お品書き 二 『どら焼き』居場所を失くした者【7】

「さきほど我々で話し合ったのですが、ひとまずこちらでお過ごしになってください。そうすれば、雨天様が解決策を見つけてくださるでしょう」


「見つからなかったら?」


「そんなことはありえません。雨天様は神様ですから」



 半信半疑の私に、コンくんが胸を張る。

 ギンくんもコンくんの言葉に大きく頷いていて、雨天様は瞳を柔らかく緩めていた。

 雨天様たちの瞳や態度が、〝大丈夫だ〟と言っている。

 知らないうちに、よくわからない上にありえない状況に陥ってしまっていたのに、不思議と三人のことは素直に信じることができた。



「わかった、信じるよ」



 おばあちゃんの家に泊まるつもりだったけれど、なにか予定があったわけじゃない。

 こっちには友人もいないし、実家は千葉にあって、親戚だってすぐに会いに行けるような距離にはいない。

 まるで最初からこうなることが決まっていたのかと思うほど、今の私が頼れる場所は雨天様たちしかいなかったのだ。

 もっとも、こんな話をしたって誰にも信じてもらえないだろうけれど。



「ひかり様がお帰りになりたい時は、コンとギンがお供いたします。なにかお困りのことがあれば、なんでもおっしゃってくださいね」


「あ、じゃあ、荷物は取りに行きたいかな……。でも、一緒に行ってくれるのは雨天様じゃないの? 雨天様から離れない方がいいんだよね?」


「いいえ、それは……」



 眉を下げたコンくんを見て、ハッとする。

 悪気があったわけじゃないけれど、きっと傷つけてしまったと感じたから。



「あ、違うの! コンくんとギンくんを信用してないわけじゃないんだよ? でも、さっき雨天様の傍にいた方がって……」


「あ、いいえ。そういうことではないのです。ひかり様がおっしゃりたいことはわかっておりますので、お気遣いは無用でございます」



 すぐに笑顔になったコンくんは、ギンくんと顔を見合わせたあとで、ふたりとも雨天様を見た。ふたりは、まるで雨天様の様子を窺うように、困惑顔をしていた。



「よい。私が説明しよう」



 雨天様は息を吐くと、私を見た。それから、おもむろに開口した。



「私は、ここから出ることができないのだ」

 

「え?」


(じゃあ、ずっとここにいるの?)



 間髪を容れずに浮かんだ疑問は、なんとか喉元で留めた。

 なんとなく、安易に尋ねてはいけないような気がしたから。

 だけど、雨天様は特に気にする素振りもなく微笑み、縁側に視線を遣った。



「私が持つ力は、ただひとつ。雨を降らせることだけなのだ」


「え? でも、さっき守護の術を……」


「あんなもの、神の力とは関係ない。神というのは、等しく守護の力を持っているし、あれくらいのことは生まれたばかりの神の子でもできる」



 神様の子どもなんていまいち想像できないけれど、今はそんなことは問題じゃない。

 私が想像していたよりもずっと、神様というのは不便なものなのだろうか。

 私の思考が伝わったようで、雨天様は「まぁそうだな」と苦笑を漏らした。

 考えていることを読まれるというのは、こういう時に限っては悪くないのかもしれない。



「神なんて、人が思うほど万能ではないものだ。だが、不便なことはないし、私はここでお客様をもてなすことを楽しんでいる」



 雨天様は穏やかに微笑んでいて、その言葉が嘘じゃないことはわかった。



「庭には、季節折々の果実が実るし、美しい花も咲く。足りない物は二匹の子狐が仕入れてきてくれ、甘味を作るのは至福だ。よい暮らしだと思っておる」



 神様にも、制約のようなものがあるのかもしれない。

 もっと色々と訊いてみたかったけれど、ほんの一瞬だけ悲しそうにも見えた瞳を前に、詳しいことを尋ねるのは憚られた。



「話を戻そう」



 私の思考を読めるはずの雨天様がなにも触れてこないということは、きっとそういうこと。素直に頷いて見せると、「いい子だ」と瞳が丸められた。



「コンとギンは、見た目こそ子どもだが腕は信頼できる。なにかあれば、必ずひかり守ってくれるだろう。だがな……」



 そこで小さなため息を落とした雨天様は、どこか申し訳なさそう微笑んだ。



「危険なことなんて、まず起こらないと思ってよい。ひかりに自覚を持たせるために魂の話をしたが、あれはここでお客様に触れてしまった時と、ここに長く居座った時だけだ」



 思わず唇を尖らせたけれど、雨天様が「すまぬ」とあまりにも素直に口にしたから怒る気は失せてしまった。



「だが、そもそもお客様と触れ合うということ自体、私ですら滅多にないからな。それに、ひかりがここで長く過ごすことがないように、ひかりのことも早々に解決すると約束しよう。だから、案ずることはない」


「うん、わかった」


「いい子だ」



 これは、雨天様の口癖なんだろうか。

 子ども扱いされているようで複雑な気持ちにもなるけれど、不思議と雨天様の口から聞くのは嫌じゃなかった。



 そういえば、昔も言われたことがあるような気がする。もしかしたら、幼い頃にでも両親や祖父母に言われていたのかもしれない。

 もう思い出せないものの、なんだかそんな風に思っていた。



「日が暮れてきたな。荷物は、明日取りに行きなさい」


「え、でも、着替えとか……」


「着替えなら、どこかに浴衣があるはずだ。コンに用意させよう。ギンは風呂に案内してやりなさい」


「はい」



 戸惑う私を余所に、コンくんとギンくんは雨天様の言葉に返事をし、ギンくんが私を見た。

「ひかり様、こちらです」と言われてしまい、選択権が消えてしまったことを自覚する。



 仕方なくギンくんについていけば、ヒノキで造られた広い浴槽がある浴室に誘われ、その大きさに目を見張った。

 驚くことはまだまだあるということを知らない私は、贅沢な空間に少しだけ戸惑いながらも開き直ることにして、ひとまず温かい湯船に身を沈めた――。


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