第2話 真夏日のその下で

「ふへぇ……あ、あついぃ~……」


「だ、大丈夫? 気持ち悪くない?」


「えへへぇ、大丈夫ぅ。おにいちゃんの顔見たら体力全快したぁ」


「そう言いつつ仰け反って倒れようとしないで!?」


 学校を出た後の帰り道。美乃里、智香ちゃんの二人と一緒に肩を並べて帰路を辿る俺は、顔色が悪い智香ちゃんの肩を慌てて後ろからガッ! と支えていた。


 今日の最高気温は三十六度。陽の直接的な暑さだけでなく、湿度による蒸し暑さも尋常ではない。水筒の中身も午前中だけですっからかんだ。


 これでまだ七月だもんな……八月は一体どうなってしまうことやら。早く冷房の効いた部屋でアイスを食べたい。額から滲み出る汗が鬱陶しく思える。


「ああ……わたしぃ、おにいちゃんに抱きしめられてるぅ……えへ、えへへ、最高の夏休みぃ……」


「抱きしめてるつもりはないんだけど……」


「なんでそゆこと言うのっ! 抱きしめてっ!」


「暑い、智香ちゃん暑苦しい」


「おにいちゃんが酷いこと言うぅ~うええ~ん」


 幼稚園児のように泣き出してしまった。うん、相当暑さにやられてるなコレ。


 反対側の隣で歩く美乃里もさっきからずっと無言のままだ。こっちもかなり危うい状態だな……今にも死に倒れそうな顔してるし。


「わたしぃ、おにいちゃんをそんな風に育てた覚えはありませぇん……」


「育てられた覚えもないんだけど……?」


「なに言ってるのぉ、おにいちゃんはぁ……ああ、おにいちゃんってばぁ、これだからおにいちゃんって人はぁ~……あうあうあう、うあぁ~」


「……」


 こ、壊れちゃったぁ……。


 汗で背中に張り付いた制服、それによってくっきりと浮かび上がったブラジャーの形。


 反射的に目を逸らす俺だったが、当の智香ちゃんは何も気にしていない様子──というよりは、気にする余裕がないとも言うべきか。


 こんな調子であと十数分先の家まで辿り着けるのだろうか。……不安だ。


「おにいちゃん~……」


「ん?」


「……おんぶしてぇ~……」


 すでにダメらしかった。


「おんぶって、それは、さすがにキツいかなぁ」


 この猛暑日の中、いくら体の小さい智香ちゃんとはいえ、太陽の下に晒されながら人一人を背負って歩いていくのは俺の体がもたない。絶対ダウンする。


「わたしが重たいって言いたいのっ!」


「違う違う、これだけ暑いとさ、俺も無理すると倒れちゃうし」


「つまりわたしが重たいって言いたいんだあっ! うわあーんっ! おにいちゃんのばかぁ!」


「えっと……ほら、あんまり叫ぶと余計に疲れちゃうよ? 暑いの苦手なんでしょ?」


「否定しないんだっ! わたしなんてデブなんだっ! バカにしてるんだあっ! うわああーんっ!」


 うーん全く話が通じない。


「あ、あー……とりあえず、一旦落ち着いて水分補給しよっか? そこの自動販売機で好きなジュース一本奢るからさ?」


「……糖分……肥満⋯⋯」


「いや別にそういう意味で言ったわけじゃないからね?」


 ジュースでなくともお茶とか水とか売ってるし。


「ジュ──飲み物買ったら、どこか日陰のある場所で少し休憩しよう。ね?」


「…………」


 ……じぃー……。


「……そんなにおんぶされたいの?」


「うんっ!」


 分かりやすく声を張り上げる智香ちゃん。


 日に日に妹らしさが増してきてるなぁ……可愛いからいいんだけど。


「……はあ。じゃあ、休憩する場所までだよ?」


「うんっ!!」


 ──そうして、勢いに押された俺は仕方なく地に膝をついて背中を向けると、智香ちゃんは嬉しそうにぎゅうっとしがみついてきた。


 柔らかくて気持ちいい……が、足に力を込めて立ち上がると直後にズンッとした重みが膝にのしかかる。


(こ、これは……ッ)


 な、長続きしない……は、早く、飲み物を買って近くの休憩場所を見つけなくては……ッ。


「おにいちゃんの背中ぁ~……気持ちいい~……」


 喜んでいるようで何より。しかし俺の体もとい四肢はすでに悲鳴を上げているので一刻も早く目的地に着いて下ろしたいところ。


 とりあえず少しでも重量を軽くしよう。そう思い、肩に掛けているスクールバッグを美乃里に預かってもらおうと考えて振り返ると──


「……」


「美乃里? ちょっと、俺この状況でかなりキツいから、このバッグを預かってもらえると……」


「……」


「……み、美乃里ぃ?」


 立ち尽くしたまま、何故か反応しない美乃里。


 しかし次の瞬間、


「……きゅう」


「みのりぃーーッッ!??」


 その場で、ガクッと膝から崩れ落ちて前に倒れ込んでしまうのだった。




「──……つ、疲れたぁ……ッ」


 いやもうほんとに、死ぬかと思った。今日だけで三キロくらい痩せた気がする、冗談抜きで。


 智香ちゃんをおんぶで、美乃里を抱っこという総重量百キロオーバーで炎天下の道を険しく重々しく歩いてきた俺は、近くの公園に寄って屋根付きベンチの下で深々と息をついていた。


