第9話 草原

 その日一日、子どもたちは東をめざして進み続けました。

 追っ手が後ろから迫っていますが、ポポロが馬に慣れていないので、馬を早駆けさせることができません。少年たちは背後を気にしながら、できるだけ馬を急がせました。


 ときどき、ゼンが自分の馬を走らせて行く手や背後の様子を偵察に行きました。

 花野が終わった後は、背の高い草が一面に生い茂る草原になりました。

 追っ手は姿を見せませんでしたが、その代わり、めざす国境の森もなかなか見えてきませんでした。


 ポポロはフルートに支えてもらいながら、なんとか馬に乗り続けていました。

 けれども、乗馬は慣れていない人間にはとても疲れるものです。

 一日中揺られ続けるうちに、ポポロの顔色はどんどん悪くなっていき、日が大きく西に回った頃、とうとう鞍からすべり落ちそうになりました。


「危ない!」

 フルートはとっさに後ろからポポロを抱き止めると、前を行くゼンに呼びかけました。

「これ以上は無理だ! 今日はもう進めないよ!」

 ゼンが舌打ちしながら駆け戻ってきました。

「冗談じゃないぞ。まだ予定の半分も来てないじゃないか。こんなことじゃ、あっという間に刺客に追いつかれちまうぞ」

「でも、無理なものは無理だよ。これ以上進んだら、ポポロが倒れちゃう。今日はここで野宿しよう」


 ゼンは大きなため息をついて天を仰ぐと、すぐに馬で走っていきました。今夜野宿するのに良さそうな場所を探しに行ったのです。

 ポポロは疲れで意識がもうろうとしているようで、フルートにぐったりと寄りかかったまま、一言も口をききませんでした。

 フルートは片腕でポポロの体を抱き支えて、慎重に馬を進めて行きました。 


 やがて、子どもたちは草原の中に小さな川を見つけて、そのほとりで夜を過ごすことにしました。

 ゼンが草を切り払って空き地を作り、ついでに刈った草を敷き詰めて寝床を作りました。

 ポポロは草の上に敷いた毛布に横になると、もうそれっきり起きあがることもできませんでした。ほとんど食事もとらず、ただ、うとうとと眠り込んでいます。

 フルートは金の石をポポロに押し当ててみましたが、石の魔力は疲れには効かないようで、少しも元気になりませんでした。


 少年たちはまたため息をつきました。

「なあ、フルート。やっぱり無理だぞ」

 とゼンが言いました。

「エルフの予言通りなら、明日には刺客が追いついてくる。馬にも乗れないヤツと一緒じゃ、とても逃げ切れないぞ。かといって、あのお嬢ちゃんが戦えるわけもない。誰かを守りながら戦うってのは、相当きついぞ」


「うん……でも、置いていくわけにもいかないよね」

 とフルートは答えましたが、内心ではゼンに負けないくらい心配していました。追っ手に見つかる前に、国境の闇の森に逃げ込めればいいのですが、その時間があるかどうかがわかりません。


「ワン。いざとなったら、ぼくがポポロを守って戦います」

 とポチが勇敢に言ったので、ゼンは苦笑いの顔でぽんぽんとポチの頭をなでました。

 ポチは小さな子犬です。どんなにがんばっても、力のほどは知れているのでした。

 フルートは焚き火の炎を見ながら、じっと考え込みました。敵に追いつかれたらどうしたらよいか、頭の中で必死に考えをめぐらします。 


 すると、火の向こうで横になっていたポポロが身動きをしました。

 くぐもった声が言います。

「……お母さん……」

 少年たちは思わず顔を見合わせました。

 まもなくすすり泣く声も聞こえてきました。ポポロは夢を見ながら泣いているのでした。ほこりだらけの頬の上を、涙が二筋流れていきます。


 ゼンは自分の頭をかきむしりました。

「ああもう、どうしていいかわかんねえ! 俺はもう寝るぞ!」

 そうわめくと、火のそばにごろりと転がって寝てしまいます。


 ポポロが夢を見ながら泣いている声はまだ続いていました。

 ポチは立ち上ると、ポポロのすぐそばで横になりました。眠っているポポロの顔を、そっとなめてやります。

 やがて、すすり泣きの声は低くなって、ポポロはまた静かに眠り始めました。


 フルートは、ほっとすると、また焚き火の炎を見つめました。

 本当に、どうしたらいいのでしょう……。

 巨大で強い魔物と戦うよりも、今のこの状況の方が、ずっと困難で大変なように感じられます。

 フルートは鎧の内側からペンダントを引き出しました。

「お願いだ、金の石。みんなを守ってよ」

 と、そっと呼びかけます。

 魔石は炎の光を返して柔らかく光り輝いていました──。



 朝になると、ポポロは少し元気を取り戻しました。

 相変わらずほとんどしゃべりませんが、それでもゼンが作った朝食を食べ、フルートに手伝ってもらって、また馬にまたがりました。

 前の日一日中馬に揺られていたので、おそらく体中が痛んでいたはずですが、ポポロは一言も弱音を吐かずに馬に乗っていました。


 フルートはポポロの後ろに乗りながら、ときどき手綱をポポロに渡して、馬のあやつり方を教えました。

「右に行かせたかったら、手綱の右側を開けてこう……左に行かせたかったら、こう左側へ……進ませたかったら、腹を足で軽く蹴るんだ。強くやる必要はないよ。この子はおとなしい馬だから、焦らなくてもちゃんということを聞いてくれるからね」

