僕のありふれた日常
@assembly
第1話
僕のありふれた日常について話そう。
まず僕が目を覚ます場所は海で、波の音がざぶざぶと聞こえる。太陽は昇っていない。ここ数年、太陽を見た覚えがないのは、僕に限ったことではない。宇宙は変わってしまった。変化を受け入れられなかった者たちは死を選んだ。というわけで今はどこもかしこも墓地だらけである。宗教法人は儲けまくったに違いない。僕も宗教法人を立ち上げようとしたが、文化庁に却下されてしまった。役人どもめ。
僕の父は役人だった。役人になるために生まれてきたみたいな人だった。必然的に僕とは馬が合わなかった。高校を卒業すると同時に僕は家を出た。大学に入学したのは家を出るための方便でしかなかった。それゆえ僕が大学を卒業できなかったのは当然だった。大学を中退してからは女医のヒモをやっていた。僕にはヒモの才能があったようで、女医は僕を大変に可愛がってくれた。女医は精神科を専門としており、僕に様々な診断を下してくれた。
「あなたは働けないわ」と女医は言った。「診断書ならいくらでも書いてあげる」
女医は正しかった。僕は今も働いていない。ではどうやって暮らしているのかというと、親の遺産で暮らしている。父は僕を嫌っていたが、心配してはいたようだ。ありがたいことだ。死ぬ間際に父は僕に手紙を送ってきたが、そこには次のようにあった。
「お前は本当にどうしようもないやつだ。俺はどれだけの苦労をして、お前を育てあげたのか分かっているのか。たぶん分かっているのだろう。お前は本当に聡いからな。お前は生まれたときから目を見張るほど聡かった。だから俺はお前を聡と名づけたのだ。これはいつかお前にも話したことがあったな。ここではお前に話したことがないことを話したい。なぜなら俺に残されている時間は限られているからだ。人生は短い。それでお前に話したいことというのは――」
僕は手紙を最後まで読まなかった。これ以上読み続けると、泣いてしまいそうだったから。
「どうして悲しんでいるの?」と女医は言った。
「分からない」と僕は言った。
太陽が失われてしまった世界において、朝だの昼だのと時間帯を記すのは阿呆らしく感じるけれど、僕らはいまだに旧時代の言語を引きずらざるを得ないわけで、というのも言語というのは歴史の結晶みたいなものだから。
というわけで昼、僕は駅前へ向かう。駅前といっても、駅があるわけではない。電車はしばらく前に廃止された。人類はゆっくりと滅びつつある。それでも僕は生きなければならない。
なぜ?
こんなことを書きたいのではない。僕はもっと別のことについて書きたかった。にもかかわらずこうしたことを書いてしまうのは、僕もまたおかしくなりつつあるからだろうか。
それは突然だった。誰もが急に自分が生きている意味について考え始めたのだ。当然ながら社会は壊滅的な被害を受けた。社会は人々に何も考えさせないために存在している。したがって人々が何かを考えるようになってしまえば、成立しようがない。
「私ね、医者になりたかったわけではないの」と女医は言った。「親が医者だったから医者になっただけで、本当は革命家になりたかった」
「革命家」と僕は言った。
「革命を起こすの。そしてすべてを転覆させる」
「素晴らしいことだ」
「今からでもなれるかな、革命家」
「いつからでもなれるんじゃないかな」
「どうやったらなれるのかな」
「とりあえず革命を起こしてみればいいんじゃない?」
「革命ってどう起こせばいいのかな」
「それを考えるのが革命家なんじゃないの」
「それもそうね」
女医は三日三晩寝ずに考えた。その結果、首を吊ることに決めたらしい。女医の死体を最初に見つけたのは僕だった。警察はこう尋ねてきた。
「不審な点はありませんでしたか」
「ありませんでした」と僕は答えた。
「革命を起こしたいとか、そういうことを言ってはいませんでしたか」
「もしかすると、言っていたかもしれません」
「最近多いんですよ。革命家かぶれが。困ったもんですよ」
「まったくですね」
「ところであなたは彼女のヒモだったわけですが、これからどうやって生きていくんですか」
「親の遺産があるので、それで食べていこうと思ってます」
「それはいい。素晴らしいことですよ。結局のところ、普通に暮らしていくのが一番です。難しいことは何も考えず、ただただ普通にね」
三日後、その警察官が国会議事堂前で焼身自殺したというニュースが、テレビで報じられた。原稿を読み上げるアナウンサーは興奮のあまり、懐から取り出した拳銃でこめかみを撃ち抜いた。即死だった。穴という穴から噴き出す血に、僕はうっとりと見惚れていた。これこそ革命だ、と思った。
同じように感じた人々が、たちまち街に溢れ返った。右を見ても左を見ても、革命家だらけだった。いつかYouTubeで見た渋谷のハロウィンみたいな感じだった。しばらくすると、特殊部隊がヘリコプターで飛んできて、群衆に向かって機関銃をぶっ放した。僕の周りはすっかり死体だらけになった。僕も早く死体になりたかった。
