スケイルマン

popurinn

第1話 プロローグ

           プロローグ


 見渡す限りの大海原。

 島の影、鳥の姿一つ見えない。どんよりと曇った空がどこまでも続き、船は一本の小枝のごとく、盛り上がっては沈む波に揺られている。


 ここは南太平洋。遠く日本から、一万キロも離れた場所。

 船は、まだ旅を続ける。

 向かう先は、ニュージーランドと南アメリカ大陸のちょうど中間あたりに位置するガンビエ諸島。その中にある、ラパ・マケ島だ。



 ラパ・マケ島はというのは、未確認生物(UMA)が存在すると言われて久しい島だ。

 UMAというのは、昔からいると言われているけれど、存在が証明できていない生物を指す。ツチノコとか、有名なところだと、ネス湖のネッシーとか。ヒマラヤにいると噂されているビック・フットなんかもそうだ。


 この島に未確認生物が棲んでいるとネットで話題になったのは、四年くらい前だっただろうか。マンチェスター出身のイギリス人の大学生が、怪しげな画像をユーチューブにアップしたのが始まりだった。


 アップされた画像には、UMAの脚が映っていた。ウロコだらけの、人間の脚にワニの皮をくっつけたような代物だった。

イギリス人学生は、この生物を、スケイルマンと名づけた。スケイルは英語でウロコのことだから、ただ見たままを付けたってわけだけど。


 次にスケイルマンをネット上に載せたのは、チリ人の漁師だっていうおじさんだった。三十代の後半ぐらいの、ガタイのいい、本物の漁師だ。彼の動画によって、スケイルマンは、市民権を得たと言える。画像もはっきりしていたし、漁師という職業柄か、海に出てカメラを回したのもよかった。小舟に乗って、海から顔を出したスケイルマンを撮ったんだ。

 

 この画像にはびっくりさせられた。魚の頭部が人間の顔だったんだから。もちろん、鮮明な画像でじゃなくて、海から顔を出したところで、波がかぶって、どこからどこまでがスケイルマンの頭なのか、正直はっきりしなかったけど。

 でも、人間には想像力というものがある。特に僕は想像力がたくましいほうだから、これはスケイルマンだと確信した。

この画像を見てからというもの、僕の頭の中から、スケイルマンが離れなくなってしまった。

 なんとしてでも、自分の目で見てみたい。そう思い始めるのに、時間はかからなかった。




 そもそも、僕がUMAに興味を持ったのは、受験勉強に本腰を入れないとまずいと感じていた高校三年になる春の頃だ。勉強の息抜きに、UMAの載った怪しげな雑誌を買ってきて、奇妙な姿の生きものを眺めたのが始まりだった。


 本格的にのめりこんだのは、大学に入ってから。僕が入学した大学には、UMAを研究するサークルがあり、そこに、僕なんか比べ物にならないほど凝ってる人たちがいて、彼らの影響ですっかり夢中になってしまったのだ。

先輩たちの間でも、スケイルマンは話題になっていた。でも、まさか、自分で探しに行こうと思う者はいなかった。

 ラパ・マケ島へ行くのは、伊豆へ行くのとは訳が違う。二、三日で行ける場所じゃないし、何より、旅費が高額だ。イースター島やタヒチ島のように観光化された場所じゃないから、アクセスがものすごく悪い。しかも、ラパ・マケ島は、島民は五十人足らずという、小さな小さな、世界から忘れられたような島だ。宿泊の手配に始まり、すべてオーダーメイドで決めなくてはならない。


 サークルのみんなと同様、ユーチューブの画像だけで我慢しよう。そう思っていた矢先、僕はサークルの安曇【あずみ】という男に声をかけられた。

 大学の帰り、東京郊外の、武蔵野の名残りのある、片側が林になった田舎道を駅まで歩いているとき、

「一儲けしないか?」

と、安曇が言い出したのだ。

 安曇はサークルの中で、UMAマニアとして先輩たちからも一目置かれている存在だった。学業も優秀らしく、教授の覚えもいいと聞いている。色白の顔にウェリントン型のメタルフレームの眼鏡をかけたオタクって感じの風貌だが、妙に凄みを感じさせる目つきをしているせいか、独特の世界観を感じさせる男だ。

