第6話 さんぽ

 昨日から引き続き今日も晴天。降り注ぐ日差しは空気を温め、しかしながら暑すぎないこの気温は、外で活動するには最適だった。こんな日は旅に出たくなるな。自分探しの旅に――別に天気が良くなくても旅には行きたくなるし、自分探しの旅というよりかは個性探しの旅という方が、私にとっては正しいのだが。


「それでは、業務研修を始めたいと思いま~す」


 私とククリ、それからくろろさんは1stの中庭にいた。中庭というがちょっとしたグラウンドほどの広さはあり、軽く運動をするには十分な広さだ。実際そういった使い道で訪れる団員がほとんどらしく、地面は小石が取り除かれるほど綺麗に整えられている。時刻が午前十時になったのを確認して、柩さんはポケットからメモを取り出すと、私たちに話し始めた。


「は~い。えっと……『今日の研修内容はパトロールです。人々の暮らしと最も近い場所で事件や事故を未然に防ぐためのパトロールは1stの仕事の基本中の基本です』……だってぇ」


「何ですか?そのメモ」


「朝起きたら枕元に置いてたの~。エナちゃんってばマスターキー持ってるからねぇ」


 ……心配性のお母さんみたいだな。柩さんに聞いた話だが、あんまりにも片づけできない団員が居ると無理やり押し入って掃除されるとか……。柩さんも経験があるのかもしれない。彼女の室内を見たことはないが、少なくとも綺麗ではないだろう。おそらく散らかってるか、物が全然ないか、のどっちかだ。


「パトロールって……なんだか地味ですね」


 ククリが相変わらずの歯に衣着せぬ物言いをすると、柩さんはその質問が来ることを予見していたかのように語り始めた。


「確かに地味だけど、場合によっちゃ現行犯に対処することになるからぁ……臨機応変さが求められる結構難しい任務でもあるんだよ? 色んな能力を鍛えられるから研修にはもってこいだし、顔が広くなるのも何かと便利だからね」


「ま、まぁ、それが任務だって言うならパトロールだろうと従うほかないですけど……」


 頼りなさげな先輩から思いのほかしっかりした正論が飛んできたことに少し驚いたらしく、ククリはそう言ったきり少し大人しくなった。ふふん、少しは反省したほうがいいよ。


「――ってメモに書いてあるね」


 やっぱり頼りないかもしれない。




 柩さんは結構な有名人だった。街を歩けばいろんな人に声をかけられる。――主に女性に。


「柩さぁん! 新作のスイーツがあるんです! ウチに試食しに来ませんかぁ?」


「ぃや~、ごめんねぇ。いま仕事中だからさぁ」


「クロちゃん、新しいゲーム買ったの。いっしょにやろ」


「次の休みまで練習しときな~。私強いよ~?」


「千葉さん……。今日、両親が旅行で居ないの……よかったら」


「戸締りに気を付けてねぇ、何かあったら飛んでいくからさ」


 柩さんはびっくりするぐらい同年代の女性から声を掛けられる。これは……顔が広いとかそういうやつではなさそうだ。「女の子に頼み事されると断れなくってさぁ~」と彼女は言うが、何か湿っぽいものを感じざるを得ないな……。隣のパートナーをちらりと伺うと、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。周囲からの視線がなければ私だってそんな顔してる。こういう取り繕わないところはある意味生きやすそうだなと少し感心してしまった。


 そんな感じで、四方から飛ばされる黄色い声を華麗に躱しながらパトロールを続けていると、不意に柩さんが立ち止まって辺りを見渡し始めた。つられて私たちも周囲を窺うが、これといって特筆すべきものは見当たらない。


「あの、どうしたんですか? 何か異常でも――」


「近くに――困ってる女の子が居る……」


「え?」


何らかの直観で(あるいは動物的本能で)まだ見ぬ女性の危険を察知したのであろう柩さんは、それだけを言い残すと今までに見せたことのないような俊敏さで、私たちを気にせず走り出してしまった。しばらく呆気にとられていた私たちだったが。


「追いかけた方がいいんじゃないの?」


 抑揚のないククリの声で我に返った私は、小さく頷いて彼女の後に続いた。


***


 二、三分ほど走り、やっとの思いで柩さんに追いつく。彼女の勘は正しかったらしく、道の向こうには何やら厄介ごとが起こっていた。


「おいお嬢ちゃんよぉ、そっちからぶつかってきてその態度はおかしいんじゃねぇか?」


「ご……ごめん、な、さい」


 いかにもといったチンピラ風の服装に身を包んだ二人組が、少女の行く手をさえぎって話しかけている。背を向けた少女の表情はこちらからでは読み取れないが、時折肩を震わせているのが見て取れる。


「てめぇ……っ。あんま舐めてんじゃねぇぞッ!」


 振り降ろされた拳が、少女の顔面に命中する。少女はぐらりと身体を放り投げて地べたに尻餅をついてしまうが、男たちの怒りは収まらないらしい。彼らのうちの一人が少女に馬乗りになって再び拳を振り上げた――その時。


