第37話 サラマンダーたちの最期
宙に飛び上がったウェストラは白目を向けながらも、立ち所に死に際たる創痍を淡い緑光を発し、至る所から鮮血噴き出す、深き傷口を閉じていった。
「不死身か、奴は。これでは、どっちがアンデットか定かではないな」
嘆息しながら、落下方向へと歩みを進めていき、着地態勢に入らんと両足とともに目を地に向けて、新たなる頁を開き、ぶつくさと唱え出す。
「猿真似事にも限界はある筈なんだかな」
瞬く間に落ちていくウェストラに掌を差し向け、忽然と黄金色の光の一矢を放つ。
「芸が尽きたようだな?」
頬に触れんとした瞬間、突然と姿を消し、幹部の頸目掛けて、鎖の繋いだ黒き大鎌を大きく振るう。
「あぁ、つまらん観客の前ではやる気も出ないものだな」
確実に捉えていた大鎌は幹部の体をすり抜けて、呆気なく大地に突き刺さり、一打が繰り出される。
ウェストラの矮躯な丹田に拳を食い込ませ、再び遥か上空に飛び上がったが、鎖が宙に繋ぎ留める。
「ぶはっ!」
「子供の遊戯に興じるほど、俺が幼く見えたか?」
「あぁ、人は見かけによらぬものだ!」
ウェストラは血反吐を吐いて尚、不敵に微笑む。
その視線の先、大鎌が鋭い一撃で胸に穿とうと、音も立てずに己の体裁を崩して、変形していた。
猜疑心に駆られた幹部が身を翻しながら一瞥するとともに、俄かに瞠目する幹部の眼前に迫り来る。
一刹那。
泥濘に嵌るかのように片膝を大地に突き、跪く。
音を切り裂くほどの刃は、頬を掠めていた。
「どうした?余裕なんだろう?まさかそれも、芸の一つか?」
「貴様、今死ぬか?」
頬に僅かな鮮血が滴り、鬼気迫る形相を浮かべ、震わせるほどに力の込めた掌を疾くに差し向ける。
「はい、残念」
ウェストラさながらの禍々しく無比なる一撃を、悠然と印を結び終えて、忽然と大地に姿を現した。
「……!?」
「吠えるなよ、別に誇っても良いんだぜ?精鋭様」
その余裕綽々な台詞を吐き捨てると同時に、厳かな面持ちの勇者たちが大きく刃を振るう。
「……チッ」
早々に癒えた体を傷物にし、致命傷をかろうじて脱しながら、勇者に目を向ける。
「他国の人間を生命とさえ見ず、大義を冠したお前の姿が、生き様が、心底憎かったよ!!それでも、大勢の人々の祖国の期待を一心に背負って、此処まで這い上がって来たその背中が、どうしようもなく羨ましかったよ!!お前は、先代と同じ……勇者だろうが!!」
「嫉妬か?くだらんな」
「あぁ」
虚ろな瞳に一縷の光が宿る。
「一度も兄さんに勝てたことは無かったよ。でもね、負けたことも一度も無かったんだ」
大剣の外殻たる煌々とした全ての刃は剥がれ落ち、禍々しく紫紺の長剣が姿を現した。
徐にその剣を握りしめ、猛禽たる双眸を向ける。
「……」
先代勇者は心なしか冷然なる土石の頬を緩ませ、緩やかに刃を振り下ろした。
それぞれの刃は交わる。
耳を劈くような鋭い金属音とはまるで異なった、異様な鈍く重厚たる幾重にも重なりし音を響かせ、
二人の間に赫赫とした火花を散らした。
「……」
その姿に、ウェストラは歪な笑みを浮かべて、哀愁漂わせる澱んだ瞳を、数人の勇者たちに向ける。
「さぁ、此処からは本気で行こうか!?」
魔導書の新たなる頁を開いて、卒爾に光芒一閃。
ウェストラを中心に、紫紺の色を帯びた突風が、大地を抉りながら、周囲を吹き荒らした。
二人が生死を彷徨っている最中、アイシアは傀儡の訓練にも劣る、甘さに塗れたたった一人の勇者の刃を躱していた。
「っ!」
その振り下ろしま剣の筋でさえも迷いが見られ、周囲の行方を窺う数人の勇者たちは一対一の戦闘に関わろうとはしなかった。
「フッ、昔の勇者様ってのは想像以上に紳士だな」
ウェストラはその身を鮮血に染めていきながら、矢継ぎ早の刃たちを間一髪で躱し、さりげなく勇者の元へと近づいて行く。
先代たちは幾度となく続く剣戟を交わし、周囲に散らす火花は閃光に等しき、灯火を照らしていた。
決定打なり得る斬撃をいなし続け、次第に互いの刃は肉体なる色に染めていく。
電光石火さながらの一挙手一投足に瞬く事なく、揺るぎない一太刀に全身全霊を以て、振り下ろす。
双方に起死回生の打開策が舞い降りる事もなく、歴戦の差、積み上げてきた屍と研磨した剣技が、淡々と戦局を当代勇者の有利なものへと傾かせた。
そして、遂に訪れる。
あまりにも淡白に、先代の刃が終わりを告げる。
鈍色に輝く土石の刃が宙に舞い上がるとともに、立ち所に剣に新たなる刃を作り出すが、胸を貫く。
「……」
「……」
さながら抱きしめるかのように剣を突き立てて、当代は泰然と崩れていく先代に脇目も振らず、進む。
徐に頭に手を添えんとした手をピタッと止めて、先代は静かに微笑んで、崩れ落ちていった。