「一儲けって、どういう意味?」

 僕が訊くと、安曇はちょっとずるそうな表情で続けた。

「おまえ、しょっちゅうバイト、入れてるだろ?」

「ああ」

 週に四日、僕は大手チェーンのカフェでバイトをしている。僕の日常を、安曇が知っていたのには驚かされた。後から思い返せば、誘い易い人間を物色していたのだろう。

「時給、いくら?」

東京都の最低賃金しかもらってないと答えると、安曇はふふっと鼻で笑った。

「そんなことしてるより、もっと簡単に大きく儲ける方法があるんだよ」

怪しげな投資話でも持ちかけられるのだろうか。僕は思わず身構えた。ところが安曇が提案してきたのは、めずらしくもない話だった。

 動画をアップするんだという。アップする動画はスケイルマン。そうすれば、登録者数は少なく見積もっても一万は軽いだとか、探索の模様をライブで公開すれば投げ銭  がもらえるとか、様々な構想を語り出した。


「だけど」

 僕は水を差さずにはいられなかった。

「UMAなんてさ、一部のマニアだけに人気があるものだよ。何万って数の人が見るとは思えないけど」

「スケイルマンの動画は、二十万回は再生されてる」

 安曇の言う通りだが、それはとても珍しいケースではないか?

 すると、安曇は、目をキラキラ輝かせた。眼鏡を取れば、案外端正な顔立ちをしていると思える安曇は、その高く形のいい鼻の上で眼鏡を上げると、

「ターゲットはキッズだよ。キッズに夢を与える。これがコンセプト」

と、言い放った。

「子ども?」

 僕の興味がちょっと上がった。たしかに、キッズ向けというのはいいかもしれない。人気動画はキッズ向けと相場が決まっている。

「そう。例の二十万回再生されたスケイルマンの動画だけどね、あれじゃ、ダメだよ。もっと鮮明じゃなきゃ」

「そんなの無理だよ。実在するかどうかだってわかんないのにさ」

「実在、する」

 安曇の目は真剣で、ああ、やっぱりこいつは本物のUMAマニアなんだと、僕はあらためて思った。そして、「一儲け」なんて言っても、本心はスケイルマンを見つけたいだけなんじゃないかと思えた。安曇が一儲けと言ったのは、僕を釣る方便だったのかもしれない。ほんとうは、純粋に未確認生物を自分で見つけたかったのかもしれない。

 安曇は語り始めた。

 スケイルマンは必ず存在する。その証明をしてみせようじゃないか。

 聞いているうちに、徐々に僕の気持ちに変化が訪れた。

「な、夢を追ってみようぜ」

 僕の心は揺さぶられた。こんなに熱い気持ちになるなんて、初めてだった。

 これまでの僕には、夢中になれるものなんてなかった。割合要領のいいほうで、学業でも友人関係でも、あんまり苦労をした覚えはない。自分で言うのもなんだけど、危険回避能力に優れているというか、まずい事態を事前に躱せるんだ。ほどほどというのを見極められるのかもしれない。人が羨むような成功もしてこなかったけれど、大失敗もなかった。

 だけど、いつからだろう。自分がどこへ向かっているのかわからなくなった。夢中になれる何かがなくて、やらなきゃならないことをこなしていくだけの毎日が、とてつもなくつまらく思えてきた。


 夢中になれる何かが欲しい。


 そう思う気持ちは、いつも心の片隅にあった。

 でも、それを手に入れるために何をしていいのかわからなかったし、一人で行動するのは不安だった。


 もともと僕は一人が嫌いだ。

一人でいると、なんとなく不安になる。

 幼い頃からそうだった。だから、僕のまわりにはいつも誰かがいた。もちろん、それを『友達』という。僕を知っている誰に聞いたって、僕のことを、友達が多いやつ、そう表現するだろう。

 つるむって、楽だ。気を使うといえば使うけれど、一人の不安に比べたらずっといい。

もし、ラパ・マケ島へ、一人でスケイルマンを探しに行けと言われたら、僕は絶対に腰を上げなかっただろう。リーダーシップがある安曇が誘ってくれたからこそ、行く気になったのだ。




 話が決まると、僕と安曇の行動は早かった。大学二年の夏休みに決行日を決め、僕はカフェのアルバイトを辞め、警備員と引越しの仕事の掛け持ちで、安曇はラーメン店と運送のバイトの掛け持ちで旅費を捻出しようと頑張った。