「――キミたちぃ、今すぐ止まりな?じゃないと……」


 柩さんがそう言い終わるが早いか、どこからともなく飛んできた鉄球が男の脇腹に深々と突き刺さる。相当の運動エネルギーを持ち合わせていたらしく、少女の上に乗っていた男は、真横に数メートル吹き飛んでしまった。


「変なとこに当たったら、死んじゃうかもだからさ」


 一瞬の出来事だった。柩さんが懐から野球ボールほどの鉄球を取り出したかと思うと、次の瞬間には鉄球が暴漢の身体に直撃していたのだ。鉄球を放り投げてぶつけたのかと思ったが、当の本人は直立不動のままであるところを見るに、これは――。


「うわぁ!? なんだよあいつらいきなりぃッ!?」


「地安『1st』メンバー、千葉柩。好きな言葉は頭寒足熱」


「な、何言ってるんですか柩さん……?」


「いや、なんだよあいつら……って言うから自己紹介してあげないとと思ってぇ」


「――おい、逃げるぞッ!」


 柩さんが締まらないポーズで呑気に自己紹介をしている間に、男たちは走り去っていく。脇腹を抱えて走るチンピラの方は捕まえられそうだが、もう片方の男との距離は既にかなり開いている。


「あぁ……先輩がくだらないボケを挟んだせいで逃げられちゃいますね」


「相変わらず失礼だねぇ、キミ。いくら私でも怒っちゃうよ? ……それに」


「――もう捕まえてるよ」


 そう言って柩さんが握っていた拳を開く。時間にして0.1秒ほどだろうか、しかしその滑らかな指の動きから、まるで時間がゆっくりになったかのような錯覚を受ける。そしてその指が開ききったとき、遠くでモーターのような駆動音が聞こえた。それが、さっき異常な速度で飛んで行ったのち、地面に転がっている鉄球から鳴ったのだと気付いた瞬間。


 ポン、とシャンパンの栓が抜けるような音と共に鉄球が四つに開き、中から白い塊が飛び出した。蜘蛛の巣のようなそれは、爆発の勢いそのまま半球状に広がると、逃げようとする彼らをいとも簡単に絡めとってしまった。――防犯用のネットランチャー、とかいうやつか。


「クソッ――タ、スク……」


 突然の搦め手に慌てて能力を発動しようとした男は、自身の周囲で鳴っている風切り音を耳に留めると、その正体に気付いて硬直した。


「変なことしたら、命の保証はないからね」


 男の頭の周囲を高速で回っているのは、やはりこれも鉄球だった。妙にダボダボとしたその服の中に柩さんは複数の鉄球を仕込んでいたらしい。男たちの頭を中心として衛星のように回っている鉄球は、あまりの速さから、もはや1つの鉄の輪のように見えるが……ただ回っているのではない。回っているのだ。自らの身体の一部のように操る――という比喩表現はよく目にするが、私は自分の身体をここまで正確に動かせる自信はない。というかそもそも手を触れずに物を動かしているだけで異常だ。これはやはり。


「これが、柩さんの能力ですか」


「球体を操作する能力、『百花自転ラウンド・ア・バウト』。……それだけしかできないけど、それだけなら誰より上手くできるよ」


 露骨なドヤ顔で柩さんはそう言った。いやまぁ実際すごいんだけども。


***


 ――そんなこんなで無力化した暴漢どもを柩さんがふん縛っている間に、柩さんの隣で彼女の様子を縮こまって観察していた少女に、私たちは声を掛けた。


「大丈夫だった? ……うわっ、ひどいケガ。」


 清潔さを通り越して異質さすら覚える真っ白な服に身を包んだ少女は、それとは対照的に真っ黒な髪と真っ黒な瞳を持っていた。艶のある黒髪……とはよく聞く誉め言葉であるのだが、しかし少女の艶一つない髪は、合成繊維でできた作り物のようでいて、それはそれで美しいと思えるものだった。不安そうに小刻みに泳ぐ目の周りは青黒く腫れ、見ているだけで痛々しい。ケガを治してあげようと私が手を伸ばした――その瞬間。


「あ、あのっ! 叵辿ククリさんと古池紗芽さんですよねっ!」


 伸ばしていた手がぴたりと止まる。初対面の少女にいきなり名前を呼ばれて、かなり面食らってしまった。柩さんがちらりとこちらを覗き見る。少女は私たちの顔を交互に見ては目をキラキラと輝かせている。