「そう。手綱につかまるんじゃなくて、両足でしっかり馬の腹をはさむ感じで……。手綱は馬に合図を伝えるものなんだよ。手綱を引けば、馬は止まる。でも、強く引きすぎないで。馬がびっくりして危ないからね」


 フルートが優しく、根気強く教え続けたので、やがてポポロも少し乗馬がさまになってきました。

 馬の上に背筋を伸ばして座れるようになったのを見て、ゼンが言いました。

「ふん、ちょっとはそれらしくなってきたか。だが、早駆けができないと実用にならないぞ」

 ゼンはただ思ったままを言っただけなのですが、ポポロはびくりと体をすくませました。馬の上でうつむいてしまいます。

 フルートは思わず苦笑しました。

「一度にそこまでは無理だよ。まずは馬を歩かせられるようにならなくちゃ」 


 追っ手のことなど忘れて、のんびりと会話しながら歩みを進めているようにも見えますが、内心、少年たちは本当に焦っていました。

 今日になって風向きが変わり、風は向かい風になっていました。ポチの鼻も追っ手の匂いをかぎつけることができません。

 フルートがポポロに手綱さばきを教えているのも、考えがあってのことでした。


 ゼンとポチは何度となく前へ後ろへ斥候せっこうに走りました。行く手に森が見えてこないか、後ろから追っ手が現れないか、目をこらします。

 すると、午後になって、行く手からゼンが歓声を上げて戻ってきました。

「やったぞ、森だ! 森が見えてきたぞ!」

「本当!?」

 フルートも目を輝かせました。

「ああ。三キロくらい先のところに森が広がってる。えらくでかくて暗い森だ。国境の闇の森に間違いないだろう」


 ゼンがそう言ったときです。

 ふいに、風向きが変わりました。

 ざぁっと音を立てて、背の高い草がいっせいに行く手に向かってなびきます。

 とたんに、ポチが全身をびりっと震わせました。

「ワン、追っ手です! 後ろから馬に乗って近づいてきます! 一、二、……大勢いますよ!」

 風が背後の追っ手の匂いを運んできたのでした。


 少年たちは一気に緊張しました。

 ポポロは悲鳴を上げて、思わず馬の手綱を取り落とします。

 フルートは手綱をつかみ直すと、ぎゅっとポポロの体を後ろから挟み込んで言いました。

「鞍にしっかりつかまっていて! ゼン、走るぞ!」

「おう!」

 ふたりは馬の横腹を強く蹴りました。二頭の馬が草原の中をひづめの音を立てながら走り始めます。


 ポポロは真っ青な顔で鞍にしがみついていました。振り落とされないように、それだけに必死になっています。

 ゼンの馬の籠から、ポチが振り向きました。

「ワン、まっすぐ近づいてきます! ぼくたちのいる場所がわかっているみたいです!」

 ちっ、とゼンは舌打ちしました。

「占者が一緒にいるんだったな。草の中に隠れて行こうとしても無駄か」

「とにかく走るんだ! 森に逃げ込もう!」

 とフルートは言い、背後の気配に神経をとぎすましました。


 間もなく、行く手にゼンが言っていた森が見えてきました。

 ロムドの北の黒森を思わせる、巨大で暗い森です。しかも、こちらのほうが緑が濃く、うっそうとして見えます。

 ゼンは眉をひそめました。

「やばいな。あの森は馬では入れないかもしれないぞ」


 その時、フルートは背後に蹄の音を聞きました。

「ゼン、来たぞ!」

「ワン、敵が来ました!」

 フルートとポチが同時に叫びます。

 草原の中を駆けてくる馬の群れが見えました。馬の背には大人たちが乗っています。

 フルートは振り向いて素早く数え、追っ手が六人なのを確かめました。

 追っ手は、フルートたちよりはるかに速いスピードで追いついてきます。とても逃げ切れません。


 フルートは馬を立ち止まらせると、頭をめぐらせて追っ手に向き直りました。

 手綱を左手に握り、右手で背中のロングソードをすらりと抜きます。

「フ、フルート……」

 ポポロは震えていました。

「大丈夫だよ。しっかりつかまっていて」

 そう言うと、フルートは剣を構えて敵を待ち受けました――。



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