その桜はどれほど咲き誇るのか

春夏秋冬

第1話

 ――俺は駄目な人間だ。今になって本当、つくづく痛感した。

 自暴自棄になり、自虐しているわけではない。本当に俺は無能で、役に立たない底辺な人間だ。子供の時からそうだ。いくら勉強しても取り残される。運動会とかのかけっこなんかでも一番を取った記憶がない。

 努力も実らなきゃ、運の実も腐り落ちた。

 俺は一人息子で、親父の会社の跡取りだった。いずれか会社を継がなければならなかった。そんな重いプレッシャーが俺にはあった。それがどんどん重く圧し掛かり、俺を常に押さえつけていた。

 多分、それに耐えられなかったのだろ思う。不安や焦燥、劣等感が心から永遠と離れず、堕落した人間に付きまとう悪魔。そいつに弱った心をつけ込まれた。そして、重りを背負わされる。俺はその重さに耐えた。だけど、重くなるにつれてその重さが耐え切れなかった。手にしていたモノが腕から暗闇に零れ落ちた。


 ――量りでは数値を決められない大切な重みが。




 平日の公園。

 俺は出社する時にいつも着ていたスーツを身につけ、春風に当たりながら呑気に雲を眺めていた。そして、ゆっくりとベンチに近づき無造作に腰を下ろした。膝の上に肘を乗せ、指を組む。その指の形状をただただ目視していた。無気力者のように。

 ――会社が倒産した。

 シビアにはしたくないのだが、頭の中では終始その言葉で埋まっている。しかし、この言葉はどちらかといえば不適切な表現である。正確な言葉で言い直すと、倒産しかかっている、が正しい。だけれど、もうすぐ前文のような表現が正確な言葉になってしまうだろう。

 親父が五十六の若さで亡くなった。心臓発作で突然死だった。それから、自然な流れで親父の後継者が俺に決まった。

 会社は曽祖父が設立したものである。以外に長い間社会に進出していた。それにもかかわらず、俺が引き継いで二年の内に、多大な借金を残し、さらに失業者も沢山出してしまった。長年続いてきた会社を俺の監督不届きであっさりと潰してしまった。

 不況の所為だ。そう責任転嫁が安々とできれば苦労はしない。

 俺は運がない。そうだからしょうがない、と開き直りたいのも山々なのだが、周りは優しく見てはくれない。冷めた鋭い目だけが刃のように向けられる。

 そんな失墜の中、逃げるようにしてこの公園で自責する。もう後戻りの出来ない後悔に胸をつかせ、頭を抱え、絶望していた。涙もかれた。目じりに水溜りが一つも出来やしない。

 俺は深いため息をつく。

「どうかされたのですか?」

 俺ははっと顔を上げた。まさかこんな酷く落胆しているオッサンに話しかける奴がいるとは予想しなかったからだ。

 心配するつもりであるのならば、一人にさせてもらいたかった。大きなお世話だし、矜持に響く。もっとも、それは腐り果てている様なものだが。

 俺は消えてくれと懇願するのだが、やや低く澄んだ声は喋るのを止めなかった。それだけではなく、俺の横に臆面も無く座るのだった。

 眉をひそめて、そいつを流し目でねめつける。

 そいつは髪を短く綺麗に整えて、少し童顔であった。薄く頬をゆるませ、愛想をふるう。恐らくこの少年は大学生、または社会人になりたての小僧だろう。背筋をビシッと伸ばし、悠々と座っていた。

「すみません、図々しくて」

 少年はまず侘びを入れる。分かっているのなら自重してもらいたい。さらに少年は続けた。

「何だか、あなたが困っていたものですから」

「……」

 俺は黙って立ち上がる。ひどく気分が悪くなった。

「待ってください」必死に呼び止められる。「気を悪くしたのなら謝ります。ごめんなさい」頭を深々と下げる。反応に困った。「ボクはこういう者なのです」そう言って一枚の名刺を手渡された。



