第2話 体育の色

 朝はとうに過去のモノとなって日差しは元気はつらつな昼間の活発スマイルを堂々とこの世界中に見せつけていた。給食を済ませた後、シスは昼休みという貴重な時間の中で、体育手前であるが為にいつも以上に貴重、残り時間を下に落ち行く砂の量で現わした砂時計が目に浮かんできてしまう程に大切な時間の中をいつも通りあの男と共に過ごしていた。

 その男は満面の笑みで昨日シスが保健室で寝ている間に起こっていたことを話していた。

「いやあ、現実離れしてたな。生徒たちが白目向いててさ、明らかにおかしかったんだ」

 男の名は渡利。彼の普段の目つきは鋭くてシスと同じ人種を思わせる程にくっきりとした顔立ちをしていた。そんな彼が浮かべる笑みはそんな固い顔によく馴染んでいた。どうしてだろうか、それが本性の成す色相とでもいうことだろうか。

 一方でシスの方はと言えばいつものようにくっきりとした顔立ちに気怠さを滲ませて日差しの中の翳りを演出していた。

 渡利はそんなシスの表情の底にほんの一欠けの明るみを、仄かな本音の囁きを目にしていた。つまり、続きが聞きたいのだろう。

「危ない集団を前にして俺は終わったと思ったね」

――あの影や獣が見えない人には、闇が感じれない人にはそう映ってるのか

 シスにとっては形ある何かでしかないそれ、しかしこうしたモノを感じ取る力を持たない者からすれば完全に未知なる恐怖でしかなかったのだということ。

 渡利の話は未だに続いている。シスは何も知らない、そう思っていることだろう。しかしながらそれはシスの思い通り、むしろそうなるように動いているのだから。

「突然男が現れたんだよ、で、教室に入り込んでチョーク投げたり黒板とかの文字を指すあの棒あるだろう。あれ伸ばしたりとかして戦ってさ」

 それはシス本人、男装して戦いの場に姿を現しているということ。それだけは決して伝えるわけにはいかなかった。日頃からさらしを巻いて胸を潰している時点で怪しまれてもおかしくはないものの、気が付かないものなのだろうか。きっと本人が気にしているほどの事実は見えていないということだろう。

「カッコよかったなあ。あの言葉はすんげー頼もしかったんだ。『安心しろ、私は貴女の味方だ』って」

 好意的に受け止められたことに対して心を温もり溢れる感情で湿らせた。仲のいい彼になら話しても構わないだろうか、そう思いつつもやはり真実は仕舞っておくこととした。もしも落胆させてしまったのならば、男装を行なう趣味を持ったシスに対して奇異の目を向けたとしたならば、この関係が瞬く間に崩れ去ってしまったのなら。

 渡利は言葉を続けて加えて目を輝かせていた。

「また会いたい、で、お礼を言いたい。けどもう会わない方がいいんだよな。多分次に会う時も何かが起こった時だろうから」

――よく分かってるじゃないか、男装した私が渡利に会うのは脅威が出た時だけ、それ以外では出来るだけ避けてるから

 そんな言葉は何処かへと、心のひだに挟み込んで別の言葉を差し出した。

「お礼なら、きっと聞いてると思う。この前ここに来たのなら、これからもここに来れるしもしかしたら案外身近な人物かも知れない」

 渡利は首を傾げるばかり。それは当然と言えば当然のこと。

「って言うけど俺、仲いい人ここじゃシスしかいないんだよな」

 この男の友好関係はあまりにも狭かった。

 そうして会話を繋ぎ心に心地よい明るみをもたらした後のこと。時計を見つめてシスはため息をついて鞄を手にして立ち上がった。

「着替えに行く。次体育だから」

 そうして教室を離れ、更に大きなため息をついて窓の景色に透き通るように曖昧な色彩で映り込む自身の顔を、青空の中に出来上がった薄味の鏡と向き合ってもう一度盛大なため息をついた。

