三題話「鏡」「日」「龍」

あめはしつつじ

三題話「鏡」「日」「龍」

「くしゅん」と、

 辰之助はくしゃみをした。

 彼は全裸であった。

 元日。

 冬休みの宿題。書き初め。

 墨汁で汚すから、と、母親に服、そして下着まで脱がされた。習字道具一式を持たされ、外に飛び散るから、扉を開けちゃ駄目よ、と冬場の風呂場に閉じ込められた。 

 浴槽には、湯は張っておらず、折りたたみ式の蓋、洗面用具が入っていた。

 小さな窓から、時折、冷たい風が吹き込む。

 辰之助は、綺麗な字を早く書かなければ、遭難する、そう思った。

 龍。

 彼が課題に決めた一文字。

 その龍の字が中々キマらない。

 彼の中の龍のイメージは、天に長く昇る龍。

 お手本のように、楷書でしっかりと書くと、どうしても、太ってしまう。

 もっと流れるように。

 水場、だからであろうか。彼の中に湧き出すインスピレーション。

 鉛筆のように、筆の下の方に手をやる持ち方から、筆の上の方を優しくつまむ持ち方に変える。

 流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流、流。

 龍。

 冬の寒さの中、凍てつかず、こんこんと流れる川を思わす、清らかな龍が、半紙の上に顕れた。

 一字を書き上げ、緊張が解ける。

 辰之助は、かじかむ指で半紙を持ち上げる。染み込んだ墨汁の重さを感じる。

 表の黒はまだ、瑞々しい。裏を返すと、もう大部分、乾いているようだと辰之助は思った。

 半紙から目を上げると目の前に鏡があった。

 鳥肌の立った胸の前に、鏡写しの龍の文字。

 そして、半紙の裏から見た龍の文字。

 彼は気づいた。

 鏡とは、左右の反転でなく、表裏の反転だと。

「くしゅん」




 翌日、彼は酷く熱を出し、前後不覚。半死の思いをした。

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三題話「鏡」「日」「龍」 あめはしつつじ @amehashi_224

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