしぐらに森へ走っていきました。
森に入ると異様な光景が目に飛び込んできました。
森の中の木という木、植物という植物が、十メートルほどの幅で左右に倒れているのです。
まるで透明な巨人が木を両脇に押し倒しながら森の奥へ進んでいったようでした。
掘り返された土とちぎれた草の湿った匂いが、森中に充満しています。
「ポチ! ポポロ!」
フルートたちは声に出して呼びながら、木が倒れてできた道を慎重に進んでいきました。
すると、間もなく白い子犬が姿を現しました。
「ワン……フルート、ぼく、ここです……」
子犬は傷だらけで、全身血で真っ赤に染まっていました。
フルートはまだ動いている馬から飛び降りて子犬に駆け寄りました。
「ひどい怪我だ! 待ってて、すぐに治してあげるよ!」
フルートが金の石をポチの体に押し当てている間に、ゼンも駆けつけて尋ねました。
「いったい何があったんだ? なんでこんなに木が倒れているんだよ? ポポロはどうした?」
「ワン、わからないんです」
とポチは言いました。困ったような顔をしていますが、石の力のおかげで傷が治って、また元気を取り戻していました。
「あの黄色い服の女占者が追いかけてきたんです。剣がついた杖を持ってました。ぼくはポポロを逃がそうとしたんだけど、占者はぼくを刺してポポロを追いかけていって……そしたら、いきなり森の木が音を立てて倒れ始めたんです」
フルートたちはまた周囲を見回しました。
大人が二、三人がかりでやっと手を回せるような巨木が無造作に倒れています。本当に、何があったというのでしょう。
すると、ポチが耳をぴくりと動かしました。
「ワン、馬の声です。コリンが助けを呼んでます!」
ポチの後について駆けていくと、ほどなくフルートの馬とポポロが倒木の下敷きになっているところに出ました。
太い木の枝が上にのしかかっていて、身動きできなくなっています。
馬が長い首をもたげて、必死でいなないていました。
「よしよし、今助けるよ!」
フルートは馬に呼びかけると、ポポロに駆け寄りました。
「ポポロ! ポポロ! 大丈夫……!?」
少女はすぐに目を開けました。
フルートを見たとたん、泣きそうな顔で笑って言います。
「よかった……! あの女の人がフルートとゼンはもうすぐ死ぬ、なんて言ったから、あたしてっきり……。ゼンは?」
「ここにいるぜ」
とゼンはポポロの視界に姿を現すと、上にのしかかっている大枝に手をかけました。
「せぇいっ!!」
気合いを入れて持ち上げると、大木は地響きを立ててわきに転がりました。
自由になった馬が、すぐに立ち上がりました。
ワンワン、とポチが駆け寄って怪我の具合を聞きます。
ポポロはまだ倒れたままでしたが、フルートが金の石を押し当てると、すぐに動けるようになりました。
ポポロはびっくりしたように自分の体を見回して立ち上がりました。
「もう全然痛くないわ……怪我が治ってる。フルート、あなた、魔法使いだったの……?」
「違うよ」
フルートは笑うと、今度は馬に金の石を押し当てました。
「これの力だよ。これは癒しの石なんだ」
目の前で馬の体の傷が治っていくのを見て、ポポロも金の石の魔力に納得したようでした。
そこへ短いうめき声が聞こえてきました。
行ってみると、倒れた栗の大木の下で女占者が気を失っていました。
そばではぶち馬が息絶えています。
まともに木の下敷きになったのですが、その馬の体のおかげで、占者のほうは木に押しつぶされずにすんだようでした。
「おい、こいつまで助けようとするなよ」
とゼンが釘を刺したので、フルートは思わず苦笑しました。
「いくらぼくでも、そこまでお人好しじゃないよ。この人を治したら、すぐにまた追いかけてくるじゃないか。このままここに残していこう。きっと仲間が探しに来るよ」
「おう。それにしても――」
ゼンは改めて目を上げると、めちゃくちゃになった森の中を見回して首をひねりました。
「これはこの女がやったのか? 自分で倒した木に下敷きになるなんて、えらくドジな話じゃないか」
「とにかく、この跡を通って行こう。追っ手が来る前に逃げなくちゃ」
そこで、フルートとポポロは栗毛の馬に、ゼンとポチは黒馬にそれぞれ乗ると、木が倒れてできた道を通って、森の奥へと入り込んでいきました。
その日遅く、荷車を引いた馬が荒野を走っていました。
荷車の中には、男が三人と女がひとり、全身に包帯を巻かれ、うめき声を上げて横たわっていました。
エスタ国の刺客と占者です。
肩に包帯を巻いて腕をつるした男がひとり、馬に乗って荷馬車に並んでいましたが、やがて御者席の男に話しかけました。
「いいのかよ、
「片腕が動かなくて剣も使えない奴が何をぬかす」
と御者席から黒ひげの男が鋭い目を向けました。
そう言っている黒ひげ自身も、胸に分厚い包帯を巻いていて、ときどき襲ってくる痛みに顔をしかめています。
「こっちはシナをやられたんだ。占者なしで闇の森に入って行くなんざ、自殺行為もいいところだ」
とたんに、片腕の男が意味ありげに笑い出しました。
「へへへ、そうか……確かにそうだな。あのガキどもは闇の森に入っていったんだ」
黒ひげはうなずき返しました。
「俺たちが手を下すまでもなく、森が連中を始末してくれるだろう」
すると、片腕の男が森の方角を振り返りました。薄ら寒そうな顔をして言います。
「なあ、頭。森の木が根こそぎぶっ倒れていたアレも、森のしわざかな?」
「さあな。なにしろ相手は闇の森だ。何が起こったって不思議はないだろう」
「そうだな……」
それきり、片腕の男は黙り込みました。
黒ひげは行く手に目を向け直すと、馬の歩みを見つめながら、ごく低い声でつぶやきました。
「もしも闇の森を抜けてきたら、それこそ本物の勇者と言うことになるんだろうが……さて、そんな
どこか期待をしているような声でしたが、つぶやきは馬の蹄の音にかき消されて、かたわらの手下の耳には届きませんでした。
荷車は、街道を経てエスタの国へ戻るために、荒野を進み続けていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます