第6話
波の音と微かな鳥の鳴くような声で意識を取り戻した。
天井が高く遠く見えているのが瞬きとともにピントが合って、どうしてここにいるのかを思い出してきた。
どれくらい眠ったのだろう。
頬を風が撫でた。
開け放たれた窓からは朝日か夕陽わからない光が部屋へと差し込まれて風が入り込んでカーテンを揺らしていた。
だいぶ、気持ち悪さは引いていた。
着ていたものは寝巻きへと着替えられ身体への締め付けはなくなっている。
頭を反対側に向けると公爵様が眠っていた。
手は握られていた。
「起きたかい?」
部屋の中で公爵様とはちがった声がした。
それは船医が発したものだった。
綺麗にセットされた白髪混じりの男が部屋の一画で椅子に腰掛けていた。
どうして彼がここに。
「彼に呼ばれてね」
公爵様には話したのだろうか。
目だけで訴えると「患者との守秘義務がある。たとえ公爵だとしても教えることはできない」と答えた。
胸を撫で下ろす。
公爵様には知られたくない。
「そろそろお腹も空いただろう? 君の体に良いものをだすように料理長に伝えておこう」
「感謝します」
また来るよ。そう言って船医は部屋を後にした。
体を起こそうとしたが繋がれた手によってベットからは出れないことに気づき、枕に頭を戻す。
ずっと、居てくれたんだろうか。
ベットそばに座っている公爵様の無造作になった髪の間にある黒い双眸は今は閉じられて長い睫毛がよく見えている。綺麗だと思った。
「私の顔はそんなにめずらしいか?」
無意識に手を伸ばしていたことを公爵様の顔に触れる直前に聞こえた声によって気がついた。瞼が上がり黒い双眸と目が合った。
「興味があるならばもっと近くで見たらいい」
声を上げる間も無く伸ばしていた手を絡めとられて彼がベットに身を乗り出し身体は再びベットへと沈んだ。覆い被されれば逃げ場はなく押さえつけられた手からは力のちがいがわかる。せめてもの抵抗に見下げてくる目の前の人物から距離を取るように最大限に背中をベットへと押しつける。
彼の顔が近づき目を逸らさずにいれば満足そうに口に弧を描いて唇が触れるだけのキスをした。
「今、食事を運んでこよう」とわずかに微笑んでベットから離れたことに驚き瞬きを繰り返す。
は? いや、待って、今のはなに?
ねえ、華麗な流れだったけど、いま、したよね。
「どこか痛いところはないか」
これ、誰。
この人、本当に私が知っている公爵様なの?
私が眠っている間にちがう公爵様と入れ替わったりしてない?
「ベラ?」
不審に思った公爵様が近づいてきたので首を振って否定すれば「そうか」と安堵したように息を吐いた。
「じ、自分で食べられます」
部屋を出て食事を持って戻ってきた公爵様によって掬われたスープを口の前に運ばれる。
「駄目だ」取ろうとしたスプーンを逸らされて宙を掴んだ。
「ただの船酔いですからここまでしていただかなくて結構です」
「⋯⋯船酔い?」
頷けば公爵様は器にスプーンを戻して腰かけていたベットから降りて跪いた。
名前を呼ばれ手を握られる。
「ベラ。私には隠さなくてもいい」
「?」
「だって君は妊娠しているだろう?」
私と君の子供だ。と愛しそうにお腹に這わした手に体をびくつかせる。
「な、んで」そのことを知っているの。
続く言葉が小骨のように張り付いて出てこなかった。
「あの夜繰り返し繰り返し君の中に出した。妊娠しない方がおかしいだろ」
穏和な声や絡み合った視線は笑っているはずなのにどこか冷たくて彼は子供を望んでいなかったのだとわかった。
子供まで望んだおぼえはない。と。
それによって退路が絶たれたことを知る。
子供ができたからこそ彼は私と離婚することはない。
「でも、まだ赤ちゃんがいるかは、」
「さっき船医に診てもらった。君は、妊娠している」
その言葉を信じることができなかった。
正確には信じたくなかった。
「船旅は体に障る。港に着いたら国に帰ろう」
「でも、」
「考古学者にはまた会いに行けば良い」
嫌だ。これを逃したら会えないかも知れないのに。
「ベラ。子供のことを考えてくれ」
嗜めるように声が降ってきて「これで、君は私のものだな」甘い甘い言葉によって目の前に架かった橋が音を立てて崩れていくようだった。
私は、公爵様の、もの。
「なぜ泣く。これは喜ばしいことだろう?」
喜ばしいこと。
本当に?
あなたにとって本当に喜ばしいこと?
「泣くな」唇が触れた。
涙を指で掬っていく。
困ったように眉を下げている姿が滲んだ向こうに見えたような気がした。
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