第4話 飼えるもんっ!

 夕暮れ前に動物病院から帰宅した母さんと紗彩ちゃんに話を聞くと、子猫の健康状態の詳細が明らかとなった。


 診療の結果、紗彩ちゃんが危惧していた感染症や衰弱といった症状は確認されず、支障をきたすような問題もなく、至って健康体であるようだ。


 生後は約一ヵ月、性別はメス。


 食欲は旺盛で人懐っこいことから、飼い主の元で親猫が出産した子猫の内の一匹が放棄されたものではないか──と、獣医師は可能性として推測したらしい。


 猫は一度に大体、四匹から八匹ほど出産するのだそう。確かにそれだけの数を一度に全て飼育するのは負担が大きいだろうが、それなら里親を探す等、他に手段はあったはず。道端に捨てるだなんて言語道断だ。


 とはいえあくまでも推測なので真相は定かではないけども。


「──というわけでひとまず連れ帰ってきました。獣医師さんからは警察に通報して保護してもらうことも勧められたんですけど……必ずしもこの子の身が保証されるわけではなさそうだったんで、一旦保留にしました」


 夕食前のリビング。寝込んでいた美乃里と智香ちゃんも復帰して、段ボール箱の中で縮こまる子猫一匹は俺たち六人に見守られながらにゃあにゃあと鳴き続けていた。


「可哀そう……こ、こんな可愛い猫ちゃんが捨てられちゃうなんて……ううう、捨てた飼い主最低っ! 人でなしっ! わたしがフルボッコにしてやるッ!!」


「ステイ、お姉ちゃんステイ。むしろお姉ちゃんがフルボッコにされるから。多分体格差的に」


「甘くみるんじゃないよおッ!! 私だってやる時はやる女なんだよおッ!!」


「はいはい分かった、気持ちはよく分かったから」


 憤慨する智香ちゃんを差し押さえる紗彩ちゃん。日に日にキャラがブレまくってるな⋯⋯。


 続けて横から顔を出した美乃里が物珍しそうな目で子猫を見ながら口を開く。


「捨て猫ねぇ……ほんとにいるんだそういうの。漫画とかドラマとかでしか見たことなかったから、ちょっと感動」


「感動!? なに言ってるの美乃里ちゃんっ! 生後間もない猫ちゃん一匹があんな場所で捨てられてたんだよっ!? こんな蒸し暑い日にッ!! 尊い命が犠牲になるところだったんだよおッ!?」


「あ、いやその、そういう意味で言ったんじゃなくてさ、珍しいなと思って」


「もっと思いやりの心を持ちなさあーいっ!!」


「は、はい、すみません」


 ……み、美乃里が、智香ちゃんに押されてる……。


 しかしその通りだ。元飼い主の非道な行いで子猫一匹の命が失われるところだったかもしれない。見つけて連れ帰ってきた俺の判断は間違っていなかった。


 ただ、問題はこの子の行く末⋯⋯。


「さーやちゃんっ、猫ちゃんもう触ってもいいっ?」


「いいよ。だけどあんま触りすぎると怖がらせてストレス与えちゃうから程々にね」


「はーいっ! えへへぇ、ねこちゃあ~ん♡」


 パァッと表情を華やがせたひまりちゃんは子猫に手を伸ばすと、小さな頭に手の平を乗せて優しく撫で始めた。


 可愛い+可愛い=超可愛い。子猫と触れ合う微笑ましきひまりちゃんの姿、是非とも写真に収めたい。


「あ、ひまりずるいっ。わたしも触りたーいっ」


「智香おねーちゃんはひまりのあとーっ!」


「いいじゃんちょっとくらい譲ってよお」


「やあ~っ! 横取りしちゃヤダっ!」


「いいからいいから……ふふふ、かわいいねえ」


「やああ~~っ!!」


 智香ちゃんそれもうただの変質者だよ。


「お姉ちゃん……なんでここまで落ちぶれてしまったのか……」


「あはは……まあ、仲がいいのは良いことなんじゃない?」


 俺が言うと、紗彩ちゃんは口を尖らせた。


「それはそーですけど、ひと月前までは清楚で綺麗で憧れだったお姉ちゃんなのに、もはや見る影もないですよこの有り様。どー思いますお兄ちゃん?」


「ほら、プラスに捉えないと。前より話しやすくなって親近感湧くなーとか」


「……はあ。そうですね、はい、そういうことにしときます」


 その気持ちには同情するよ。


「こほん。それでですね、問題はこの子の今後についてです」


 切り替えるように紗彩ちゃんが仕切り直すと、騒いでいたみんなが同時にピタッと動きを止めた。


「改めて確認ですけど、お兄ちゃんのお宅では子猫ちゃん飼えないんですよね?」


「ええ。ごめんなさいね」


 申し訳なさそうに声のトーンを下げる母さん。俺個人としては飼いたい気持ちが強いけど。


「はい、りょーかいです。で、そうすると、この子の保有権は必然的にあたしたち相川家に委ねられるわけなんですけど……ウチの両親にもちゃんと話を通さないといけないんで、もう少しの間だけこちらで預かっててもらえますかね? 両親に無断で家の中には入れられないんで」


