置いてきたはずの過去がニョキっと足を生やして追いかけてくるやつ

 無駄にスペックの高い頭を使って、美保さんの言葉の意味を考える。まずヒカリさんの呼び方に関しては、気にする必要はない。呼び方とか、名前とか、そんなことはどうでもいいのだ。名はその存在を表すものだ……と心の中の議長がいい声で囁くが、私は別に偽名を使っているわけではないので関係ない。関係ないったら関係ない。


 さて、問題としてあげられるのは、美保さんが私の作品を見て、表情を変えたこと。それだけなら普通に私のファンなだけかもしれないが、その直後に生まれ変わりなんて世迷いごとを口にしたのが問題だ。おおよそ私の知っている限り、大まじめな顔をして生まれ変わりなんて口にする輩に、まともな人間などいない。まともな人間なら、仮に本気で考えていてもそれを外に出さないくらいの分別があり、何も考えていないやつならもっとふざけた態度で話す。


 ……うん、状況証拠から見て、美保さんが生まれ変わり前の私、芸術家ヒカリとしての私を知っているのは、まず間違いないだろう。そしてそんな彼女がわざわざ私にこんなことを聞いた理由。それがわからないほど、私は不抜けていなければ、脳みそがヘリウムでもない。


 つまり、私がこれからとるべき行動は一つ。そのためにまず、自然な動きで机に向かう。美保さんから質問を受けて、行動に移るまでのこの間1.5秒。判断が遅い。


「生まれ変わりかぁ。仏教で唱えられている輪廻転生みたいなもののこと?それとももっとオカルトチックな話かな?」


 なんともなさげに話をしながら、引き出しを開ける。そういうのだけどそうじゃなくて、自分になる前の自分がーみたいなことを喋りだした美保さん。これはクロだね。誤解とかではなく、ただの偶然でもなく、美保さんも私のように転生したのだろう。私と同じく信仰によって転生したのであれば協力体制を組めるかもしれないが、問題はそうではなかった時。物事は常に、最悪を想定して動くべきである。


 取り出したものを見られないように手の内に隠して振り返る。一生懸命何かを伝えようとしている美保さんと目が合って、あんまりにも必死そうに話しているから思わずニッコリしてしまう。うんうん、とっても大切なことなんだね。目の前の相手がどんなことを考えているのかもわからなくなるほど、気にならなくなるほど、美保さんにとってそれは大切なことなのだろう。だからこそ、やりやすい。


「……ふぇ?」


 優しく腕を引っ張って、偏った重心を利用して転ばせる。痛い思いをさせたいわけじゃないから、倒れ込む先はベッドの上だ。ポフン、とミシリの中間みたいな音がして、美保さんの体は仰向けに倒れ込んだ。ヤワラとカラテの成果だね。やってることはアイキな気がするけど。


「驚かせちゃってごめんね、でも、いい子だから大人しくして。私だって、あなたにひどいことをしたいわけじゃないんだ。ただちょっと、いくつかの質問に答えてくれるだけでいいんだよ。だからどうか大人しくして。このベッド、お気に入りなんだ」


 小さく開けられた美保さんのお口を、鼻ごと左手で覆う。そのままマウントポジションを確保して、眉間にデザインナイフを突きつける。あえて言葉にしなかった、だから汚したくないの意図はしっかり伝わってくれるだろう。何もかもを口にしないとわからないほど、美保さんの脳はツルツルじゃない。


 私の言っていることが理解出来たら、右、左、右でウィンクしてと伝えると、美保さんは素直に言うことを聞いてくれた。理解の速い子は好きだよ。ところで、こんな状況でウィンクするなんて、美保さんは面白い子だね。


「言うこと聞けて偉いね。まず一つ目の質問、あなたは転生者で間違いないね?」


 はいなら右、いいえなら左で教えてねと言えば、美保さんは右のお目目をぱちぱちさせた。はいは一回!と囁くと、ビクッと身体を震わせる。やめてよ、そんなにかわいい態度とられたら楽しくなっちゃうじゃないか。


 けど遊んでいる場合ではなくて、転生者であることがわかれば次のことを確かめなければいけない。ズバリ、私に対して好意的か否かだ。正直前世においては好かれるよりも嫌われる心当たりの方が多いからね。価値のあるものの収集と、その破壊。壊した以上の作品数を世に送り出したが、私の所業が知れ渡った時にその価値が残るかはわからない。金の恨みも買ったしね。


 そんなわけなので、私を、私の作品を知る転生者なんてものは、期待値として大幅にマイナス補正なのだ。そうでなければ、なぜ過去の自分を知る人物に刃物を向けるか。真っ当な人間であればしないことをするのは、真っ当な人間じゃないからなんですよね。


「いい子いい子。それじゃあ次の質問。生年月日とお名前を教えてくれるかな?もちろん、その体じゃなくて中身の方だよ」


 ジャカジャンッ!光ちゃんインタビュー!二つ目の質問です。ふむふむ、かつての私と同じ年に生まれて、同じ名字だったんだ。奇遇だね!


