ルブリムとの夜

 その日の夜。




「……っ!」




 嫌な夢を見て、真夜中にベッドから飛び起きる。


 イリスの全身は汗まみれで、指先に灯りを灯してみてみればシーツにまで染みているほどだった。




「はぁ……」




 深呼吸をするが、鼓動が落ち着くことはない。


 ある日から何度も見てきた悪夢。


 この世界とは違う何処か、赤と黒に覆われたあまりにも不自然に歪んだ世界。


 内臓に手足が生えたような生き物が無数に闊歩し、地面や木々などから生えた目玉が一斉にこちらを見つめている。


 そしてその醜い世界の最奥。


 じっとこちらを見つめる、一人の少女。


 彼女はいつでもイリスを見つめている。例え何処にいようと、決して逃さないとでも言うかのように。


 理由もなく、確証もなく、それが何よりも恐ろしい。




「イリス?」




 急に声を掛けられて、イリスは身体を強張らせる。


 視線を向けてみれば、ルブリムがすぐ傍に立っていた。手には、水が入ったコップを持っている。




「飲む?」


「あ、ああ……ありがとう」




 手に取って一気に飲み干す。


 大量に汗を掻いただけあって、喉は乾ききっていた。




「いや、すまない。うるさかったかな?」


「うなされてた。うるさくはないけど、心配」


「それも、すまない……」


「嫌な夢?」


「……ああ。何度も見ている夢だ。もう慣れたと……と言っても信じてはもらえないかな?」




 冗談っぽく笑いながら見上げても、ルブリムの心配そうな表情は変わらない。


 じっとこちらを見下ろす澄んだ瞳を見ていると、吸い込まれそうになってくる。


 同時に、そうしてもらっているだけで、少しずつ心の中の不安が消えていくような気がしていた。




「……こんな場所では、温かいミルクも用意できないな」




 今泊まっているのは、食事も何もつかない安宿だ。床が軋むので、夜に歩き回ると次の日に注意をされる。


 辛うじて風呂場があるので、汗を流すことができる。それがイリスの最大限の妥協点だった。




「心配をかけてすまないね。もう寝るとしよう」




 自分で起こしておきながら、とは心の中でだけ言っておくことにする。




「ん」




 ルブリムが頷く。


 そしてそのまま布団に入ってくる。




「ちょちょちょちょ……」


「ちょ?」




 もぞもぞとイリスの隣に俯せに寝転びながら、ルブリムが可愛く首を傾げた。


 そして彼女の寝間着は、何故か妙に薄着だった。時折覗く健康的な肢体に、何故だか心臓が強く高鳴る。




「眠れないなら、一緒に寝る」


「いや、そういう問題じゃ……」


「いや?」


「いや、ではないが……」




 事実、触れ合うルブリムの体温は暖かくて癒される。何よりもあの夢を見たイリスは大抵、寝ようと努力はするが朝まで起きていることが多かった。




「昔、バリアントで旅をしていたとき、お姉さん達がよくこうしてた」




 過去を懐かしむように、ルブリムが言う。


 バリアントの傭兵と言うことは、戦いの日々だったのだろう。幼い子供にそれは辛い毎日かも知れない。


 にも関わらず、こうして当時を懐かしみながら小さな笑みを浮かべられることに、イリスは少しだけ安心していた。




「じゃ、じゃあそういうことなら」


「うん」




 いつもと同じ簡素な返事の声色は、少しだけ優しく聞こえた。


 そうして、いつもと違う夜の時間は安らかな眠りと共に過ぎていく。


 ――過ぎていく、ということはなかった。




「あの、ルブリム君?」


「ん?」




 横向きに寝たイリスを、背後からルブリムが抱きすくめる。


 確かに小さなベッドだし、そこに二人で寝るのは狭いだろうが幾ら何でも距離が近すぎやしないだろうか。


 そもそもイリスの体型は子供なので、ここまで密着しなくても間を開けること自体は難しくない。




「なんか、近くないか? 後、手が……」




 ルブリムの柔らかな手が、イリスの身体をなぞっていく。


 少しくすぐったくて心地よいが、これに身を任せるのがよくないことと言うのは流石のイリスも理解している。




「思い出した。お姉さん達同士で、よくこうしてたの。こうするとよく眠れるって」


「い、いやいやいやいや! 待ちたまえよ! それはその、よくないあれじゃないかなーってボクは思うんだけど……」


「あれ?」


「そう、――っ!」




 そうこうしているうちに、ルブリムの手が触れてはならないところに触れてしまい、思わず悶えてしまう。




「大丈夫。わたしは初めてだけど、思い出しながら頑張るから」


「いやいや、ボクも初めてではあるけど……そういう問題じゃなくてだね。そういうのはもっとこう、好きな人同士で……」


「わたしは、イリスのことが好き。わたしがバリアントだって知っても、ちゃんと受け入れてくれた。おじいちゃんとおばあちゃんと一緒」


「そう言う問題じゃ……あッ――!」




 柔らかな友の温もりと、知的好奇心。そしてイリスは認めたくないことだが――快感に敗北して、結局イリスは次の日の朝に、宿の店主に怒られることになってしまった。


 ――仲がいいのは結構だが、もう少し声を抑えてもらえないかと、非常に気まずそうな顔で。

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