僕はまだ生きている。生きているからには、生活しなければならない。終わらない日常が僕をすっぽりと包んで、逃がさない。
夜が訪れるまで駅前を歩いた。道を歩いているのは猫ばかりだった。足のない猫や尾のない猫がいた。それでも猫たちは生きていた。革命を起こそうなどとは考えもせず。
どうすれば猫たちのように生きられるのだろう。最近はそればかり考えている。だからときおり四足歩行してみたりする。なるほど確かに四足歩行は二足歩行より合理的である。二足歩行よりはるかに安定しているし、むやみにスマホをいじらずに済む。来世はぜひとも猫に生まれたい。
辺りが暗くなった頃、僕は図書館へ入る。本を読むためではない。何せ図書館には本が一冊も置かれていないから。誰も本を読まないので、こうなってしまった。効率化というやつだ。本の代わりに図書館へ置かれたのは、スマホとかタブレットとかである。どいつもこいつもそれで、YouTubeなどを見ている。見たくもないのに、それしか見るものがないから、そうしているのだ。
僕は受付を済まし、ブースに入る。タブレットが僕を出迎えた。視聴したい動画を選んでね、とメッセージが表示されていた、視聴したい動画など、ありはしなかった。僕は何もせず、ただぼんやりとしていた。しばらくすると、職員が飛んできた。
「お客さん、困るんですよ」
「どうしたんですか」
「何か選んでもらわないと」
「何も選びたくないんです」
「何も選びたくなくたって、何かを選ばないといけないんですよ。大人なんだから、それくらい分かってるでしょう」
「大人になんてなりたくなかった」
「誰だってそうですよ。私だってできることなら、子供のままでいたかった。でもそれが無理だから、こうして図書館なんかで働いてるんでしょうが。本当は詩人になりたかったんですよ、私」
「なればいいじゃないですか」
「無理ですよ、詩なんて書けません」
「書けばいいじゃないですか、詩」
「そんな簡単じゃないんですよ、詩を書くっていうのは」
「そうですか。じゃあ、僕が代わりに書いてあげますよ。紙とペンをください」
職員は紙とペンを持ってきた。僕はそれを使って、次の詩を書いた。
宇宙が俺の中に入り込んで暴れていやがるぞ
増大するエントロピーが俺をバラバラにしてしまう
美しいすべてもやがては芝居のように終わるだろうさ
ナンマンダブナンマンダブ レシートをご提示いただければコーヒー2杯目半額です
「詩じゃないですよ、これ」と職員は言った。「大学で詩について学んだ僕が言うんだから、間違いないですよ」
「そうですか」と僕は言った。「それなら仕方ないですね」
僕はポケットから拳銃を取り出し、職員の心臓を撃ち抜いた。職員はしばらく自分が死んだことに気づかなかった。ひょっとすると僕もまたそうなのかもしれない。
「なぜ殺したんだ」と警察は言った。
「詩を貶したからです」と僕は言った。
「だからって殺すことはないだろう」
「そうかもしれません」
「殴るくらいで済ましておけばよかったんじゃないのか」
「ついカッとなって」
「そもそもどこで拳銃なんて手に入れたんだ?」
「手に入れようと思えば、いくらでも手に入れられますよ。昔とは違うんですから」
「確かにそうだな。昔とは違う。確かにそうだ」
「刑事さんは昔に戻りたいとか、そういうことを考えますか」
「いや、考えないな。俺は今を生きるようにしてる。過去でもなく未来でもなく」
「素晴らしいですね。僕は過去とか未来とかに囚われっぱなしですよ。だから不幸なんですかね」
「みんな不幸だよ」
「そうですかね。でも不幸にも濃淡があるじゃないですか。僕の不幸は刑事さんの不幸よりもずっと濃いですよ。たぶんですけど」
「本当にそう思うか」
僕は刑事の目を見た。それはとてつもなく黒く、ぬめぬめとしていた。
あるとき不意に、働こうと思った。それでハローワークに行った。受付は女性だった。
「本日はどうされました?」
「働きたくて」
「どういった職業をご希望ですか?」
「何でもいいんです、何でも。ただ働きたくて」
「そうですか。では、得意なことや苦手なことはありますか」
「分かりません。そんなこと、考えたこともなかったな」
「いつもは何をして、過ごされてるんですか」
「何にもしてません、何にも」
「じゃあ、この仕事なんてどうでしょう」
差し出された紙には、虚無と書かれていた。その二文字は僕にぴったりに思えた。虚無、と呟く。素晴らしい言葉だ。虚無。
僕はさっそく、その仕事に応募した。すぐに電話がかかってきた。
「聡さんですか」
「そうです」
「虚無にご応募いただき、ありがとうございます」
「いえいえ」
「早速ですが、オフィスに来てもらえますか」
「分かりました」
メールが送られてきた。地図の画像が添付されていた。女医が住んでいたタワーマンションのすぐ近くにあった。
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