「全く、彼奴はお前に甘いな」
流れるように、瞬く間に眼下に巡らせた紫紺の陣を踏みしめるとともに、大きく刃を振り下ろした。
そんな勇者を嘲笑うかの如く、その剣を正面からあっさりと素手で受け止める。
「一時の感情で強くなったとでも?あまり図に乗るなよ。全く、随分と生意気になったものだなぁ!」
威圧。
幹部のただの鋭い眼光が、勇者の心臓を貫いた。
「ぁっ……!?」
「貴様は自らの欲望を満たしたいがために、勇者になったのか?その何もない体に空いた穴のように、大義を捨てたお前に残るのは、孤独と虚しさだけだ」
両膝を大地に突いて、絶え間なく血反吐を零し、項垂れながら荒々しく呼吸を乱していく。
「ハァ……。現実を見ろ。お前は勇者にもなれず、兄の背を追い続けて来た、ただの大量殺人鬼に過ぎない。ただ惰性で刃を振り下ろし、その意義を見つけられぬまま己の手を血で染め上げ、夥しい数の亡骸の上に立つ。そんな者が勇者だと?烏滸がましいぞ」
緋色の鮮血と蒼き水晶体を、勢いよく苦しげに吐き出した。
「勇者とは称号ではなく、生き様だ」
パキパキと音を立てて全体に亀裂が走っていき、真っ二つに割れて、三度、中身が露わとなる。
全身を神々しく燦爛たる淡き緑葉に包み込んで、精霊が緩やかに目を開き、殻から颯と飛び出した。
「他者に縋らなくては明日さえも絶えるとは……。何も変わっていない、本当に昔のままのようだな」
幹部は冷然たる侮蔑を含んだ鋭い眼差しで見下ろし、その行方を従容と窺っていた。
精霊は慌ただしく冷や汗を滲ませて、ポッカリと空いた穴に両手を突き出し、淡い緑光を発した。
「消えろ!お前は……元の家に帰っていい。この件にも、これから先のことにも関係ないっ!!」
精霊は、膨らむ籠手に緩やかに目を向ける。
「……」
しかし、淡い緑光では絶え間なく滴り落ちていく臓物や鮮血を止めるばかりで、一行に治る気配が無かった。
「お前の僕も、誰の役にも立たんようだな」
「コイツは十分に働いた。あんたと違ってな!!」
「良いだろう、待ってやる。精霊よ、見せてみろ。その本業の底力とやらをな」
ウェストラが、一刹那に幹部の背後に迫ったが、風貌が瓜二つな勇者、二人が眼前に立ちはだかる。
「邪魔だ、眠っていろ!!」
短剣を振るうとともに印を結んだ瞬間、一人の勇者が背後を取って、双方は異様な玉と剣を振るう。
「先ずはお前からだ」
玉を手にした勇者に片手をすり寄せながら、意気揚々と術を唱えんとしたが、忽ち、容姿が変わる。
「チッ!解!!」
儼乎なる面持ちを保ったまま土石に戻っていき、玉の持ち主は、ガラ空きの背に勢いよく叩き込む。
「ぶっはぁ!!」
唾液を多分に含んだ血反吐を吐き、元の場所へと仰け反ったまま、吹っ飛ばされていった。
精霊はサラマンダーの眠る籠手を注視したまま、空中で茫然と静止していた。
「何してるっ!早く逃げろ、逃げてくれ!」
精霊の頬に清澄なる涙が伝う。
「お前……」
勇者が瞠目したのも束の間、雫が宙に飛び散り、膨らむ籠手を強引に剥がし始めた。
「その手……そうか。其処に居たのか、お前」
死の淵に立った勇者に抗える筈もなく、精霊は次第に左腕を覆い尽くす、紅き鱗を露わにしていった。
そして、地団駄を幾度となく踏み付けるか如く、宙を駆け抜けていき、籠手が宙に飛び上がった。
「……フッ、ふふ!」
その笑みはあの時の微笑みとは、まるで異なり、さながら愛しき者との再会を喜ぶかのように優しく愛撫して、空っぽの穴に、再び両手を差し向けた。
体を蝕んでいた紅き鱗が、赤竜の意思が息を吹き返したかのように傷口に皮膚を伝って流れていき、色濃い緑光が穴を包み込んでいく。
「……」
紅き鱗がそよ風に吹かれ、宙に舞い散っていく。
幾千万とあった筈の龍の鱗も指で数えるほどに減り、皮膚がその姿を覗かせ始めた時には、精霊の体の節々が煌々とした光に覆われ、朦朧としていた。
そして、生々しい傷痕を残して、鮮血は止まる。
最後のたった一枚の鱗が散っていくとともに、精霊は煌々とした光が緩やかに弾け、散っていった。
「お前……なんで……」
「同情か、あるいは──死に急ぎの阿呆だな」
大地に突き立てていた剣は、幹部の丹田に砲声なる風切り音を響かせ、渾身の一撃を振るっていた。
紙一重で盾の如く忽然と現した刃で禦いだが、その衝撃に数十メートルをも吹き飛ばされていった。
「黙ってろ、死に損ない」
「フフッ、ハッハッハッハ!!そうか、お前は力で遍く人々の上に立つか、良いだろう。過去の彼奴が俺を完膚なきまでに打ち負かしたように、貴様も、この俺を超えて見せろ!!」
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