 稼いだのは三十万ほどだ。それでも、まだまだ足りない。安曇が調べたラパ・マケ島までの金額は、旅費だけで約六十五万。稼いだ金に、持っていた貯金の七万ほどを足しても、赤道を超えたあたりで力尽きてしまう。

 資金足らずを悩む僕に、安曇は言った。

「借りればいいじゃないか。必ず元が取れる話なんだぜ、これは」

安曇に押されて、残りの金額は、叔父に借りることにした。叔父は都内で整形外科医をしている裕福な人で、子どもがいないせいもあって、僕をかわいがってくれていた。難色を示した父親と違い、快く資金の提供をしてくれたのだ。

 こんな僕と違って、安曇は全部自分で工面した。いつかはUMA探しに出たいという夢を、ずっと前から持っていたという安曇は、そのために高校生の頃からアルバイトをしていたらしい。三桁の貯金がある大学二年生なんて、尊敬モノだ。



 いろいろ紆余曲折はあったけど、出発の日は、夏休み中の七月二十七日と決まった。

 僕としては、おばあちゃんの法事がある二十八日過ぎがよかったんだけれど、安曇がどうしてもこの日じゃないと駄目だと言い張った。普通の旅行と違って、この旅は、南太平洋へ着いてから島へのアクセスを考慮しないと決められない。航空便も船便も極端に少ないのだ。だから、安曇に従うしかなかった。

 

 当然ながら、日本からラパ。マケ島までの直行便なんてない。まずは午前に成田空港を出発し、約十一時間かけてタヒチに着くのが夕方。そこで一泊し、翌日ガンビエ諸島の中にあるマンガレバ島へまた飛行機で約四時間半かけて移動する。ここまで来ると、もう、目的地に着いたような気分になるが、まだ旅の半ばだ。

 マンガレバ島からラパ・マケ島へは、船に乗る。ラパ・マケ島に空港はなく、船で向かうしか方法がないからだ。しかも、その船は、イギリスが運行する物資を運ぶ貨物船だ。これに二日半乗り、ようやくラパ・マケ島へ到着する。

要するに、二十七日に日本を発って、ラパ・マケ島へ到着するのは、三十日の夕方となる。

 

 ネットで島の宿泊先の手続きを始めた頃、同じサークルの首藤が参加したいと言ってきた。首藤は九州の鹿児島の出身で、高校時代ラグビーをやっていたというガタイのいい男だ。体型を考えても、首藤を連れて行けば心強い気がしたし、首藤は地方の名士の家の息子だとかで金も持っていたから、旅費の心配もいらなかった。

ただ、どうして首藤が?という疑問は残った。UMA研究会に属しているといっても、首藤は席を置いているだけの幽霊部員だったし、スケイルマンの話題にも、それほど興味を掻き立てられているふうもなかった。

 そんな首藤が、なぜ?

 僕の予想では、首藤は負けず嫌いのところがあって、自分も注目されたいと思ったんだろうと思う。その頃、僕と安曇は、リアルな冒険に出る者として、ちょっとした羨望のまなざしを、みんなから集めていたからだ。

 ともかく、首藤も参加し、僕たち三人で、ラパ・マケ島を目指すことになった。サークルの期待の星、安曇と、何かと目立ちたがりな首藤。役者は揃ったと言えた。首藤が加わったことで、僕の存在はますますオマケって感じになってしまったけれど、それは仕方ない。

 

 とうとう出発が決まったときの、サークルのみんなの尊敬の眼差しは、今思い返しても胸が熱くなる。部長の荒木さんや副部長の沙也加さんなどは、忙しい就職活動の合間を縫って、壮行会を開いてくれた。長尾峡【ながおきょう】くん、バンザーイ。首藤洋太【しゅどうようた】くん、バンザーイ。安曇蒼二【あずみそうじ】くん、バンザーイ。あの声援がまだ耳に残っている。

 