「……旧姓は、天宮かな?」


 こくりと頷く美保さん。どこかで聞き覚えがある生年月日、そして名前だなと思ったら、旧姓まで心当たりがある。……うん、この子、前世の私の幼なじみちゃんだ。それなら警戒する必要はないので、デザインナイフを机に放り投げる。だいぶお行儀は悪いけど、これで机に傷が付くことはない。そうならないように投げたからね。……仮にも芸術家なら仕事道具を大切にしろよ?うるさいなぁ、私にとっては替えがきく道具なんかより、目の前にいる元妻の方が大切なんだ。そんな大切な人に刃物を突きつけて脅してたのは誰だろうね?


「君だったなら、最初にそう言ってくれればよかったのに。怖い思いをさせちゃってごめんね。もう大丈夫だよ」


 突然、大切な人から刃物を向けて脅される恐怖なんて、普通に生活していたら感じることのないものだ。私は申し訳なさでいっぱいになったので、美保さんの柔らかい体を優しく抱きしめる。ついでに背中を摩って、気持ちは子供を慰める親だ。私に子供がいたことなんてないけどね。


「あたし、ちゃんと説明しようとしたもん。なのに話聞かないであんなことしてこうするなんて……自分で怖い思いをさせて慰めても、ただのマッチポンプじゃん」


 その通りである。でもマッチポンプでも安心できるだろう?と聞いてみると、美保さんは少し悔しそうに頷いた。かわいいね。それならもっと安心させようと抱きしめると、私の背中にも手が回されて抱き返される。ベッドの上で抱き合う少女たち(ケモ耳付き)とっても百合百合な光景だね。しかしまあ、もう二度と会えないと思っていた大切な人に会えたのだ。少しくらいはおかしな雰囲気になってしまっても、不思議なことではないだろう。


 しばらくそうしていると、お紅茶を持ってきたママ様が扉の向こうから開けてと声をかけてくる。どうやら両手がふさがっているから開けられないらしいので、まるで見られたら困ることでもしていたみたいにばっと離れる。さすがに、初めて家に連れてきた女の子と乳くりあっている所を見られるのは恥ずかしいからね。


 美保さんとアイコンタクトで、何事もなかったように振舞おうとやり取りをして、脅迫前の状態に戻る。少し乱れた衣服をなおし、扉の方に向かうのは私。まあ、部屋主だからね。お茶やお菓子を受け取るのは私の仕事だろう。


 扉を開けて、ママ様からお紅茶とお饅頭をもらう。どういう組み合わせなのだろうね。とても不思議だが、まあ良かった。そして危なかった。美保さんが考えうる転生者の中で最良のパターンだったからいいけど、最悪なパターンならママ様に脅迫場面を見られていたかもしれないのだ。


 あとは若い二人でごゆっくり……と立ち去ったママ様。残されたのは、ちょっと微妙な空気になった私たちだけだ。


「それにしても、ヒカリはなんでいきなりあんなことしたの?あたしがただのファンだったかもしれないじゃない」


 私の蛮行の理由を聞く美保さんに、それを説明する。まずヒカリの名前を知っている時点で少し怪しいし、その直後の転生云々の話。それはかつての私の、芸術家としての姿を知らなければ、出てくることがないものだ。そして作品を見ただけでそこまでわかるのは熱心なファンであった可能性が高く、その場合私は恨まれている可能性が高いので、強気で出る必要があった。もし好意的だった場合には、元々私のファンだったのだから多少のことは許してくれるだろう。ちゃんと謝って、お礼と口止めとしてなにか適当に作ってあげれば済むと思っていた。さすがにこのパターンは予想外だったけどね。


「それ、あたしが恨みを持ってることは考えていないわけ?もしかしたら、あんたのことを殺したいくらい憎んでるかもしれないじゃない」


「もしそうなら、相手が君なら私は抵抗しないよ。君の人生をめちゃくちゃにして、無用な負担を強いて、苦しめたのは私だ。君に殺されるのなら、それはしかたがない」


 やっていい事と、やってはいけないことがある。人ひとりの人生を一方的にめちゃくちゃにする行為は考えるまでもなく後者であり、その責任を取れと命を奪われるのであれば、それはしかたがない事だ。……現在進行形で少年たちをぐちゃぐちゃにしているやつのセリフじゃないって?勘違いしていないかな?私は責任を取ることは仕方がないと言ったが、それはあくまで責任をとれと迫られたらの話だ。踏み倒せるなら踏み倒すよ。


「……おバカ。恨んでなんて、いるわけないじゃない。あんたがおかしくなったのはあたしのせいで、その責任を取って一緒にいると決めたの。なのにあんなことになったくらいで、離れるわけないじゃない」


 つんっ!とそっぽを向きながら、照れ隠しみたいにデレデレなことを言う美保さん。前世を含めても、これまで見た事がなかったようなデレっぷりだ。頭でも打ったか?おかしくなったか?と心配になるが、けれどそんなことよりもずっと気になることを口にしていた。


「ちょっとごめん、“あんなこと”って、何?」


“あんなこと”、そんなふうに言うような内容は、私には心当たりがない。連日メディアが家に押しかけたことでもないだろうし、百通近い殺害予告を送られたことでもない。いや、どちらもそれなりに大事ではあるのだが、元幼なじみ様が“あんなこと”なんて言うほどのものではないのだ。あの時めちゃくちゃ呆れ笑いしてたしね。


 そうなるとさて、かつての私は、一体何をしてしまったのだろうね?

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