理不尽と大きな子犬
その日の午後、イリスはギルドの前を通る石畳の道を箒で掃いていた。
アルイースの街は王都からは距離があるものの、南にある大都市に繋がる通り道の役割も果たしており、それなりに栄えている。
そんな街だからこそ冒険者ギルドにも多くの仕事が持ち込まれ、また所属する冒険者の数も多い。
必然的にギルドの前はそれなりの人通りになっており、人が増えればゴミも増える。
街の美観を損ねないため、何よりもユスティの性格上のこともあってかこの道の定期的な掃除は重要な仕事であるということだった。
そしてそれをするに相応しい、冒険者にもなれなかった哀れな天才美少女魔法使い――と、本人が心の中で名乗っている――が看板娘の役割をこなしながら掃き掃除をしている。
「はぁ……魔法学園の歴史で唯一無二と言われたこの天才魔法使いのボクが、なんで地面を箒で掃き続けなければならないんだ……。しかもこれ、掃いた傍から汚れるから実質無意味じゃないか! もっと効率的な方法を考えるべきだ!」
などと一人で呟きながら掃除を続けているイリスに向けられる視線は、当然ながら冷たいものだ。
「お嬢ちゃん。お手伝いできて偉いねぇ」
とはいえ、世の中はそんなに捨てたものではない。
偶然前を通りかかった老婆が、懐から取り出した砂糖菓子をくれたりもする。
「うむ、ありがとう」
「あらあら、ちゃんとお礼も言えて凄いね」
そう言って、イリスの頭を撫でて老婆は去っていく。
「……ひょっとして今のお婆さん、ボクを子供だと思ったのか?」
少しばかり気付くのが遅いが、概ねその通りだった。
イリスの身長は子供程度しかなく、胸も先程まで話していたユスティとは実に対照的だ。
学園でも飛び級と言われていたが、実際はそんなことはない。
「まったく、見かけで人を判断するとは嘆かわしいものだ。もぐもぐ」
砂糖菓子を口に含みながら文句を言っても説得力の欠片もない。
「しかし、ボクはいったいいつまでこれをやっていればいいのだ?」
などと独り言を言いながら、そろそろ休憩でもしようかとイリスが辺りを見回すと、視界の端で何やら複数人の男女が揉めているのが見えた。
状況としては数人で一人の女性を詰めているような形だった。大声で捲し立てているのは、髪を逆立てたチンピラ風の男で、恐らくは冒険者なのだろう。
「うーむ。あれと同じ仕事と考えると、冒険者というのも考えものだなぁ」
もっとも、他にイリスができるような仕事がないのも事実ではあるのだが。
大声で男は何かを喚いてから、仲間達と一緒に少女に対して嘲笑の声を浴びせかける。
少女はそれを微動だにせずに受け入れ、やがて男はそれも面白くなくなったのだろう。最後に何かを吐き捨ててから、イリスの方に向かって歩いてきた。
「あん?」
そして一部始終を眺めていたイリスと目が合う。
じろじろとイリスを見ながら、男は距離を詰めてくる。周りの仲間達もまた、ニヤニヤ笑いを浮かべながらそれに続いていた。
「何見てんだてめぇ?」
「目立つようなことをしていたからね。人間達が住む場所で獣の様に騒げば、注目を集めるのも当然だろう」
事実、彼等を見ていたのはイリスだけではない。道行く人たちもまた、同じような視線を向けていた。
「うるせぇ!」
「ボクは問われたことに答えただけだし、声の大きさならば君の方が圧倒的……」
「黙れっつってんだよ!」
どうやらあまり話が通じない人種の様だった。魔法学園にいたころは他の国から留学に来てこの国の言語が拙い相手と喋ったこともあるが、もう少し意思の疎通はスムーズだったような気がするが。
男はイリスの足元にある花壇に蹴りを入れる。
「ガエルさん! こいつ、あの追放魔導師のガキですよ!」
取り巻きの男が、イリスを見ながらそう言った。
「追放魔導師?」
イリスはそれを疑問に思い首を傾げたが、どうやらガエルと呼ばれた男はそれで全てを察したらしい。
怒りの形相は消え、今度はイリスを心底馬鹿にした表情になって、目線を合わせてくる。
「あー……お前がロレンソのパーティをクビになったって言うチビかぁ!」
「……それは否定しないが」
「ま、仕方ないだろうな。見るからに弱そうで、使えなさそうな魔導師だし。魔法の一つも使えるか怪しいもんだ」
「そうそう! よかったらあたしがファイアーボール、教えてあげよっか?」