 スケイルマンは、ほんとうに存在するんだろうか。

 不思議なもので、ラパ・マケ島への計画が具体化してくるほど、スケイルマンの存在を信じる気持ちが強くなった。

 そう。それは言ってみれば、徐々に夢の中へ入っていくような感じだ。

 日本へ戻るときを思うと、胸が躍る。スケイルマンを見つけ、僕たちはヒーローになっているだろう。

「あっ」

 傍らの安曇の声に、僕は顔を上げた。

 水平線に何か見えてきた。

 ラパ・マケ島だ。まだ豆粒ぐらいの大きさしかないが、久々に見る陸地に胸が弾む。

 風は追い風だ。

 時刻は九時七分。

 僕は大きく息を吸い込んだ。



第一章   ラパ・マケ島 一日目



「ウオオーォ」

 はじめに叫んだのは、首藤だった。

「ヒューッ」

 安曇も喉を鳴らし、デッキから身を乗り出す。

上下する波間の向こうで、島が徐々に大きくなっていく。

空は灰色だ。風が吹き付けてくる。水しぶきが頬に散る。

 

 何度もグーグル・マップで確かめたとおり、島は、M字型をしていた。Mを形作っているのは、標高三百メートルほどの二つの休火山だ。もっこりと膨らんだ二つの山が左右に並んでいる。緑に覆われている場所と、禿山となっている場所の差が激しい。海岸線は、断崖絶壁だ。

 

 想像以上にさびしい印象だった。天の神様が大地を創造したとき、ひとしずく、ここに落し物をして、取りに来るのをわすれたんじゃないか。そんなふうに思えるほど、大海原の中に、島がぽつんと浮いている。

まさに、絶海の孤島。

 目指す島が明るい楽園ではないとわかっていたはずなのに、僕の胸には不安が広がった。灰色の雲のせいかもしれない。強すぎる風のせいかもしれない。それとも揺れた船のせいで、ひどい船酔いだったからかもしれない。

 気温は、南半球の七月にしては暖かい二十二度。ただ、吹き付ける東風が、体感温度を下げている。


「なんだか」

 僕は貨物船の古びたデッキの手すりを握り締めた。

「怖いっていうか」

「うん」

 被っていたキャップを脱ぎ、首藤も神妙な顔つきになった。さっきまでの勢いを無くしている。

「この世の果てって感じだよ」

 安曇が呟いた。メタルフレームの眼鏡を外し、瞬きを繰り返す。

 僕らは黙ったまま、デッキに立ち尽くして、近づいてくる島を見つめ続けた。ゆらゆらと木の葉のように揺られながら、ただ次第に大きくなる島を見つめ続けた。

 

 二日半寝食を共にしたほかの乗船客が、まばらにデッキに出てきた。数にして、十人ほど。カナダ人やスペイン人。ドイツ人もいる。初老の夫婦が二組と、残りは一人旅だ。

 写真を撮る者。僕らのように、黙って島を見つめる者。どの顔にも、疲労感が漂っていた。貨物船での船旅は、快適とは言えなかった。

 船のエンジン音が変化した。速度を落としたのかもしれない。

 次第に波は穏やかになり、舟の上からも海面下が見え始めた。グロテスクな黄色い色をした魚の群れが泳いでいく。その下の、ゴツゴツした岩や、蛇のように揺れている海藻。ときどき、大きな影も見かけた。サメかエイかもしれない。

 


 島に近づくにつれて、石ころだらけの海岸線が見えてきた。Mの字の真ん中辺りが緩くカーブして湾になっている。船はその湾にある港を目指しているようだ。

湾の端のほうに、小屋が見えた。その前からコンクリートの桟橋が突き出ている。島民が集まっていた。貨物船に積まれた物資を受け取るのだろう。

 やがて船は止まり、下船が始まった。ほかの乗客らと簡単に別れを告げ、先を急ぐ。

いまだ体が揺れている気分で地面に足を下ろした。桟橋は短く、その先は整地されていない空き地になっている。空き地のすぐ先は、もう、山へ入る坂道が覗く。山肌には、くたびれた様子のヤシの木がまだらに生えている。木のない場所は、赤土がむき出しだ。船上から眺めたとおり、殺風景だった。


 港には、僕らが宿泊する部屋を貸してくれる島民が迎えに来てくれているはずだった。この島に、観光客用のホテルやコテージはない。代わりに、島民たちが順繰りで、自宅を部屋貸しする。

 キャンキャンと吠える犬の鳴き声とともに、訛りの強い英語で、安曇の名を呼ぶ声がして、僕たちは声のするほうへ顔を向けた。胸の前に子犬を抱いた女性が、こちらに向かって走ってくる。

