お隣の三姉妹はお兄ちゃんと呼びたいらしい

MOMO

序章 つつがなく平和な日常

第1話 三姉妹との出会い

 今からおおよそ一年前。長く続いていた隣の空き家のリフォーム工事が終わり、新築のように一新されたその一軒家に新しいご近所さんが引っ越してきた。


 母さんに聞くと、仕事都合で県外から転勤してきた五人家族だという。とても人当たりの良いご夫婦だそうで、これからは楽しいご近所付き合いになるだろうと母さんは上機嫌そうに声色を弾ませていた。


 俺としては……まあ、へえーみたいな。


 それっぽっちの関心で当初はさほど興味が湧かなかったのだが──転機が訪れたのは、翌日の週末。


『は、初めまして、相川あいかわ智香ともかと申します。こ、これからどうぞ、よろしくお願いいたしますっ!』


『……ども、相川紗彩さあやです。よろしくお願いします』


『相川ひまりっ、十歳ですっ!』


 ご近所挨拶に来たその一家を我が家の玄関先で出迎えると、穏やかな面持ちをした夫婦の背後から姿を見せたのは、華やかな雰囲気をまとった三人の女の子。


 それぞれが順々に名乗って三人は見交わすと、息を合わせるように礼儀正しく頭を下げてくれた。


 そんな彼女たちを目の当たりにしてすぐに、


(……かわいい)


 と、密かに心ときめいてしまう俺。


 妹の美乃里みのりを除いて、女性への耐性が皆無に等しい俺にとって、三人の姿はあまりにも眩しかった。


 柄にもなく緊張して、緊張のあまりに背筋をピンと張りっぱなしだったことを今でも鮮明に覚えている。


『あらあら、可愛らしい娘さんたちねえ。ほら、千尋ちひろと美乃里もご挨拶しなきゃ』


 母さんにそう催促され、俺と美乃里は言われた通りに挨拶を返す。


『は、早海はやみ千尋です。よろしくお願いします』


『……早海、美乃里。……よろ、しく』


 無難に済ませた俺だったが、隣で気まずそうにする美乃里は恥ずかしかったのか、挨拶をし終えると同時に俺の背後にササッと身を隠してしまう。


 昔から人見知りではあったけど、中学三年生になったばかりの当時もそれは一向に改善されておらず。


『こら、美乃里。そんな風にしていたら相川さんたちに失礼だろう?』


『……ッ』


 父さんから優しく諭されても、美乃里は俺にギュッとしがみついたまま離れようとはしない。


 人見知りな美乃里だが、兄である俺にはよく懐いていた。可愛い妹に慕われてとても兄冥利みょうりに尽きる。


『あーいえいえ、お気になさらないでください。私たちの方こそ突然お隣に引っ越してきてご迷惑をおかけしていると思いますし』


『妻の言う通り、不束者ですがこれからどうぞよろしくお願い致します。千尋くんと美乃里ちゃんも、これからよろしくね。娘たちとも是非仲良くしてくれると嬉しいな』


『あ……は、はいっ』


 丁寧な受け答えをする相川家の両親がお辞儀するのを見て、俺からも慌ててお辞儀を返す。


(……これから、俺が、この子たちと……)


 ……娘たちと、仲良く。俺なんかが、こんな可愛い子たちに近付いてしまってもいいのだろうか。


 もちろん仲良くしたいのは山々ではあるけど、誰の目から見てもこの三人は容姿端麗の美少女だった。


 唯一、ひまりちゃんはまだ十歳──つまり小学四年生ではあるが、このまま成長を重ねていけば間違いなく女性的な魅力に溢れた美少女になると思う。今の時点でこれだけ天使のように明るく愛らしいのだから。


 対して俺は、目立った長所のない普通の男子高校生。何となく毎日を生きているだけの平凡そのもの。


 この子たちと気安く馴れ合うのはあまりにもおこがましいのでは……そう、不安に感じていた時。


『……あ、あの。……ち、千尋、さんっ』


 栗色のショートヘア──恐らく三姉妹の中での最年長、智香ちゃんが俺の名前を控えめに呼んだ。


(ッ!)


 まさか、美乃里以外の女の子から名前を呼ばれる日が来ようとは……内心感激していた俺だが、当然それを知る由もない智香ちゃんは続けて声を発する。


『わ、わたしたちは、まだここに引っ越してきたばかりで、分からないことだらけで……友達も、まだ誰もいなくて。だからその、千尋さんさえ良ければわたしたちと仲良くしていただけると……う、嬉しいです』