などと、ガエルの後ろにいた派手な格好の女魔導師が笑いながら提案する。
「ほう。それはありがたい。ボクとしても冒険者の魔法というのが……」
「嘘だよ、バーカ!」
女魔導師の持っている杖で、イリスの身体が押し出される。
咄嗟のことに何も反応することができず、イリスはそのまま背後にあった花壇に突っ込んで盛大に尻餅をついてしまった。
それを見ながら、ガエルとその仲間達は大声で笑い始めた。
「ギャハハハハッ! だっせぇ!」
「雑魚魔導師の癖にいきがるんじゃないよ!」
彼等は何が楽しいのか、イリスが折角集めたゴミや塵を足でその辺りに撒き散らして、ギルドの中へと入っていった。しかも、敢えてイリスの方に蹴飛ばしたので落ち葉やらなんやらが頭の上に降りかかってくる。
それらの蛮行に満足したガエル達は、余程この行為が楽しかったのだろう。大笑いしながらギルドの中へと入っていく。
「やり直しじゃないか」
彼が何に怒っていて、何が楽しかったのかはイリスには理解できないが、一先ず掃除を最初からやり直しと言うのは、少しばかり気が滅入る。
立ち上がろうとしたところで、正面に何者かの姿があることに気が付いた。
「……なんだい?」
「立てる?」
赤い髪が特徴的な、褐色の肌をした少女だった。身長はイリスよりは高く、スラリとした均整の取れた体形が目を引く。
瞳の色は金色で、見ていると吸い込まれそうになってしまいそうなほどに美しい。
その顔からは表情が読み取れず、何処か無機質な印象を受けた。
「ああ、ありがとう。おっと」
思ったより強い力で引っ張り上げられれ、イリスは驚きながらも立ちあがる。
「君は、さっきあの男達に囲まれていたようだが?」
「……うん」
「酷いことはされていないか?」
「されてない」
淡々と、少女は答える。
言いながら、イリスの持っていた箒を手に取った。
「手伝う」
「どうしてだ?」
「あいつが怒っていたの、わたしの所為だから。……多分」
「君は何か彼を怒らせるようなことを?」
「……知らない」
あまり話も通じなさそうだし、短気そうでもあった。彼女の方から問題を起こしたとは、どうにもイリスには思えない。
「手伝いには素直に感謝するよ。そっちのちりとりを頼む」
少女から箒を受け取って、散らばってしまったゴミを再び集める。幸いにして、それほど遠くまで散ってしまったわけではなかったのでそれほど時間は掛からなかった。
「君も冒険者かい?」
ふるふると、ちりとりを持って屈んだままの少女が首を横に振った。
「ということは見習いか」
「ん」
こくりと頷く。
「つまりは彼等のパーティに所属していたが、クビになったと」
首を傾げてから、頷いた。
「多分」
「今から行っても入れてもらえそうな雰囲気ではなかったな」
「貴方は冒険者?」
「いいや、君と同じ立場だ。追放された、冒険者見習いさ」
「……それは、困った。冒険者になりたいのに」
「それはボクだって同じだ。冒険者にならないといけない理由がある」
「困った」
当然だが、解決方法が出てくるわけではない。
ある程度のゴミをちりとりに収め、残りは散らしてみなかったことにする。
これで掃除が終わったということでいいだろう。イリスは少女からちりとりを受け取って、ギルドに戻ろうとする。
「あ」
その瞬間、イリスが後ろを振り返ったときに見せた少女の縋るような目が、そこから黙って立ち去ることを拒ませた。
「……ボク達はお互いに冒険者見習いだ。二人でいても、何にも状況は変わらない」
少女が頷く。
何となく捨てられた子犬のような、そんな目をしている。イリスは犬を拾ったことなどはないが。
「……だが、二人でいればまた違う方法を考えつくかも知れない。そういうわけで、追放者同士、少しの間手を組もうじゃないか」
そう提案すると、少女が力強く頷いた。
どうやら一人で心細かったのは、イリスだけではないらしい。
「ん!」
「ボクの名前はイリス。君は?」
「ルブリム」
「短い間の付き合いになるだろうが、よろしく頼む」
伸ばされたイリスの手を握り、ルブリムは大きく頷く。
久方ぶりに触れた誰かの手は、イリスが思っていたよりもずっと暖かい感触がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます