第2話

 なに、これは。

 背中には斑点が映っていた。

 まったく覚えていないけどこれが事後にあるということはキスマークといわれるやつでは。あいつ私に好きな服を着させないつもりね。支配欲だけは強かったもの。私を屈服させた証だとでもいうの?

 憶えていないのがさらにむかつく。

 湯に浸かり息を吐き出す。

 あったかい。

 記憶をひとつずつ手繰り寄せる。

 確か私は式を上げた覚えはある。

 人脈を広げる良い機会だと彼に連れ立って歩いた。ゲストを見送ってそのあとはふたりで屋敷に戻って、戻って、戻って──そこからの記憶が、ない。

 いや、もう一度思い出せば。

 どう思い出しても初夜の記憶がない。

 この背中を見るに一緒のベットでは寝たと思う。裸も見られたと思う。じゃあその先は?私はやったの?痛みは、ない。わからない。わからなすぎてこわい。

 転生した先で初夜を迎えていました。

 そんな馬鹿な話があるか。

 私に起こるはずがない。

 あーあー少しは願いましたとも。

 転生なんてものがあるのならば、起きるなら起きてみろと。

 だからってこんなのはあんまりです神様。

 私はまだ男性としたことがありません。

 それなのに事後に目を覚ますなんてあんまりです。記憶だってもっとはやくに思い出させるタイミングだっておありになったはずです。結婚する前とか。前とか。前とか。前とか。これはあんまりです。神様、私がなにかあなた様にいたしましたでしょうか。

 いもしない神に悲観する。

 はあああああぁぁ。

 ため息をこぼして頭を切り替える。

 もう済んだものは仕方ない。

 これからはどうするかを考えよう。

 離婚したい。と言ったら爵位のちがいを考えて彼の面目丸潰れになるから離婚からますます遠退くことになる。となれば彼には想い人とくっついてもらおう。私が殺すことになるヒロインが生きて公爵と幸せになれば私が死ぬことは回避できるはずだ。

 時期から考えていま私が結婚したばかりならばもうそろそろ彼女と出会うのはずだから私が彼女に悪事を働かなければいい。あとはそれとなく私と彼との仲を離していけばいい。完璧じゃない。

 ふっふっふ。

 私の人生は安泰だわ。

 私に興味なんてないはずだから滞りなく進むはずよ。

 そうと決まれば計画を練らなくちゃ。

 お風呂を上がり身体を拭いて行く。

 そこで初めて自分の顔をまじまじと見た。

 金色の髪に藍色の瞳。通った鼻筋に桜色の唇。なんで美しいんだろう。身体も綺麗に程よくついた筋肉。綺麗に丸いお尻。お尻を鍛えるのって難しいのよね。それに手に収まらず指の間に食い込む綺麗なこの胸。なんて美しいのかしら。

 これ、ヒロインじゃないのよね。

 いわゆる悪役の私でこれだとしてヒロインより劣っていたはずだからヒロインは女神様なんじゃないかしら。ぜひ拝んでみたいわね。

「奥様、いかがなされました?」

「へ」

 声のした方向に目を向けると困ったような疑うような視線を向けてきたのは侍女だった。なかなか現れないのを不審に思ったのかもしれない。

「あははははは、いや、ちょっと、旦那様にどう映ったか気になって」

 淑女が鏡の前で自身の胸を両手で鷲掴んだ姿を見られたことに気づいて弁解をすると微塵も気にしていないようにため息を返された。

「奥様は美しいのです。旦那様の態度を見ればおわかりでしょう」

 あの猫被り。

 どうやらあの男は外では私にメロメロらしい。らしいというのは私の前とその他の前では態度があからさまにちがうからだ。今回の結婚だって外堀を埋められていつのまにか私の知らないところで私の結婚が決まっていた。だからその後両親に促され、いや両親に図られて顔を合わした男の態度に愕然とした。

『誰が好き好んで君と結婚するか』

『⋯⋯はああああぁああ?』

『私はあくまで自分のためだ。結婚をすれば昇進が見込める』

『だったら私じゃなくてもいいじゃない。こっちだってお断りよ』踵を返した背中に声がかかる。

『私は君とちがって引く手数多だが君は私に興味がないだろう?だからうってつけだ。それにこれはお互いとって悪い話じゃない。君だって爵位が欲しいだろ。私と結婚すれば君は公爵夫人だ』

 それは興味が惹かれた。

 でも。

『相手はいるのか?』

『いない』一度もできたことがない。

 仲良くはなる。仲良くはなるのに、いつの間にか距離ができて遠のいていく。その繰り返しだった。おかげさまでこの年齢まで恋人さえいない。

『じゃあ問題ないな。今から結婚の書類を作成しよう』

『いや、でも私一応伯爵だし両親に』

『それはもう済ませてある。君の両親は喜んでいたぞ。不束者ですがって。そんなに男っ気がなかったんだなぁ』

 憐むような視線を向けられてむかついたけれど私は条件を呑んで結婚した。それで今に至るわけだ。

「その背中がなによりの証拠です」と指摘されて顔が熱を持ち思わず背中を隠した。

 侍女は新たにタオルを手に取って身体に触れてきたところで「ひ、ひとりで着替えられます」と断りを入れて侍女を追い出した。

 侍女といえど裸を見られたことに気づいて恥ずかしさから顔から湯気が出そうだ。

 当たり前のように身体を洗ってもらっていたけれど、もうひとつの記憶では身体は自分で洗うものだったのだから恥ずかしくもなる。

 侍女がしていたように顔や身体や髪に化粧品を塗り付けてから髪の毛を乾かして部屋を出て自室に戻る。

 自室として与えられた部屋は広い部屋だった。

 床には絨毯が敷かれ向かいにはひとりで眠るにはじゅうぶんすぎるベットに壁には暖炉まである。

 机や椅子や棚や花瓶にカーテン、シンプルながらも上品な家具が調和を取りながら置かれていた。

 左に折れて窓を開けはなし部屋に空気を入れていく。眼下には中庭が見下ろせた。整えられた花々が咲き誇っている。

 あの男にしてはいい趣味ね。

 ベットは綺麗に整えられていたのを見なかったことにして、部屋の中を歩いてまわる。

 扉をひとつ開けると本棚が壁一面に押し込められ窓を背にするように中央には大きな机と椅子が鎮座して書斎として設けられていた。

 包まれるような椅子に感嘆の声を上げてから引き出しを開けると真っ新なノートとインクを取り出して書き出していく。

 ヒロインとの出会いは馬車が壊れて困り果てた彼女を隣国からの帰りに主人公が助けた所から物語が始まる。不憫に思って助けた主人公は妻がいる身でありながら次第に助けた女に惹かれていく話だったと脳内で整理する。確か主人公の男と妻の間には子が為せずにこの先のことを思い悩んでいたところでヒロインの優しさに癒されて惹かれていき、って思い返せばただの不倫じゃない?この話。

 それに妻にも助けたヒロインにも失礼な話じゃない?

 世界に埋没するのは結構だけど妻の視点から見れば許されることじゃないしヒロインにも二股って酷すぎない?

 公爵としてあるまじき行為じゃない?

 確かヒロインとベットを共にする描写もあった気がする。

 なにが『もっとはやく出会いたかった』だ。

 物語の一節を思い出して怒りが込み上げてきた。

 あんな屑みたいな男とこの先の人生を共にするなんて無理だ。

 私の人生をあの男に委ねるなんて嫌。絶対に。

 これ、絶対離婚しよう。

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