私のできるまで

なまはげ

第1話

 私の生まれたのは、1944年、昭和19年である。まだ戦争中だったが、私は戦争のことは覚えていない。

 物心ついた頃の私が知っていることといえば私のいる茶の間に、夕食後、兄達が集まってきて、各々、戦争の思い出について語っていたということである。

 例えば、赤ん坊の私を背負ったまま、寝ていたこととか、クツを履いたまま、足を土間に出して寝ていたとか、川の向こうの畑に行って、飛行機に狙われていたとか……

 幾晩も続く同じような話に口を出し、聞き、それらを繰り返し話し、聞きして、少しずつ消化し、納得させて自分の身に溶け込ませ忘れていくしかないのだろう。

 茶の間の長火鉢の周りに家族が集まり、同じ思いの話をする。例えその話しが戦争の話だとしても私には暖かなひとときとして思い出される。私は父の膝の上に頭を乗せ、時には耳の掃除をしてもらいながら、子守歌のように兄弟の話しを聞き、心地よく眠りにつくのであった。

 長火鉢には鉄瓶が、チンチンと音を立てている。それぞれの湯飲みにはお茶が満たされ、時として笑いが起こり、いつまでも絶えない。

 私は夢美心地でそれを聞きウツラウツラしていたのである。

 

 やがて、弟が生まれた。私は二階に上がる階段の途中に縮こまり、階段の隣にある座敷に寝ている母の声ばかりを聞いていた。

 産後の出血が止まらないという母の体質からか、近くの病院の医者も立ち会っての出産だった。が、弟は母に迷惑をかけず無事生まれてきた。

 弟の産声を聞くと、それまで母の恐ろしいうめき声を聞いていたのも忘れ、暗闇の階段が突如として明るくなったのを覚えている。

 弟を入れて私の兄弟は七人となった。

 

 私には七人の兄弟がいる。一番上の姉キミを頭に、次が長男兼吉、次男好男、次女のヒサ子、三男岳夫、私が三女のカナ、弟の四郎。家族は父母とお手伝いさんを入れて十人家族だ。父と母は新所帯だったので、父方も母方の祖父母もいなかった。もっともその方達はそのころにはもう亡くなっていた。

 ある日の朝八時過ぎ、私は保育園が休みだった。弟を背負った母は、イライラしながら朝食の片づけをしていた。

 二歳になった弟四郎は、その朝に限って、母の背中で手足をバタつかせ、泣き喚いている。父は仕事場で機械をガタガタいわせ、煎餅作りに余念がない。  

 と、地震だ!私が生まれて初めて体験した地震である。私は家の中にいられず、庭に飛び出していた。すると母が、

 「地震がもっと大きくなるようだったら、庭の先にある竹藪に逃げなさい。わかったね!」

と、怒鳴る。私は「ウン」と答え、庭の一番南の端に立っている杭にしがみついていた。

隣の金物屋の息子で学校の先生をしている男の人が、自分の家の廊下まで出てきて、

「もう、大丈夫だよ」といってくれた。

 学校から帰ったすぐ上の兄、岳夫が、

「隣の先生が『妹が青い顔をして、ふるえていた』と笑っていた」という。

 私にとって生まれて初めてのことで怖かったのと、母の怒鳴り声で、必死になっていたのだが……。あとで聞いた話しでは、今市という所の地震だったという事だが、今市がどこにあるのか知らなかった。

 私の家は、A県の片田舎にあった。県道沿いにあり、店は北側に面している。

 向かって左側が店からの土間続きで、仕事場まで続いていた。店売りの商品のストックや自転車入れ。自転車は、店を開けると同時に店の前の右端に二台並べて置く。

 お店の左側の先は台所、風呂と続き、ガラス戸の先は仕事場になっていた。

 建物の奥は南側に面し、その先は田んぼ、そして竹藪へと続いた。

 右側はまず店、それから六帖の茶の間、次に八帖の座敷、廊下があり、便所が出っ張ってあった。廊下の先には庭が細長く、田んぼの際まで続く。

 右側の庭は、手前に池があり、味噌小屋、にわとり小屋へと続く。狭い庭には、そこここに父が丹精したおなじみの花が咲いていた。

 仕事場の南側に付随して薪小屋があり、父は、小屋の中に白い蛇が住んでいる、という。が、私は見たことがなかった。もっとも私は蛇が大嫌いだった。

 買ったばかりの薪はまだ乾いていないので、小屋の外の屋根の下に、一年間積んで置く。次の年の新しい薪が来た時に、今まで積んでいた薪を小屋の中に投げ入れ、屋根の下に新しい薪を積んでいく。ちなみに薪は、近郷の方が馬車で山積みに二台分運んでくる。

 薪は店の道路とのわずかな隙間に投げ下ろしていく。それを学校から帰ってきた順に、運ぶ。兄達は、長年そうしてきたのだろう。文句を言う人もいない。

 荒縄を適当な長さに切り、輪にして両端を引っ張り置き、その二本の縄の上に三十センチ程にに切ってある薪を置くと、縄の両端を握って背中に担ぎ上げる。

 隣の家との境の細い路地を行き、薪小屋の外側にガラガラと投げ下ろす。それを薪が無くなるまで続ける。ほかの兄は、小屋の南にうまく積み上げる。私も見よう見真似で薪を運んだ。それはもう年間行事とでもいうか、兄達の体に染み込んでいるようであった。

 そんな時、長女のキミは母の手伝いをしているが、次女のヒサ子は、私の知っている限り一度も手伝いに出てきたことはなかった。私達がキャーキャーと手伝っていた事を、しらけながら、どこかで盗み見ていたのだろうか。ちなみに兄達は毎朝学校に行く前に、庭に出した臼でせんべいにするうるち米の餅を、ひとうすづつついて学校に行った。


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