「……なんで私たちの名前を知ってんの」


 ククリがもっともな疑問を少女に投げかけるが、彼女がそれに答えることはなかった。


「や、やっぱりお二人がそうなんですね、ず、ずっと探してたんですよ!」


 少女は吃音気味な話し方でククリの質問をスルーすると、不意に懐から小さな箱を取り出した。


「こ、こ、これ、助けてもらったお礼です……良かったらどうぞ」


「なにこれ……マッチ箱?」


 片手に収まるほどのそれはマッチ箱であった。真っ白な地に赤いインクで「灯」と印字されている。不思議に思った私が尋ねると、少女は少し自慢げに語り始めた。


「このマッチ、私の手作りなんです。よ、よく燃えるって、仲間内では結構好評なんですよ?」


 そう言って彼女は慣れた手つきでマッチ棒を取り出すと、マッチの頭で側薬を擦り着火する。――自慢の通り、かなりの火力だ――すごいね、と思わず口にすると、彼女の口角が僅かに持ち上がる。……と、そのとき。


「二人ともッ、危ないッ!!」


 柩さんの鬼気迫る表情に目線をマッチから逸らした瞬間、にわかにマッチの火が大きくなった。と同時に柩さんの服の袖から飛び出した鉄球が火――既に炎と形容するべき大きさにまでなっているが――目掛けて一直線に飛び出した。その鉄球が少女の掌からマッチを弾き飛ばすに思えたが。


「もう遅いよ」


 炎は消えなかった。柩さんの狙いが外れたのではない。現にこうして鉄球は彼女の手に命中し、マッチは彼方へと飛んで行ってしまった。……にもかかわらず炎は変わらずにそこにある。燃えるものがないのに、炎だけがそこにあるのだ。炎は火球になって柩さんの方へとすさまじい速度で飛んでいく。


「え――」


 とっさに上着を脱いで壁を作ろうとする彼女の努力をあざ笑うかのように、火球は方向転換をすると、無防備な背中から見事に命中した。言葉を紡ぐ間もなく全身が炎に包まれる。


「柩さんッ!」


 今すぐに火を消さないと。でも水なんて何処にも……。そんな衝動めいた思考に脳が支配されて動けなくなる私と違って、ククリはいたって冷静だった。


「――エーテルッ」


 指があらぬ方向に曲がった右手をぶらりと垂らし、虚ろな目で燃える人間を見つめていた少女に、ククリは容赦なく攻撃をぶち込む。少女は身体をくの字に曲げながら道の反対側へと吹き飛ばされた。ひったくりを撃退した時の技だ。一時の安全が確保された私は柩さんに近付こうとする――が。


「き……ちゃダメ……ッ」


 肺の空気を全て吐き出すような悲痛な叫びに足が止まる。何かただならぬものを感じて一歩後ずさったときだった。


 視界が赤く染まる。それが炎だと気付いたのは顔面に熱を感じてからだった。声を上げる余裕もなく慌てて炎から離れる。吹き飛ばされて気絶したかと思えた少女は左手をこちらに向けて力なく掲げている。前髪の隙間から、光のない黒目がちな瞳が覗いていた。――まだ能力が使えるのか。


「逃げ――助けを……ゃくッ!」


 これ以上ないほど冷静で、冷酷な判断だった。実戦経験のない私たちだけで戦って、勝てる可能性は低い。死ぬのが三人になるよりは自分一人の犠牲で済ませよう……ということだろう。しかし。


「に、逃げられると、こ、困るんだけど……」


 少女はそう言うと、何故か柩さんの身体の炎を消した。彼女の行動が理解できずに思考停止する。


「に、逃げたら、助かんないよ?」


 少女の歪んだ笑みを見てようやくその意図に気付く。――これは、人質だ。炎を消して、柩さんを助けるという選択肢をあえて残すことで、私たちを逃げられないようにした……。全身の服が燃え尽きてほとんど全裸になっている柩さんは、皮膚がところどころ赤黒く焼け焦げていて、見るに堪えない。力なく横たわっており、指先だけがかすかに痙攣している。


「ダメだよ、やっぱり」


 見るに堪えない、けど。


「……紗芽?」


 目を背けるわけにはいかなかった。それは私が一番知っている。


「ここで逃げたらギルドに入った意味ないよ。…………困ってる人が居たら、助けなくっちゃ」


「……馬鹿みたい。あなた一人じゃ何もできないくせに」


 そう言いながら、ククリは立ち塞がるように私の前に歩み出る。


「あなた、足手まといだから。一人で逃げて、助けを呼んできて。……コイツは私が足止めする。」


 虚勢でも「倒す」と言えないのは、仕方のないことだ。あれだけ強かった枢さんが目の前でやられるのを見てしまったのだから。もっと言ってしまえば、「足止め」というのも虚勢だろう。ククリの膝は小さく震えている。


「嫌だ。悪い人を見つけたのに逃げるだなんて、私の正義に背くことになる。それに、無理はしないでって、約束したよね?」


 ククリは私が引かないこと、そしてこれ以上議論を続けることは枢さんの命というタイムリミットを浪費する無駄な行為だということを理解したようで諦めたように溜息をつくと、右手を肩の高さにまで上げた。

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