「あ、うん。恵美さんと裕二さんは動物苦手なの?」


「苦手ってわけではないと思うんですけど、ウチの昔からの家訓みたいなもんです。何か決め事をする際には必ず、行動に移す前にお母さんとお父さんに相談することっていう」


「へえー。ちょっと厳しい感じなんだ?」


「厳しい……んですかね? あたしは普通のことだと思ってあまり気にしてませんけど」


 なるほど、つまりよく教育されているんだな。


「……な、なんですか? あたしのこと、そんな目で見て」


「いや、何度も言ってるけどさ、紗彩ちゃんは本当にしっかりしてて偉い子だなあって」


「ふ、普通ですってこれくらい。褒めなくていいですから」


 ……照れてる。可愛い。


 ──美乃里、無言で脇腹どつくのやめて。痛い。続けて智香ちゃんまで便乗して二の腕つねるのやめて。


「え、えと、そういうわけで、今日もウチの両親は帰宅が遅くなるんで、それまでは待機でお願いします。もしあたしたちでこの子を飼えなかったら……その時は、里親探しですね。みんなで協力しましょう」


 里親探し……やっぱり、その可能性が一番高いか。


 でも、これだけ可愛らしくて生後間もない子猫なら案外すぐに見つかりそうな気がする。愛着湧きやすそうな見た目してるし。


「……さーやちゃん、さとおやってなーに?」


 と、目を丸くして小首を傾げるひまりちゃん。


「ん。里親っていうのは、あたしたちの代わりにこの子猫を引き取って飼育してくれる人のこと」


「……え……じゃ、じゃあひまりたち、この猫ちゃんとお別れしちゃうのっ!?」


「まあ、飼えなかったらそりゃあね。お母さんとお父さんの返答次第」


「──ッ。や、やだあッ!」


 ──突然、ひまりちゃんは大きな声を上げると、撫でていた子猫を両手で持ち上げてギュッと胸元に抱き抱えた。


「ちょ、ひまりっ!? だからそうやって乱暴に扱うと怖がらせちゃうってばっ」


 注意する紗彩ちゃんだが、ひまりちゃんの目元はキッと鋭利さを増して反感を露わにする。


「なんでお別れしちゃうのっ! かおーよっ! こんなにかわいいのにっ!」


「き、気持ちは分かるけど、お母さんとお父さんの許可なしじゃ飼えないでしょ?」


「飼えるもんっ! おかーさんとおとーさんなら絶対分かってくれるもんっ!」


「分かんないでしょそんなの。ワガママ言わないの」


「飼えるっ! 絶対飼えるぅっ!」


「あ、あのねぇ……ッ」


 紗彩ちゃんの声が若干震え、僅かに怒気を含んだ。


 良くない雰囲気だ。このままいくと険悪な言い合いになりかねない──そう感じた俺が間に割って入る。


「お、落ち着いて二人とも。まだ決まったわけじゃないんだし、冷静に」


「おにーちゃん~……」


「ひまりちゃん? 紗彩ちゃんを困らせちゃダメだよ? 全部正しいことを言ってるんだから」


「で、でもぉー……」


 拗ねた様子で子猫を抱くひまりちゃんの頭に俺はそっと手を置いた。


「飼ってあげたい気持ちは俺も同じだよ。だけど一番大事なのは、この子が毎日安心して過ごしていられる環境を俺たちが見つけてあげること。猫ってね、色々お世話しなくちゃいけないから大変なんだよ?」


「ひ、ひまり、お世話できるもんっ」


「ほんとに? ペット用品や食費でお金はかかるし、動物病院にも定期的に行かないといけないし、構ってあげないと猫って拗ねちゃうし。ひまりちゃんたちは夕方まで学校で、恵美さんと裕二さんは仕事でけっこう家留守にしちゃうでしょ?」


「で、できるぅ……」


「それに、お金がかかるってことは、毎日お仕事を頑張ってひまりちゃんたちを支えてくれてる二人にもっと負担をかけさせるってことだよ? それでもひまりちゃんは絶対に飼うって言いきれる?」


「……ッ」


 キュウッと口を噤んだひまりちゃんを見て、俺はニコッと笑って見せた。


「一緒に、ゆっくり考えていこう? この子猫を拾ってきたのは俺だし、最後まで責任を持って面倒見るからさ。ここにいるみんな全員が納得して穏便に済むような幸せの形を見つけていこうよ? ね?」


「……」


 神経を刺激させないように言い切ると、顔を俯かせたひまりちゃんは少しの間だけ言い淀んだ後に、


「…………うん」


 と、小さく返事をした。

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