糸魚川の怪談
スズシロ
浮き潮
「翡翠拾い」という趣味を知っているだろうか。何でも、新潟県の糸魚川付近では山から流れ出した翡翠が海岸に打ち上げられるらしい。それを拾うために全国各地から物好きが集まって来るのだとか。
先日、昨年私の授業を取っていた学生がその「翡翠拾い」をしに糸魚川へ行ってきたらしく、休み明けに私の所へ来るなりこんな話をし始めた。
「浮き潮って知っていますか?」
「浮き潮?」
それが彼の行った「翡翠拾い」と何の関係があるのだろうか。そんな疑問を抱きながらも彼の話に耳を傾ける。
「翡翠拾いをしているとたまに現地の翡翠ハンターに出くわすんですが、そこで面白い話を聞いたんです。先生、そういうの好きでしょ?」
『浮き潮』
そう呼ばれるものが糸魚川にはあるらしい。
* * *
東京から二時間。北陸新幹線のホームに降り立つと改札を出て宿へ向かう。道のあちこちに大きな翡翠の原石が置かれており、まさに「翡翠」の町だという事が分かる。
『浮き潮を見るなら先生も翡翠拾いをしないと』
手に握った「ヒスイ棒」なる物を眺めながら学生の言葉を思い出す。「翡翠を拾うなら持って行け」と彼に持たされた、長い棒にお玉をくっ付けた謎の棒だ。
「こんなもので採れるのかね」
なんとも頼りなさそうな棒を片手に、私は「ヒスイ海岸」へ向かった。
ヒスイ海岸は糸魚川の駅から一駅乗った「えちご押上ひすい海岸」から少し歩いた場所にある、「ヒスイ海岸」という大きな看板が目を引く観光スポットだ。
『白くて角ばっていて面があるのを探すと良いですよ』
見本として貰った白い石をポケットから出して太陽にかざす。翡翠は「緑色」のイメージがあるが、実際は白い物が多いという。だから初心者は白い物を探すべきなのだと学生は言った。
「とはいえ、これだけ石があっちゃ分からんな」
「浮き潮」は翡翠を探し求める者の前に現れるという。故にまずは翡翠を探さなければならない。胴長を履いて水の中に入る。海中の翡翠を探すのが「浮き潮」に出会うコツらしい。
波にさらわれないようヒスイ棒を支えにしながら石を探す。海の透明度が高いので比較的石は探しやすい。
「白い石、白い石」
波の間に見える石は様々だ。茶色い石、緑色の石、黒い石、白い石。白い石でも丸い石ではいけない。翡翠は硬いから石同士の接触では削れない。つまり角があって面があるのだという。
(やはりそう簡単には行かんか)
日が暮れるまで、何時間も波間を歩き続ける。不毛だ。顔を上げると浜のあちこちに同じような格好をして棒を持った人々が見える。これらが全て翡翠ハンターだというのだから驚きだ。
結局その日は何も成果が無かった。緑色のそれっぽい石を拾っては見たが、通りすがりの玄人に聞けば「キツネ石」というまがい物らしい。濡れていると翡翠に似ているが、乾くと全く別の石になってしまう。「キツネ石」とは言い得て妙だと感心したものだ。
* * *
それから数日の間、私はひたすら浜を歩き続けた。翡翠、いや、「浮き潮」に出会うために。それらしい石を拾っては捨て、波の間をヒスイ棒で漁る。その繰り返しだ。
(有給休暇を使ってまで何をやっているんだか)
良い歳の大人が浜辺で石拾いだ。胴長を履いてヒスイ棒を持ち、その道の玄人のような顔をして浜を歩いていると、時折「翡翠採れましたか?」と観光客に話しかけられる事がある。
その度に「実は翡翠拾いは初めてで……」と言い訳をし、なんとも恥ずかしい思いをするのであった。
丁度昼頃だったか、太陽が真上に登る頃、私は突然それに出会った。
「あれ?」
海中の砂を踏みしめた足に奇妙な感覚があった。まるで下から持ち上げられているような、そこに柔らかい何かがあって踏み抜けない。そんな不思議な感覚だ。
ふと足元を見ると、真っ白な石が見えた。
(翡翠だ)
『海の中でも翡翠は一目で分かりますよ。光り輝いているんです。真っ白に』
学生の言葉通り、砂の上に鎮座しているそれは真っ白に光り輝いていた。他の石とは違う。「一目見れば分かる」と言うのはその通りだった。
最初は翡翠に興味がなかった私も、ここ数日いくら探しても見つからなかった「翡翠があった」という事実に興奮してしまい、波にさらわれないように慌ててヒスイ棒を伸ばした。
しかし、ヒスイ棒の先端に取り付けたお玉で翡翠を掬おうにも、先ほどの足を同じように見えない何かに押し戻されてしまうのだ。
「ははぁ、これが『浮き潮』か」
学生から聞いた話はこうだ。
『海中で大きな翡翠を拾おうとすると何故かヒスイ棒が浮き上がってしまって拾えない事があるんです。そこに大きな翡翠があるのに拾えない。いくら頑張っても不思議と見えない何かに阻まれて、翡翠まで手が届かないんです。
そういう時に見つかるのは大抵立派な翡翠で、海が手放したくないから邪魔をするんだとか。そういうのをハンターの間では【浮き潮】と呼んでいるそうですよ』
いくら拾おうとしても拾えない。確かに学生の言う通りだった。
「しかし、本当に拾えないのかね」
目の前にこんなに立派な翡翠があるというのに、それを拾わずに帰るなど納得できない。もしかしたら横からなら拾えるのではないか。そんな考えで少し離れた場所からヒスイ棒を伸ばしてみたが、やはり翡翠に届きそうになると浮力を感じて棒が押し上げられる。
「参ったな」
まるで海が手放したくないというより、こんなにも良い翡翠があるんだぞと見せびらかしに来たような感じすらする。むしろ、そちらの方がしっくりくる位だ。
そうこうしているうちに大きな波がざぶんと来て、件の翡翠はどこかに流されていってしまった。
* * *
「先生、糸魚川に行っていたそうですね。どうでしたか?」
「ああ。それらしい物を拾ってはみたが……」
「そうではなくて、『浮き潮』の方です」
机一杯に並べた色とりどりの石を前にして学生は呆れ気味に言う。
「出会ったよ。ただ、君が言っていたような感じでは無かったな。あれは良い翡翠を欲深い翡翠ハンターに自慢したいだけなのだろう」
「それじゃあ先生も欲深いハンターって事になっちゃいますよ」
「否定はできまい」
年甲斐も無く朝から晩まで翡翠を求めて海岸を歩き続けた。その結果がこれだ。復路一杯に持ち帰った大量の石を前にして「自分は欲深くない」などとは言えまい。
「それにしても、君に貰った翡翠のような石など一つも落ちてはいなかったぞ」
「そりゃあ、簡単に見つかるような物でも無いですからね。でも……」
学生は大量に広げられた石の中から灰色の石を一つ摘まむと私の手に乗せた。
「この灰色の、翡翠だと思いますよ」
「何? 翡翠は白だと言っていたじゃないか」
「灰色のもあるし黒いのも、青や紫、勿論緑だって。奥が深いんです」
掌に落とされた三角の形をした灰色の石を眺めながら「うむむ」と唸る。良い翡翠を「浮き潮」が自慢したくなるのも分かったような気がした。
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