最終章 一歩

 山野を送り届けた後、僕は帰った。その後、文の葬式と言うことにもならなかった。山野は、もし死んだら、ふざけた腐れ縁の奴が来るだけだから行わないでほしいと聞いたことがあると言っていた。山野自身もかなり混乱し、まともに文の死を受け入れられてはいなかった。その後も、関わり合いになることはなく、彼女と僕が負った傷を舐め合うこともなかった。僕らと言う友人間は、文の存在の誇張にも当たるので、そうなったのだ。

 僕は、文と出会った時からの事を考えた。僕はずっと焦がれてきた。文が僕と居ることを望んでくれるようになったのは、夢だと思うくらいに感動的なことだ。文は僕の全てで、この人生で、これ以上、心を捕えてくれる人には出会えないだろう。反面、文と出会ったことで、僕が大きく変わる努力をできるようになったわけでもない。文のあの表情みたいに、虚ろで、何をやっても駄目だという感覚はどこまでも張り付いたままだったのだ。文という人間の影響は間違いなく大きい。僕が絶望したのも、文を失ったから、今、死ぬしかないと思うのは、その僕の人生そのものを奈落に落としたからなのだ。文を思い、文に生きるようになった。文は僕の居場所だった。それが、自分の道、ということか。文に依存することなく自分の道を歩むしかなかったら、僕に影響を与えるのは何だったのか。僕は僕自身に向き合ってきてなかったのではないかと思わされる。文に全てを置きすぎたのか。文の言う通り、引っ掻き回され、その事しか考えられなくなったのか。僕の成長は、止まってしまっていた。ダムが決壊してしまったみたいに、何もかもを失った時の感覚が倍以上になってやって来て、死ねなかったことを後悔した。

 文を救いたかった。死が救いなんて、そんなこと、言いたくなかった。言って欲しくなかった。僕と居ることが幸せで、その先にも希望があるって。なのに、なのに、ふざけてる。何度も何度も、同じ理論。変わりはしない。僕自身が、その明るい希望なんて無いって諦めていて、反論できないのだ。文が死にたいって言う度、解ってしまった。この破滅は簡単に予想していた。最低な定石、誰もが気づくテンプレート。その終着点に、いとも容易く辿り着いた。そんな考えが何度も往復すると、いよいよ後悔と言う文字すら浮かばなくなってくる。仕方ないじゃないか。全部に絶望してたんだから。と。それは早々に諦めて撤退するような考え方じゃないはずだ。僕らは長い間、そんな幸福とか、妥協できる道を探してきたんだから。文と居た時間は、誰が、いや僕がなんと言おうと、幸福だったと思うことにした。僕は死ぬまでに、心が浄化されるかのような経験ができたし、その奥底から伸びる手で、あの存在と手を取り合えたんだ。僕は幸福だった。そう思おう。文と僕は愛し合っていたし、その別れは余りに汚く酷かったが、恋に溺れることができていたんだ。どこまでも甘く、焦がれ、切なく、苦い、苦い恋。僕はそう思うと、次の一歩を歩き出せる気がした。

「僕は文を肯定したんだ。それが今日…。」

 その日は、星が綺麗だった。空気も澄み、雲も少なかった。冬なのに風は心地よく、肌を撫でてくれた。ここで僕は、さよならを告げる。きっと文には会えないだろう。それでも留まる意味は無かったのだ。僕の背後からそれを止めてくれる巡り合わせは、もう起こりえないし、起こってほしくもなかった。僕は掃きだめみたいに溜まった、未だ希望があるとか、やるべきことがあるとか、そんなこれからのストーリーを考えないようにして、愛を胸にフェンスを潜り、身を投げた。

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