卒業/卯の花腐し
冬野 暉
卒業/卯の花腐し
十年使った傘が壊れた。
シンプルな白い傘である。ワンタッチで片手で開くことができて、台風の日にもびくともしないほど丈夫だった。
風の強い土砂降りの今朝も、職場まで差していった。
職場に着き、さて傘を閉じようとすると、ボンッと音がして傘の骨組みの留め金が弾け飛んだ。
わたしは唖然とした。見ると、留め金がすっかり錆びて砕けてしまっていた。
骨組みがばらばらになり、黄ばんだ布と金属の棒の塊に変わり果てた傘をなんとか丸める。
ふと、この傘を買ったときのことを思いだした。
社会に飛びだしてがむしゃらに数年を乗り越えた、わたしは若者だった。
傘を買ってから、仕事を変え、地元を離れ、結婚し、子どもが生まれた。
あの日、地元の雑貨店の軒先で手に取った傘は汚れひとつなく真っ白だった。
壊れた傘はセピア色に煤けて、長雨にくたびれきって萎れた空木の花のようにも見えた。
この傘を差して、残業終わりの家路をひとり辿った。
お世話になった方の葬儀に参列した。
大好きな映画を何度も観に行った。
保育園に通いはじめた子どもを抱っこして家まで歩いた。いまでは、雨が上がればいっちょまえの顔で傘を引きずって笑っている。
お別れなんだね、と思った。
十年の長雨をともにした傘と、卯の花色の傘を買った日のわたしと、これが最後なんだねと。
始業時間が迫っていた。
寂寥感は一瞬で、わたしは傘を傘立てに突っこんだ。
その日のうちに上司に事情を話して了承を得て、壊れた傘を職場のごみ捨て場に捨てさせてもらった。
職場からの帰り道、雲間から青空が覗いていた。
手ぶらの両手がずいぶん軽い。
ほんのりと尾を引く寂しさは、きっと翌朝には消えてしまっているだろう。
長靴にくたびれた脚で、迎えを待つわが子の許へと急いだ。
卒業/卯の花腐し 冬野 暉 @mizuiromokuba
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