 『相談屋』    花三田 清二




 名刺にはシンプルにそう書かれていた。

 相談屋。そうすると花三田という少年は商売で俺に近づいたということだ。ガキに足元を見られたことに腹が立った。なによりも見られてしまう自分自身にも腹が立つ。

「自分の成績を伸ばすために人の弱みに付け込んでカモにしようってか? 願い下げだ」

 名刺をつき返した。そもそもこいつには何か胡散臭い空気がしてやまない。どうせ悪徳業者だろう。

「やっぱりそうですよね……。いきなりこんな奴に言われたら立腹しますね。気分を害してしまって申し訳ありませんでした」

 丁寧に頭を下げた。どうせ同情を誘うという魂胆だろう。他の人たちは騙せても、俺は騙されなんかしない。そういう目にはもう幾度か経験している。

「まだ創ったばかりなもので、勝手が利きませんでした」

 自嘲気味に笑った。

「うん? 創ったばかりって、自営業なのか?」

 花三田の言葉が突っかかり、無意識のうちに質問をしてしまっていた。

 花三田は俺が話に乗ったのがうれしかったのか、表情が豊かになった。

「申し送れました。ボクがこの『相談屋』社長の花三田はなみだ清二《しょうじ

》です。よく、「はなさんた」とか「せいじ」とか間違われますけどね」

 ハハハ、と呑気に笑う。「困っています」と口にしたが、表情からはそうとは思えなかった。

「社員はボクも含めて二人だけで、会社として機能しているのかも怪しいですよ」

 俺はそれを黙って聞いた。慎重に奴の動向を調べた。

「相談屋ってのは、主に何をやる仕事なんだ?」

「言葉通りの意味です。困った人の相談を受け、その悩みを解決させていただくといった仕事です」

 ねっ、とウインクしてきた。コイツのキャラに対応できず、難航している。悩みを解決する奴に悩みを抱えさせられるというのは、一体どういう矛盾だろうか。

「要するに、お前は俺からたかろうって魂胆だろ? だから近づいてきた」

 そういうと、花三田は狼狽して、「いえいえ、とんでもない」と大手を振る。「まいったな……」と息を吐いて、後頭部を掻いた。

 俺の中の花三田の評価が怪しくなる一方であった。

「そんな身構えないで下さいよ。ボクは商売をしに来たのではありません」と、苦し紛れに近い弁明を始める。

 怪訝に花三田をみつめた。一層困り顔になり、苦笑いを浮かべる。

「なんと申し上げればよろしいのでしょうか……。えっと、これはボクの商売感といいますか、信念と申しましょうか……そもそもボクは、この稼業はお客さん自身の意思でボクの事務所まで来ていただき、相談を受け、そして依頼された時に金銭が動くものと考えております。なので、今回のケースのようにボク自身から動く場合に関しては、ボクの理念がそれを許しません。だから商売とはなりえません」

「つまり、どういうことだ?」

「そうですね、つまるところ、ボクのお節介です」照れながら言った。「今回は、ボクからのわがままの様なモノです。もちろん、御代は結構ですし、大きなお世話でしたら、引き下がります」

「……」

 人がイイと言おうか、生真面目といおうか……。しかしいくら言動が良いからと言って、それが必ずしも好印象になるとは限らない。俺が第一に関したものは、「偽善」その二文字でしかなかった。

 尾の長いため息をついた。

 俺も人が良いのか分からない。いや、ただ単にだれでもいいから悩みを、愚痴をこぼしたかったに過ぎないのではないのか。まあいい。

佐木山襄さきやまのぼるだ。佐木山、そう呼んでくれ」

 花三田はその言葉を耳にすると途端に相好を崩し、「はい。ありがとうございます。佐木山さん」と、陽気な笑顔をふるった。

 しばし無言のままその笑顔を眺めていた。

「それでは、お話に入りますか……」

「ちょっと待て」

 ストップと、仕事モードに入りかかった花三田の流れを断絶した。花三田はキョトンとこちらを見つめたが、周りを気にする俺を察し、笑顔に戻り席を立った。

「ボクの事務所でよろしいですか?」

 俺は後に続いて立つ。

「いいや、俺の家でいい。そこの方が話しやすい」

 花三田は即答で「分かりました」と返す。微笑を浮かべて頷く。

「すぐそこだ。徒歩でいける」

 花三田を先導しようと前へ出た。

「行こうか」と、花三田が急に人が変わったように、口調が変化した。

 俺は思わず花三田を振り返ってしまった。声の調子は変わらなかったが、花三田の代名詞のような敬語を使わなかったので驚いてしまった。そして振り返ってからもまた驚かされた。

 先ほどまで俺達が腰を下ろしていたベンチの後ろに、見知らぬ少女が平然と直立していた。花三田の言葉にこくりと頷いて、よぼよぼと腰ぐらいまである杖を地面に突いて歩き出す。すぐに花三田が手を貸すと、スラスラと歩くようになった。

 少女はセミロングで、目を細めるように僅かにまぶたを開け、色のない表情で歩を進める。背丈的にまだ小学生だろう。多分五年か六年生ぐらいの少女だ。

 その少女は花三田に随分な信頼を寄せているのか、安心した表情で花三田の手を借りている。肩を並べて歩く二人は年の離れた兄妹のようであり、仲の睦まじきことだった。

 少女はガーディガンを羽織って、膝の皿が隠れるまでのロングスカートを履いていた。

「その子は?」

 一体いつからそこにいたのだろうか。気配も何も無かった。花三田が話しかけてきたときからなのか。その時から、ずっと無言のまま背後にしのび立っていたのか。

「紹介が遅れました。もう一人の社員で、ボクの助手です」笑みながら少女の肩に手を乗せる。

 その助手とやらの少女は、明後日の方角を見つめ、誰かにお辞儀をした。

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