2章 ︎︎夏のおとしもの ︎︎相川ひまり編

1.つつがなく平和な日常(改)

プロローグ 今年の夏は⋯⋯

「では、始め」


 担任教師の合図とともに、真剣な面持ちをしたクラスメイト全員が机に向かい、一斉にペンを手に取る。


 ──七月の上旬。


 絶対的な主役であると誇らしげに、見上げた先でサンサンと太陽が眩きを放っている夏の到来。


 今日は週末を控えた金曜日。高校二年目に入ってから初となる期末試験、その最終日だ。


(これは……確か……ああそうだ、先にaとbを代入して……)


 午前のラストで迎えた科目は数学、俺が最も苦手としている計算式である。


 ここまでの連戦、蓄積してきた疲労、そして空腹とで集中力が途切れてくる時間帯との相乗効果でウトウトと襲い来る眠気。


 くたばるわけにはいかない。どうにかこうにかここまで乗り越えてきた期末試験、継続してきた努力をここで全て水の泡にするわけにはいかないのだ。


 ……とはいえども、


(……む、難しい……)


 窓の外から聞こえてくる蝉の鳴き声をBGMに、教室では小気味いいペンの筆記音が静かに響き渡る。


 冷房が程よく効き、環境としてはこの上なく最適。


 しかし、


「……はあ」


 周りに聞こえない程度の小さなため息を吐いて、俺は悪戦苦闘中。


 正直なところ、俺の知力は並程度で特筆すべき長所がない。


 毎日頑張って自習と予習を重ねて、何とか平均点までに漕ぎ着けるといったところか。


(でも、今日で期末試験も終わり……午後の授業もないし、家でゆっくりのんびりくつろげる……っ!)


 そんな希望を抱きながら、俺は気を引き締めて再度ペンをグッと握りしめる。


 ……今頃、同じくして期末試験に挑んでいる智香ちゃんは余裕の表情なんだろうな。


 昨日の夜だって、智香ちゃんは一切勉強をせずに俺の元まで会いに来て甘えてくるくらいだし。


 ほんと、すごい変わったよなぁ、智香ちゃん。


 周りの視線なんてお構い無しに、ずっと俺のことばかり追いかけてきてくっついてくるし。


 おにいちゃん、おにいちゃんって言いながら無邪気に笑って慕ってくれて。


 なんか、美乃里以上に本物の妹みたいで。


 ──うん、めっちゃ可愛いッ!!


(じゃなくて。集中しろ俺)


 頭をブンブンと振り、改めて問題用紙と向き合う。


 ゆっくり確実に解答欄を埋めていきながら、数分、十数分と少しずつ時間が経っていく内に、心に僅かな余裕が生まれた俺は──ふと、


(夏休み……今年はどうなるかなぁ)


 二週間後に迫った夏休みに思いを馳せていた。


 智香ちゃんたち三姉妹と出会ったばかりの去年はそこまで印象に残っていないけども……。


(……智香ちゃんたちと、夏祭りとか行ってみたいよなぁ)


 浴衣とか、絶対似合う。


 天真爛漫なひまりちゃんには明るい色が、


 落ち着いた印象の紗彩ちゃんには暗めな色が、


 可憐で華やかな智香ちゃんは……どんな色でも調和して違和感なく着こなすんだろうな、うん。


 三人とも間違いなく可愛い。その時の状況を想像してみただけで、思わずにやけてしまいそうになる。


 親しい間柄になった今年ならきっと、去年とは異なる楽しい夏の思い出を残せるはずだ──と。


 気が早いとは思うが、高揚感に駆られてしまうのは仕方のないことだろう。


「……ふふ」


 密かに笑いながら、残りの問題文にも目を通す。


 高校二年目、期待に満ち満ちた青春の大本命。


 晴れやかな希望一色に包まれた日差しの中で、俺の心はどこまでも憂いなく、透明に澄み切っていた。

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