私の出合った「大いなる狂気」 ドイツ編 V.3.1

@MasatoHiraguri

第1話 狂気とはなにか

ずいぶん昔のアメリカ映画で、こんなセリフがありました。

「テニスやバスケットボールとちがい、ボクシングとはおかしなスポーツさ。街中(まちなか)でやってみろ、おまわりが飛んでくる。」

  

一方で、ある英語の辞書(スーパーアンカー英和辞典 第5版 2015年)には、こんなことが書かれています。

「science : the noble science(ボクシングやフェンシングなど)気高い護身術」

  → 「気高い護身術」とはすなわち、武道のことです。


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 もちろん、警察とか警察官といった、金権・利権まみれの人や組織がこれに絡んでくると、思いっきり俗っぽい世界になってしまうのですが、少なくとも50年前の大学日本拳法においては、私たち「体育会バカ」と同じ目線の「運動バカ」自衛隊がやっていた「純真で気高い格闘スポーツ」であったのは間違いありません。


なにしろ、当時の自衛隊とは「災害救助」オンリーで、再び他国を侵略して人を殺すなんていう意識はなかったのです(近頃は、かつての「天皇の軍隊」に戻ろうとしていますが)。


しかし、2023年の現在、利権金権の鬼、そして、かの悪名高い憲兵隊((日本のGPUゲーペーウー ソ連国家政治保安部 反政府分子の探索・逮捕・処刑を任務とした)の復活である警視庁という大組織(自衛隊と同じ公務員)が、今までクリーンだった大学日本拳法の世界を侵蝕し始めています。

2019年に日本拳法関東総合選手権大会で活躍されていた、同志社や立命館大学出身の警視庁警察官たちも、いまやその純真な心を侵され、すっかり俗っぽくなっていらっしゃることでしょう。

個人の立命(天命を全うし人為によって害さないこと)の志と邪悪な組織の目指すものとは、本来、水と油の如く相容れないものなのですが、私の学生時代の知り合い(の父親・警視庁)と同じく、「飯を食うため・妻や子のため」ということで、悪の手先となってしまうもの。


警視庁の上層部というのは極めて韓国人的な体質を持っており、「在来種純粋日本人のやること」で、少しでもカネや利権につながるとみるや、必ずこれに絡みついてくる。

ある大阪人が言いました。「大阪では、日本人が始めた面白い・美味しい店や、楽しい街の一角ができると、必ずそこへ、それを真似した韓国人の店ができる。そして、そんな偽物の店が増えることで、せっかくの良い店や楽しい街の良さを薄めてしまう。この繰り返しが大阪という町ですわ。」と。


気高い格闘技・崇高な武道である大学日本拳法が、今後、柔道や剣道のような俗っぽい「飯の種化・利権化」していくのを、私のような老い先みじかいジジイにとって見ることがないのが、せめてもの救いです。


ゲー‐ペー‐ウー【GPU】

(Gosudarstvennoe politicheskoe upravlenie ロシア)ソ連の国家政治保安部の略称。チェカの後身で、1922年以降、反政府分子の探索・逮捕・処刑を任務とした。34年以後、内務人民委員部に吸収された。広辞苑より


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さて、映画のセリフと辞書で表現された、この2つを融合すると、ボクシングや大学日本拳法(という本気で思いっきりぶん殴る世界)とは「狂気でありながら気高いスポーツ=武道」ということになる。


大学日本拳法をやってきた私ならではの(勝手な)解釈ですが、この前提で話を進めさせて戴きます。


この本の要点は:

○ 大学日本拳法とは、狂気によって正気を得るというのが最大のメリット(というのが私の個人的な考えであり、大前提)。


○ 狂気と正気は紙一重・裏表の関係にある。


○ 狂気を利用して内なる正気を具現化すれば、全く新しい次元や位相でものを見ることができる。


○ その意味で、狂気は大きければ大きいほどよい。


○ 但し、自分自身の中に、核となるしっかりとした根っこを自覚できていれば、の話。


○ 私には「大学日本拳法を哲学すること」と「日本昔話という実話に浸ること」を通じ、いつでも還ることのできる「在来種純粋日本人という根っこ」がある。

  偉い人を引き合いに出して恐縮ですが、宮本武蔵が「五輪書」で哲学をやり「二天記」という実話によって精神のバランスを取ったのと同じことを、私も無意識に踏襲しているのかもしれません。


○ 従って、私の中の大いなる狂気は正気を維持することができる。


○ そんな私の狂気が引き寄せたかのような(他人の)狂気。

  今回はその第1回、ドイツ(純粋ゲルマン民族、 Not 猶太人)についての話。


「なんで日本昔話なんだよ。(論理が飛躍しすぎで)やっぱり、お前は狂人じゃないのか。」と訝ること勿れ。これこそ、大いなる正気、大真面目な話なのです。


「日本昔話」とは、欧米人にとってのバイブル(聖書)やイスラム教徒の「コーラン」に匹敵する、在来種純粋日本人にとっての「心の故郷(ふるさと)」。

「日本昔話」を「じっくりと読む」ことで、私の中の過去の記憶が全く新しい光彩を以て輝き始めた。大学日本拳法という狂気・正気が、より煮詰まってきた。

「60有余年の思い出」が、全く異なる次元と位相で輝き始めたのです。


お迎えが近い齢ではありますが、決して耄碌し(おいぼれ)て正常な判断ができなくなってきた、というわけではない。今まで気にしていなかった、過去のたわいない(取り留めのない)思い出が、よりはっきり・くっきり・正確に見えてきた、つかみ所のある・確かな存在感のある過去となったのです。


  


2024年1月17日

V.1.1

平栗雅人



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