第7話 コレクターの思惑
氷剣を大きく振り翳し、手放す。
投擲。
円を描いて老人の眼前迫る氷剣は、金属音さながらの音を立てて、天井に突き刺さった。
「闇に出し、哀れな愚者よ。呑め、暗雲」
矢継ぎ早に、勇者の影が立ち所に広がっていき、暗黒が辺りを一瞬にして呑み込んでいく。
「ほほう、二重詠唱ですか。其にしても……此処は、突き刺すような魔力が充満しておりますな」
「サラマンダー……颯爽と堕ちろ」
頭上から無数の黒き液が生まれ出る。
ぽちゃぽちゃと地を叩くような音を立てながら、黒き液体は揺蕩う人影へと変化し、続け様に勇者と遜色ない見た目の体躯に変貌していく。
そして、本体の勇者は前傾姿勢で駆け出すとともに、籠手を前に突き出す。
「紅……ッッ!!」
荒れ狂う猛き紅焔が、卒爾に隧道を覆い尽くす。
と同時に、影たちさ燃え盛る炎に躊躇いなく潜り込んでいく。
「身を切り裂いて、己を成せ」
勇者の体から、靄の揺蕩う勇者と瓜二つな二者の姿が切り裂かれ、蜃気楼は霧散した。
影とは違い、全身の光沢が隅々まで施され、仏頂面までもが完全に再現されていた。
そして、勇者は三者に分身する。
老人の眼下を中心に、隧道を覆い尽くす業火を、渦を巻いた突風が吹き荒れる。
快晴たるが尚、漆黒に包まれた老人は、勇者が隧道の至る所に煌々たる紫紺の陣を張り巡らせた、天から壁に地へと目を泳がせた。
「煙幕」
微かに鼓膜に届く勇者の呟きに、再び視線を戻し、手を突き出した勇者の背後に佇む、二人目の勇者がこれ見よがしに、大剣を握り締めるのを視界に捉える。
そして、白煙が俄かに立ち込めた。
三度、双方を瞬く間に包み込む。
「ほう……?」
姿の見せぬ影に忽然と眩ました最後の勇者の行方に、老人は笑みを捨てて、眉根を寄せた。
「テレポート」
勇者は老人にも聞こえるほどに大きく、あからさまに唱える。
老人は忙しなく天を仰ぐ。
天に突き刺ささりし氷剣を握り締める勇者を、鋭く訝しんで。
一刹那の暇さえも与えずに、背後の煌々たる紫紺の陣が更なる眩い輝きを放った。
壁を蹴り上げながら大剣を振り翳し、迫り来る勇者の姿を視界の端に捉えた。
そして、誰かが静寂なる足音を忍ばせ、息を殺しながら密かに淡々と老人の元へと歩みを進めていく。
天を蹴って、氷剣を振るう。
双方の双眸がぶつかり合うほどに、勇者は眼前に迫った。
だが、胴が宙に舞う。
血飛沫とともに腑を撒き散らして。
地中から突如、せり出した土石の刃が勇者の胴を糸も容易く切り裂いた。
「ヒール」
不規則に円を描いて宙に舞う下体を、淡い緑光が包み込む。
しかし、天に突き刺さった刃は再び、返り咲く。
「土石盾」
頸に迫る立て続けの刃を忽然と生み出した盾が禦ぎ、淡い緑光が勇者の下体を僅かに再生させた。
「ほう」
翁は顔面目掛けて、杖を振るう。鋭い輝きを放つ、杖を模した刃を露わにして。
「サら……」
勇者の頬を綺麗に裂いて、緑光は瞬く間に薄れゆき、儚く消えていった。
続く第二陣の勇者の振るう大剣が、老人の外套を裂いた。
目を見開き、白き眼を露わにする。
「魔眼……りっ…」
同じくして、目を見開く勇者だったが、鈍い異物感が勇者の胸を貫いた。
「っっ!せ!!」
同じ瞳。
三指を折り曲げて、中指と人差し指を揃えて立てる。
「解…りっっせ!!」
べったりとした緋色の鮮血を吐き出しながら、胸を貫く土石の剣を元に戻した。
老人と同様の同じ眼を模して。
「残念ながら…索敵用の魔眼ですよ」
「あぁ、知っている」
勇者が徐に瞳を閉じるとともに、漆黒に潜む黒き影たちが黒き氷剣を携えて、四方から瞬く間に襲う。
「無駄なことを」
無数の土石のギロチンさながらの刃が、宙に浮かぶ。
数多の影たちは、目にも留まらぬ速さで回転する刃に糸も容易く切り裂かれた。
そして、眼下の小石が小突くかれたかの如く、小さな音を立てて、転がる。
「ん?はて、空間が……歪んでいる?」
「ハァ」
僅かに歪む空間から、徐に翁の胸に手を触れる。
「氷剣」
老人の胸に霜が降りかかり、貫く。
斯くも呆気なく氷剣の刃には、緋色の鮮血が染まっていた。
「幻術だ」
「いやはや、こう易々と踏み込まれるとは」
「この力が解らないだろう。歴代の勇者と過去の俺しか見てこなかった、暗愚なコレクター共にはな」
「世界最高峰と謳われていた貴方様程の者が、己の周囲の魔力の残滓さえも断つとは、驚異的な魔術」
「いいや、そんな大層な魔法などではない。ただ俺が衰えただけだ」
「歴代勇者の中で最も魔力総量が多いとされていたのに、これほどまでに弱りきっていたとは……虹龍には恐悦至極で御座いますな」
「あぁ、そうだな」
「では、魔力の露骨な漏出は故意に……」
「当然」
やや食い気味に、怒りを孕んで言い放つ。
「遠方からとはいえ、今の俺に負けるお前には、世界が覆ろうとも勝つ未来はない」
「えぇ、ですが、私は欲しいと思ったものは、全て手に入れたい質でして。手段を厭うこともなく、無論、矜持も持ち合わせていない。また何処かでお会いしましょう」
「次はお前を殺すことに死力を尽くそう」
「……?」
勇者は翁の面差しをじっと凝視する。
「何か、私に付いていましたか?」
しかし、賊の風貌は、黒洞々たる闇が覆い隠し、明瞭にその全てを捉えきれずにいた。
「お前……何処かで会ったな?」
「さぁ、どうでしょうかね」
ニヤリと微笑んだ瞬間。
唐突に、老翁は生気の失った見知らぬ若き青年の亡骸へと姿を変えた。
「やはり、傀儡か」
泰然と徐に倒れゆく青年を抱え込み、額から流れるように掌を滑らせて、青年の瞳を閉ざした。
そして、踵を廻らせて身を翻す。
長杖を抱え込むように握りしめ、茫然と立ち尽くすエルフへと。
「無事か」
「……うん」
仄かに頬を青ざめて、額に汗を滲ませながら、小さく頷いた。
「その人…死んでるんだよね」
心なしか安らかに眠りにつく青年に、小刻みに震わす双眸を向けた。
「あぁ」
「そ、そっか。そ、そうだ。そうなんだ」
「すまないが、神聖魔法は富んでいない。彼に魔法を掛けてくれないか?」
「うん。私の仕事だから」
そう言い、そそくさと駆け寄った。
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