――私は女なんだな

 性別の差という壁に隔たれた場所、それぞれに決められた異なる指定場所へと向かう度に胸の奥にてざわめく空しさが騒がしい静寂を生み出していた。

 嫌な静けさが嫌悪的なメロディーを打ち鳴らしていた。

――彼と違う、同じ場所には立てない。ただ一緒に居るだけの友だちでいたいのに

 シスは理解していた。男の姿をしていた時にこそ己の心の表面のざわめきが立ち上がり、さざ波のさざめきが沈み切った心を程よく揺らしてくれるということを。

「上がり過ぎず下がり過ぎず程よい塩梅か」

 彼女の心に持つものは憧れなどではなく、本性そのものだった。


 やがて流されるままに、ルールに乗っかるままにことを済ませ、外にまで響き渡るチャイムが青空をも叩く。

――ああ、日差しが気怠い

 強い日差しに思わず目を細め、手を目の上に添えてしまう。このような環境で運動など果たしてできるものだろうか。

 シスの中に生まれ出た疑問、それを確かめるべく隣のコートに目をやり目の上澄みに陰の想いを走らせる。

――本気を出したら……私があなたの味方だとバレてしまうかも

 ランス・フレムストン。炎の石を纏う苗字に仮の名前。あの姿だけは彼の中の輝きに留めなければならない、そんな気がしていた。

「それでは授業を始めます、起立、礼」

 規律、冷。シスの中でのささやかな反抗。それは誰にも知られぬ犯行。頭の中で軽く思うだけ。面倒な授業、必要な程よい手抜き、嫌に強い日差し。全てがシスの負担へと塗り替えられていった。

 これから先のことなど必要だからとしか答えようのないことで授業だと割り切って遂行するのみ。

――面倒、やりたくない

 そんな感情が表情を強くくっきりと曇らせて行くものの、流石に隣のコートまでは見えていないだろう。これほどの距離の向こう側で渡利が手を振っているのを見て取った。シスの方を向き、分かりやすい程に大きな仕草。

――恥ずかしい

 シスは深々と腰を曲げ、授業開始の時のものを遥かに凌ぐ綺麗な礼を見せて自身の競技へと戻る。

 バレーボール。発祥はどこだろう、生まれた経緯は如何なる道のりか。何ひとつ知る事なくただここに必要な科目として定められているから、それだけの理由でシスはこなしていく。向こうでは球を蹴って追いかけている様を目にすることが出来た。

――渡利、私には他に友だちがいない

 ボールが飛んで来る様を追いかけるシスの目に重なるようにそこには無い未来の姿が映し出される。周りの者が上げた球を思い切り打ち込み即座に得点を、ルールとして決められている勝利への数字を手に入れる姿。

 そうした未来のビジョンは幾つものカタチを持って幾重にも重なって連なっては目に映っていたものの悉く振り払って今演じるべき未来を切り開く。

――今の私はシス、活躍して良いのはランスの方

 球に軽く触れて少し浮かせるだけ、それも見当違いの方へと飛んで行きそうなコントロール。

――カンペキ

 完璧にダメな自分を演じていた。シスの身体にとって体育はこの上なく得意な教科でありながら内心は恐ろしい程苦手な教科だった。本気を出してしまえば渡利に怪しまれてしまうかも知れない。動きの癖や力の入れ方が如何にもな戦闘向けなのだから。

 そんなシスの体育の時間は急に終わりを告げる。誰よりも早く終焉を迎えることができた。

 どこからだろう、女子が飛び込んで来たのだ。

 他の女子たちは困惑を顔に浮かべてそれぞれに心に刻まれた言葉を口にする。

「どこから来たの?」

「キキちゃんは敵側でしょう」

 その問いを耳にしては顔を素早く揺らしながら答えた。

「そうにゃ、私は……お前らの敵側にゃん」

 お前ら、恐らくは人類の敵だと述べているのだろう。クラスメイトの貴希、彼女はナニモノかの手によってクラスメイトの間での恥晒し、しばらく残る恐ろしい恥辱を受けている。

