第4話 ドイツの教会
3回目のドイツ旅行は、20年前の新婚旅行でした(10年前に離婚)。
日本からの直行便でベルギーの首都ブリュッセルへ、そこからプロペラ機でニュールンベルグへ行き二泊し、レンタカーでアウトバーンを走ってミュンヘン近郊のヴィースという教会を見に行き、その日の晩、23時発の夜行列車でイタリアのベニスへ、という前半の行程でした。
ヴィース教会へ行くために道を尋ねた男性が、これまた、いかにも「きっちりと几帳面・知性的ながら、骨太のスピリッツを持つ」ドイツ人(ゲルマン人)だったのです。
朝9時にニュールンベルグを発ち、15時頃、ヴィース教会の近くと思われるあたりで高速を降りて、とにかく(歩いている)人を探しました。なにしろ、レンタカー屋でもらったドイツ全土の地図しかないので、道行く人に聞いて回るしかないのです。
ところが、時は3月、場所は一面畑ばかりの田舎風情で人はいない、しかも雪まで降り始めたので視界が悪いという悪環境。
しばらく走っていると、看板は無いがレストランとおぼしき建物があるので、妻を車に残し2階へ駆け上がる。
社員食堂(学食)っぽい広い店内は、昼の営業時間を終えて客はいない。従業員だけが後片付けしています。
大きな窯のあたりにいたパン焼き職人のような髭もじゃのオッサンを捕まえて、ヴィース教会について尋ねると、ひと言「impossible」。
「なんで ?」
「遠すぎるし、道が複雑だ。」
私ががっかりしていると、オッサンは道路とは反対側の大きな窓へ私を連れていき、「教会ならここにもあるぞ」。
そこには、古ぼけてはいるが味わいのある木造の教会が建っている。「あんたたちの教会か ?」と聞くと、彼はぶ厚い胸を毛むくじゃらの太い腕でドンと叩いて、自慢げに「そうだ」。
で、私は「わかった。興味がある。しかし、私たちは今回、ヴィースの教会を見に、はるばる日本からやってきたんだ」と手振り身振りで必して説明すると、「おまえ日本人か。」と言い、しげしげと私を見つめる。
そして、今度は食堂の真ん中にあるテーブルに行くと、そこにあったナプキンを、その極太の指で数枚わしづかみにし、数分間、黙々とボールペンでそこに何かを書いている。
できあがったのは、店の前からスタートして教会までのプログラム(手順書)でした。
「この道をまっすぐ30メートル進むと、二股に別れている。それを右へ進み、100メートル行くと橋がある、その手前を左に・・・。」という簡潔な文章(項目)が38まで記載されている。
その機転と集中力はさすがドイツ人(ゲルマン人)! 第二次大戦中、北アフリカでドイツ機甲軍団を率いて大胆巧妙な作戦を展開して英軍を翻弄、「砂漠の狐」と恐れられた、かのロンメル元帥(1891~1944)の血を引いているのでしょうか。
私はオッサンに「今度来る時はあなたたちの教会を見せて下さい。」と言ってから「サンキュー」と「ダンケシェン」を何度も繰り返し、再び走って階段を駆け下り、車内で居眠りをしている妻の元へ戻りました。(彼女も縄文人の私と同じく、血がひとつ(中華民族の末裔)ですから、車でも夜行列車でも飛行機ででも、短時間でぐっすり眠れてしまうのです。)
ときおり猛吹雪になる田舎道を、彼のプログラムを片手に約30分走りました。
ところが、35番目のところで、「ナプキンの記載と目の前の景色が違う」という場面に遭遇したのです。私が間違えたのか指示が間違っていたのか。
妻は「少し後戻りしてやり直したら」と言いますが、数項目ならリバース(逆回し)できるかもしれませんが、そんな時間は無い。なにしろ、今日中にミュンヘン駅のレンタカー会社へ車を返さなければならない。それも明るい内でなければ、高速を降りてから駅までの道を人に尋ねるのが大変です。しかも、教会の閉館は17時なのですが、その時の時刻は16時を回っていたのです。
のんびり屋の私も、この時ばかりは車のハンドルに額を押しつけてがっくり。
妻は「もう、教会見なくってもいいじゃない。」なんて言っている。
だが、FAXを駆使(メールはまだ普及していない時代)し、すべてのホテルや(宿泊できる)修道院・レンタカーの予約を取りなど、2週間の旅行を企画した私としては、3日目にして、はやプログラムの(一部を)強制終了、などしたくありません。
もはやこれまで、なんてマナスル登頂を目の前にして諦めた登山隊のような気持ちでいると、道路脇に停車している私たちの横を、真っ赤な観光バスが追い越していきます。
その瞬間「閃いた!」私は、そのバスの後を追いました。
「どうしたの ?」と訝る妻に、私は言いました。
「ヴィースの教会というのは、有名な観光地だ。もしかすると、あの観光バスはそこへ行くのかもしれない。」
まさに、「運を天に任せ」だったのですが、数分後、一面の白銀の世界に、同じく真っ白な雪をかぶりながら夕陽を浴びて黄金に輝く教会が見えたのです。
まさに「翼よあれがパリの灯だ !」の感動でした。
こうして苦労の末にたどり着いた教会自体は、入り口に独英仏西日で書かれたパンフレットが置いてあったりして、その後の旅行で見た幾つかのローマの教会と同じでちょっと俗っぽい感じがしたので、それほど感動しませんでした。
「コロンブスが幸福であったのは彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。」ドストエフスキー
あの日から20年経った今、ニュールンベルグからヴィース教会までのことを顧みれば、発見までの「10数時間の出来事」ばかりが思い出されます。
確かに、発見した瞬間の感動は大きい。しかし、あとでしみじみと「楽しみ」を味わえるのは、「発見前の探求」という苦労(話)ばかりなのです。
続く
2024年1月19日
V.3.1
平栗雅人
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