 彼女の名前は、メアリー・テ・カナワ。

 名前から想像したとおり、白人とポリネシアンの中間といった顔立ちの女性だった。ココア色の肌。大きな目と真っ黒な髪。もちろん、太っている。着ているオレンジ色のTシャツがはちきれそうだ。


「ようこそ」

 彼女が声を上げた途端、地面に下ろされた犬が吠え始めた。黒くて丸っこい小型犬だ。

「うちで飼ってるブブなの。犬が嫌いじゃないといいんだけど」

 僕と安曇はしゃがみこんで、犬の頭を撫でた。

「何歳ですか」

 安曇は目尻を下げている。初めて知ったが、安曇は無類の犬好きのようだ。

「まだ一歳。かわいいでしょ。ニュージーランドの家で飼ってるんだけど、今回は島に連れてきたの」

 尻尾を振りながらクウウンと甘えた声を出し始めたブブのおかげで、僕らは一気に打ち解けることができた。

 彼女の家は、山の中腹にあるという。

「七泊八日で間違いないわよね?」

「そうです。よろしくお願いします」

 安曇がカタコトの英語で答えた。読み書きが得意で、旅の手配を全部英語でやってくれた安曇だが、しゃべるのは苦手だ。

 反対に、しゃべるのが得意なのは、首藤。首藤はアメリカの西海岸の大学に、語学研修に行った経験があるとかで、ネイティブ並の発音でしゃべる。僕は、安曇のしゃべりよりはちょっとマシな程度。中学の頃からずっと続けてきた英語の通信教育で独学をしたおかげで、日常会話程度ならわかる。

 ラパ・マケ島は、イギリス領だ。現地の島民は、訛りはひどいものの英語を使う。この点も、UMA探しには有利だった。島の情報を聞き出すとき、ポリネシアン諸島の島々のようにフランス語では手も足も出ない。


 首藤がメアリーさん相手に、世間話を始めた。二人の会話によると、メアリーさんは、普段は娘夫婦といっしょにニュージーランドで暮らしているらしい。この島の生まれだが、何年か前から、島に戻るのは、家に宿泊客があるときだけだという。要するに、島民の暮らしぶりは、ニュージーランドのそれと大差ないのだ。

 メアリーさんと首藤の会話は続く。

「こんな遠くまで、何しに来たの?」

 UMA探しに来たと首藤が答えると、

「以前にも、そういうのを探してる人が来たわよ」

「どこを探してたか、知ってますか」

「洞窟へ行ったと言ってたわね」

 僕らのテンションが一気に上がる。拳と拳を合わせて喜んだ。やったね。先行きは明るい。

 と、振り上げた安曇の拳が、空中で止まった。

「なんで?」

 安曇は集まった島民の、その輪の向こうを見ている。

「なんであいつがここにいるんだよ」

安曇の視線の先には、日本人の女の子がいた。大きな目のはっきりした顔立ちと、真っ直ぐな長い黒髪。白い肌に、鮮やかなオレンジ色のビキニが眩しい。

彼女は満面の笑顔で、こちらに向けて手を振っている。

「知り合いなのか?」

「ああ、知ってる」

 答えた安曇に、首藤がヒュッーと喉を鳴らす。

 彼女は笑顔のまま、手にしていた花柄のスカーフのような布切れを、はらりと体に巻きつけた。それから布の端を手早く結び、さっと下に引っ張ってスカートを作り上げる。その仕草は、日本人離れしていた。まるで、ずっと前から南太平洋にいたかのようだ。

 そして彼女は、真っ直ぐ僕たちの方へ向かってきた。島民たちが、まるで女王様のお通りみたいに道を開ける。

安曇は声を忘れたように何も言えないまま、ぽかんとした表情で、やって来る彼女を見ていた。


「こんちは」

 そう言ったのは、安曇ではなく首藤だった。


「こんにちは」

 彼女は順番に僕らに顔を向けて、親しみのこもった笑顔を向けてきた。僕らは馬鹿みたいな表情をしていたと思う。こんな場所で日本人と会ったこと自体驚きなのに、安曇の知り合いなのだ。しかも、彼女はかなり美人だ。