 校舎の方を向き、女子たちの騒ぎを背にシスは駆け出す。

――どうか男子には、渡利には見られていませんように

「私は貴希なんかじゃない、タマだにゃ、そこの球はこれから私の物と書いて私物だにゃ」

 競技の邪魔は邪悪なる気配の手によって引き起こされてしまっていた。シスは全速力で廊下を駆け抜ける。彼女にとってはこれこそが体育と呼ぶことが出来た。

 制服の中でも数少ない男女共用のモノ。動きやすさを重視したそこそこの露出度を誇る平等の証。しかしながら共通の薄っぺらなデザインであるからこそ性別の違いが表に出てしまうというもの。シスが求める共用の制服はそのような物ではなかった。

――長いズボンなら脚も見えないし長袖なら性差のカタチも隠せたのに

 更衣室へと身を滑り込ませ、シスは鞄を開いた。


 グラウンドではいつまでもボールと戯れてネコのような挙動を取り続ける女子がいた。そこに蔓延る闇の靄を見ることの出来る人物はどれだけいることだろう。

 大きな欠伸を恥じらいも無しに行なう姿はもはや少女のことなど一切考えていないものだった。

「給食の余りの牛乳持ってこい、あと魚もにゃ」

 女子たちは目を合わせ、互いに顔を傾ける。

「給食って何年も前に無くなったんじゃなかったっけ」

「だよねー、おねえちゃんの時でもなかったし」

 うわさ程度に聞いただけの給食の時代についてこそこそと話して困惑を口にしていたその時間の隙間、そこからある人物が飛び出して来た。

 セーラー服を身に着けてマントを羽織った人物、セーラー服お揃いの色をしたズボンは空の青。灰を思わせる銀の髪と目はその正体を誰にも悟らせない。

「アナタ、誰?」

 生徒のひとりが訊ねるその時を待っていましたと言わんばかりにタイミングよく口を開いた。

「安心しろ、私はあなたの味方だ」

 箒を手にしてネコの仕草を取る少女を前にして、シスは偽りの名を己に被せた。

「私の名はランス。人の世を乱すモノを追放する者」

 太陽の光を受けて箒が瞬きの輝きを見せつけた。

「ネコじゃらしには少し大きすぎるか?」

 訊ねると共に貴希は箒へと手を伸ばした。

「ねこじゃらしねこじゃらし欲しいにゃん」

「ははは、それは良い恥晒しだ。出て来てくれたらくれてやろう」

 その言葉に従うように黒い靄は広がって貴希の身体から離れた。ランスの方へと向かって来るネコを目にしてランスは鋭い笑みを浮かべ、それに見合わぬ感情を瞳に宿していた。

「ははは、これは良いねこじゃらしだ。出て来てくれたからくれてやろう」

 言の葉と共に勢い付いた振り下ろしを贈呈する、まさにとどめの一撃に相応しい綺麗な一閃だった。

「あなたの最期をな」

 その言葉を捧げられると共にネコのカタチを持った闇は葬り去られた。

 残された少女、貴希は地べたにネコのように寝転がる身体に、地面と水平の身体に気が付くと共に手を地について目を擦りながら体を起こす。

「なにかあった?」

 そう訊ねる貴希に対して女子生徒のひとりが答える。

「キキが突然おかしかったの」

「私が?」

 口にしながらも頭では分かっていた。倒れていた時点で普通ではない何かが起こった後なのだということ。

「それでね、そこのイケた人が……ってあれ?」

 そこにランスの姿は既になかった。代わりにシスが立っていて、女子たちは笑いながらシスの身体を小突いていく。

「もう、シスったらこんなとこに立って。見てたでしょ。あなたもカッコいい顔してるけどもっとイケメンなあの人」

 女子たちが薄桃色の感情を空気中に流して自身の男装姿を褒めちぎっている。その様がこの上なく誇らしく感じられた。

――やっぱ私は男として生きていきたいな、私の色は男の色だから

 容赦という言葉を人々から習わない日差しが一層強く目を光らせて、シスの気怠さを色濃い影に変えて地面に縫い付けていた。

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