 消極的な姿勢で、しかしながらも最後までそう言い切った智香ちゃん。


 それに同意するように紗彩ちゃんはこくりと頷き、ひまりちゃんはにぱーっと向日葵のように屈託のない笑顔を浮かべていた。


 ここまで好意的に見られて、いくら小心者の俺でも遠慮して引っ込んでいるわけにはいかない。


『も、もちろん。俺の方こそ気軽に仲良くしてくれると嬉しいっ……かな。あ、あはは』


 照れ隠しでつい苦笑してしまうと、同じように智香ちゃんも照れくささを隠しきれていないようだった。


 そして、それを微笑ましそうに眺めている俺の両親と相川家の両親。あんまりそう見られてしまうとどこでもいいから穴に入って頭を冷やしたくなってくる。


『おーおーどうしたどうした、顔が赤いぞー?』


『う、うるさいよ父さん。別に赤くないって』


『思春期ねぇ~』


『母さんも便乗してこなくていいからっ』


 面白がってニヤニヤと笑う父さんと母さん。この人たち、たまにこうやって年不相応にからかってくるからわき腹にどつきたくなる。そして無駄に長引くし。


『…………』


 美乃里は……相変わらずしがみついたままだけど。


 ──するとここで、


『おにーさんっ! ひまりと一緒にお話しよっ!』


 三姉妹の中での最年少、元気いっぱいでハツラツとしたストレートヘアのひまりちゃんが笑顔でピョンと前に飛び出してきた。


『えっ。お、おにーさん?』


『うんっ、おにーさんっ。おにーさんはひまりのおにーさんだからおにーさんなのっ!』


 ……な、なる、ほど?


 分かるようで分からないような言い分に若干戸惑う俺だったが、ひまりちゃんはそれを気にする様子もなく続けて口を開く。


『ひまりね、今日はおにーさんといっぱい仲良ししたいの! いっぱい仲良しすればもっとたくさんおにーさんのことを知れるからっ!』


『──ッ』


『ひまりもね、おにーさんにひまりのこといっぱい教えてあげる! 何でも聞いてほしいなー、えへへ〜』


 あまりにも純粋無垢で嘘偽りのない笑顔。冗談抜きでひまりちゃんが天使のように見えてくる。


 天真爛漫な魅力に当てられて小学生相手に内心ドキドキしていると──その横からフワッと間に入り込んできたのは、一本に束ねたおさげ髪が特徴的な三人目の少女、紗彩ちゃんだ。


『ひまり、あんま自分勝手に振る舞ってるとお兄さんが困っちゃうから大人しくしときなよ』


 ……中学生、だろうか? ひまりちゃんよりは年上で間違いなく、智香ちゃんよりは幼いように見える。


『えーっ、だってひまり仲良ししたいんだもんっ! さーやちゃんはおにーさんと仲良ししたくないの?』


『仲良しって言い方はちょっと恥ずいけど……まあ、ほどほどにって感じ』


『じゃあさーやちゃんもひまりと一緒におにーさんとたくさんお話して仲良ししよっ!』


『あ、あのねぇ……はあ。すみません、ひまりがちょっとはしゃぎすぎちゃって』


 申し訳なさそうに頭を下げてくれる紗彩ちゃんに対して、俺は少し焦りながらも『い、いや、全然大丈夫だよ!』と声をかける。


『むしろそう言ってくれて嬉しいよ。ひまりちゃんはとってもいい子なんだね』


『あはは……まあ、確かに悪い子ではないですけど』


『えへへー、おにーさんに褒められたっ!』


 紗彩ちゃんに向けてえっへんと自慢げに胸を張るひまりちゃん。一つ一つの仕草が本当に可愛らしくて、見ている俺もつい頬が緩んできてしまう。


『ははは、すまないね、千尋くん。ひまりはとても好奇心旺盛でやんちゃなものだから。何か迷惑をかけたらいつでも自分に言ってくれていいからね』


『い、いえ、とんでもないです。ひまりちゃんはとても可愛くて素敵な娘さんですね、本当に』


 相川家の父親さんに対してそう遠慮がちに恐縮する俺だったが──。


『~~っ、おにーさーんっ!!』


『えっ、うわっ!?』


 突如、ひまりちゃんは感極まったかのように俺に向かって飛びついてきた。


『へ、へぇえっ!?』


『んなっ!?』


 急なことに、目に見えて同時に驚きを隠せない様子の智香ちゃんと紗彩ちゃん。しかし一番驚いているのは当然この俺である。


 ひまりちゃんの温かくて小さな体と顔がぽふっと俺の胸元に収まり、さらさらで綺麗な長髪からは不快感のない清潔な香りがむずむずと鼻腔をくすぐる。


 そして、つい反射的に飛びついてきたひまりちゃんを両手で抱きとめてしまった俺だが、同じ人間とは思えないほどに肩幅が華奢で柔らかい。少しでも強く力を加えたらすぐに折れてしまいそうなほどだ。


『な、な、な、な……』


 飛びつかれた勢いで俺から突き放された美乃里も明らかに動揺を隠せていない表情。こんな様子の美乃里はちょっとレアかもしれない。


『おにーさんっ!』


 プハッと顔を見上げたひまりちゃんは再び純度百パーセントの笑顔を浮かべると、俺を見つめながら嬉しそうにこう口にした。


『これからいっぱい、ひまりと仲良ししよーねっ!』


『⋯⋯ッ、は、はは』


 ……こんなことを間近で言われて、否定なんて当然できるはずもなく。


『うん、そうだね。これからいっぱい仲良ししよう』


『うんっ!』


 正気になって俺からも笑顔で返すと、ひまりちゃんもより一層嬉しそうに笑顔を輝かせた。


 驚いていた母さんと父さん、相川家の両親も同じように笑みをこぼし、智香ちゃんと紗彩ちゃんも仕方なさそうに笑う。……唯一、美乃里だけはわなわなと肩を震わせていたけど。


 ──兎にも角にも、これが俺の行く末を大きく変えることとなった相川家とのファーストコンタクト。


 溢れんばかりに輝かしくて希望に満ちた、運命的とも言える三姉妹との出会いだった。

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