 彼女からは、甘い日焼け止めのオイルの匂いがした。そして、ビキニと同じオレンジを思わせる柑橘系の香りも。

「奇遇ね、安曇」

柔らかな見かけと違い、低くて意志の強そうな声だ。

「なんで?」

 安曇は馬鹿の一つ覚えみたいに呟く。まるで幽霊でも見たときのような表情だ。

「美月(みつき)、どうしてこんなところに」

「それはこっちが言いたいセリフ」

「四年ぶり?」

「そういうことになるかな?」

「びっくりしたよ」

「わたしもよ。こんなところで中学のときの同級生に会うなんて」

「ああ」

「高校のときは一度も会ってないわよね。それに今年の三月にあった同窓会、安曇、来なかったでしょ」

「ああ。ちょうどバイトの日と重なってたから。おまえ、行ったの?」

「行ったわ。あんまり行きたくなかったんだけど、幹事がどうしても着てくれってうるさかったから」

「おまえ、有名人だから」

安曇がそう返したところで、どうもと、首藤が声を上げた。安曇が目を覚ましたかのように、僕と首藤を紹介する。

「友達。大学で同じサークルの仲間なんだ。いっしょにここに来た」

「首藤です。首藤洋太。それで、こいつは長尾峡」

 僕の分まで言って、首藤は片手で前髪を額に撫でつけた。女の子といるとき、首藤がよくやる仕草だ。長めの前髪をそうして撫でつけると、確かに首藤の中高の端正な顔は、ますます凛々しく見える。

「よろしく。佐藤美月よ」

 言い方が大人びていた。多分、ぱっと見で、僕らよりは二、三歳年上に見えるだろう。濃い目の化粧も長く伸ばした爪も、大人の女という感じだ。反面、僕らといえば、二浪している首藤がどうにか年相応に見えるものの、安曇と僕はどう見たって高校生にしか見えない。安曇はマッシュルームカットに銀色の丸眼鏡。僕はここに来る前に忙しくて髪を切りに行く暇がなかったせいで、ストレートの前髪が伸びすぎている。

 すかさず首藤が訊いた。

「美月さんとはどういう知り合い?」

「中学んときの同級生なんだよ」

 安曇はおもしろくなさそうに、言う。

「へえ。中学のときの同級生と、こんな遠い島で再会かよ」

 実際嘘のような光景だった。日本人と会うことすらめずらしいであろうに、知り合いと再会するなんて。

「すごい偶然だわ」

 美月さんもしきりに頷き、目を丸くしている。

「サークルっていうのは」

 彼女が僕ら三人を順番に見た。

「僕ら、UMAを探しに来たんだよ」

 首藤が言った。ちょっと声が上ずっている。

「UMA?」

「そう。僕らはUMA研究会の仲間で。それで、この島にUMAを探しに来たってわけ」

 彼女の目が大きく見開かれた。キラキラしていた瞳が更に輝く。

「信じられない。わたしもUMAを探しに来てるのよ。この島にいるかもしれないっていう、スケイルマン」

「え」

 安曇は絶句したが、

「やっぱり?」

と、首藤が返す。首藤のノリの良さには感心させられる。だが、おかげで、一気に場が和んだ。

「そうじゃないかと思ったよ。そんな用でもなきゃ、観光で来るようなところじゃないし」

「いつからこの島に?」

 そう訊いた安曇の声はまだ硬い。

「二日前よ」

 まるでハワイのホテルに滞在してるのと言ったような、軽い返事だ。

「見つかった?」

 首藤が訊く。

「いろんな情報は入ってきてるわ」

 安曇が割って入った。

「おまえがUMAに興味があったとは、驚きだよ」

 彼女は不敵といえるような表情になった。

「これを見れば、わたしのマニアぶりがわかってもらえるかな」

 そして彼女はポケットからスマホを取り出すと、これ見てと、画面を僕らに向けてみせた。

「あ、キューブ」

 思わず声を上げた僕に、彼女は余裕の笑みを返す。

 キューブというハンドルネームの投稿者は、最近のUMA動画では有名だった。実際のUMA目撃談を語ってはいないが、UMAが目撃されたという場所を、科学的に検証して真面目に考察しているのだ。といって、退屈な動画ではなく、しっかりエンタメ要素もあった。