 ベンチの上で、目を回して仰向けに倒れ込んでいる美少女二人。だけど今に関してはこの二人に若干の怨念を飛ばしたい思いである。


 よくここまで一度も倒れずに歩いてきたな俺。周りの通行人からはすごい変な目で見られたし、もう散々だった。


「う、おええー……ううう、あああー……あー……」


 き、気持ち悪い……吐きそう。汗は噴き出して止まらないし、何だか頭の中がくらくらと定まらない。


 熱中症の前兆だろうか。このままでは俺まで二人と同じ末路を辿ってしまう。それは、どうにか避けなくては。


「み、水、水……ッ、なんで自分の分のジュースを買わなかったんだ俺はぁ……ッ」


 智香ちゃんの分はちゃんと買ってあげたのに。バカなのか俺。バカだなうん。


 ともかく、干からびる寸前のこの体に潤いを与えるべく、俺は公園の外回りに設置された水飲み場までフラフラとした足取りで歩いていく。


 公園の中心では小さな子供たちがドッジボールをして意気揚々と遊んでいる。こんな暑い日でも動き回ってて元気だなぁ……俺はもう年寄り気分。


 ひまりちゃんと紗彩ちゃんは無事だろうか。あの二人みたいに道中で体調を崩していないか心配になる。連絡の手段がないため大丈夫であるようにと祈るしかない。


「──んく、んく、んく……ぷはぁ~……水うまぁーッ……!!」


 水飲み場に辿り着いた俺は蛇口を捻り、真上に噴き出す水道水を一気にがぶ飲み。衛生面が徹底された日本に生まれて良かったと心の底から感じる瞬間だ。


 とはいえ飲み過ぎるのはあまり良くない。行き過ぎるとお腹を下すし、程々にしておこう。


「あ~……空あおー……次はいつ雨降るんだー……」


 天気予報によると、来週いっぱいは晴れが続くと予想されていた。いや、一週間に一回くらいは雨降ってほしい。じゃないと日本国民全員天国に召される。


「……にしても、この公園まで来たのすごい久しぶりだな。全然変わってないなぁ景色」


 昔、幼少期は家族四人揃って遊びに来ていたが、小学校に上がってからは自然と訪れなくなっていた。


 インドアというやつだ。外で動く遊び──鬼ごっことか、そういうのは好きじゃない。だって疲れるし。汗をかく行為全般が嫌だし。


「⋯⋯散策してみるか」


 ベンチでダウン中の二人が心配ではあるが、まあ数分程度なら目を離しても多分問題ないだろう。


 グッと意気込んで足に力を込めると、俺は公園の敷地内を広く見渡すようにゆっくりと動き始めた。


「ほんと懐かしいなぁ⋯⋯今やもう十六歳、か。時間って早いもんだなー⋯⋯」


 数年が経っても何一つ変わりない公園の景色を楽しみつつ、ここでも響き渡っている複数の蝉たちによる鳴き声。


 蝉って鳴くのはオスだけなんだよな。短い寿命の中で、メスに対する求愛のためだけにこんなにジージーミンミンと鳴き続ける……何というか、儚い命だ。その生き様には同情するけど、しかし死に際のセミファイナルだけはどうしても許し難い。よって極刑。


「──ん?」


 回り道で歩いていた途中、草が生い茂った暗く目立たない付近で俺はある物体を目に捉えた。


「……段ボール?」


 引っ越し業者などでよく見かけるような、正方形の段ボール箱一つが木の下で不自然に置かれていた。


 ……なんでこんな場所に?


 見た感じ外面はさほど汚れておらず、けっこう新しめなように思える。


「……?」


 疑問に感じた俺は生い茂った雑草を踏みしめて近づいていき、段ボール箱の前で立ち止まる。


 うん、どこからどう見ても段ボール。


 ガムテープは剥がされていて、上のふたが軽く閉じられただけの状態だ。


 誰かが放棄したのだろうか? じゃなきゃこんな場所に置かれているはずないだろうし。


(なにか入ってるのかな……?)


 純粋に興味が湧いて閉じられたふたに手を伸ばそうとしたとき、


「にゃ~」


「ッ!?」


 聞き慣れない音が近くから聞こえてきて、俺は思わずビクッ! となって三歩くらい飛び退いていた。


「……ッ。にゃ、にゃー……?」


 音、というよりは、何かの鳴き声に近かったかもしれない。


 そして、聞こえてきた方角は間違いなく……。


「……ま、まさか……」


 俺は、今予想している考えが外れていることを願いながら再び段ボール箱に近づいていくと、意を決してそのふたをゆっくりと開いた。


 そして、開いた中から出てきたのは──



「…………ま、まじかぁ……ッ」



 敷き詰められた新聞紙の中で心細そうににゃあにゃあと鳴く、一匹の白い子猫だった。

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