 初投稿されたのはつい最近だが、順調にアクセス数を伸ばしている。

「すげえ、美月さんがキューブってこと?」

首藤が叫んだ。

「わたし、凝り性だから」

 照れてはいるが、マニアとしての自信と自負を感じる。

「この島は、絶対に、いる。そう踏んでやって来たのよ」

「キューブが言うなら、間違いないと思えるよ」

 首藤はすっかり彼女に傾倒している。

「どの辺りを探すつもり?」

「探そうと思ってる場所は四ヶ所あるんだけど」

「すごいな。四ヶ所もあるんだ」

「少ないくらいよ。ほんとは島全体を探し回りたいけど、日程的にそうもいかないから」

 学生の言い方とは思えなかった。ビジネスマンのような、大人びた雰囲気がある。

「島にはいつまでいるつもり?」

 安曇がおもしろくなさそうに、訊いた。

「残り八日ね」

「じゃ、俺たちといっしょですよ」

にやけて首藤が言う。安曇は憮然とそんな首藤を見つめる。

 そのとき、先で僕たちを待ってくれていたメアリーさんが、

「早くいらっしゃい」

と声を上げた。

「あ、行かなきゃ」

 安曇が安心したように言い、僕と首藤はそれぞれ荷物を持ち上げた。

「じゃ、また」

 僕も続く。首藤がすかさず美月さんの宿泊先を訊いた。

「リアムさんのところよ」

 そして美月さんは微笑んだまま、

「お互いがんばりましょ」

と手を振った。


「驚いたな、まったく」

 メアリーさんの家に向かいながら、首藤が何度目かのため息を漏らす。

「あんな美人と、こんな島で出会えるとは思ってもみなかったよ」

 島の道は、絶海の孤島だというのに、アスファルトで舗装されていた。整地されたのは最近なのだろう。アスファルトの色がまだ新しい。リードにつながれたブブが、僕たちのまわりを転がるように走り回る。

「美人かね?」

 安曇がふてくされた声を出した。

「希に見る美人だな。大人っぽいし、とてもおまえと同級生とは思えないよ」

「しかも、UMAマニアだとはね」

 僕もまだ、美月さんと出会った興奮から抜けきれなかった。

「な、安曇。美月さんのこと、もっと教えてくれよ」

 安曇は無視して返事をしない。

「なんだよ、おまえ、彼女となんかあったな?」

 首藤が安曇のTシャツの裾を引っ張った。

「中学でいっしょだっただけだって言ってるだろ!」

 安曇が目を剥く。

「なんだよ。何パニクってんだよ。歓迎しようぜ、この偶然。同じ日本人なんだしさ。しかも安曇の友達で美人の女の子!」

「美月は同級生の間じゃ、ちょっとした有名人なんだよ。一昨年起業してさ、すごく成功してる」

「へえ」

 僕と首藤は同時に声を上げた。確かに言われてみれば、そんな雰囲気がある。派手だけれど、ちょっと気が強そうで知的なのだ。

「すげえな。俺の友達にも起業したヤツはいるけど、みんなあまりうまくいってないよ」

首藤が言った。

「美月はちょっと変わったやつでさ。勉強はできるのに、大学へは進まなかったんだ。起業に必要なプログラミングを独学で身につけてさ。それで、出会い系のアプリを開発して、それがウケてさ。それから会社を作ったんだ。で、その会社が儲かったらしくてさ。美月は更に儲けたんだよ、大手のアプリ開発会社に会社ごと売ったんだ」

 首藤が立ち止まって、スマホで検索を始めた。

「あ、あったよ。佐藤美月。気鋭の女性起業家だって」

 首藤のスマホを覗き込むと、画面には美月さんの上半身の写真があった。服装は紺のスーツだが、派手さのある雰囲気は、さっき見たばかりの印象と変わらない。首藤の指がスクロールして、ほかの写真も出てきた。自分が経営する会社の社員なのかもしれない。同じTシャツを着た数人の男女と並んでいる写真もある。

「成功者ってことか。それなら、金も持ってるだろうな。こんなところにまで来られるわけだ」

「そうだよな。僕たちより二日前に来てたってことは、個人で船をチャーターしたってことでしょ。今週、僕たちが乗った貨物船しか、この島に寄港する定期便はないんだから」

 おそらく、僕たちの数倍の船代を払ったのだろう。

「中学のときは、真面目でさ、黒縁の眼鏡かけて、地味な感じだったけど」

「さなぎが蝶になったってことだな」

 首藤が弾んだ声で言ったとき、ヤシの葉の間に建物の屋根が見えてきた。


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