一言目には推しを言え

春日希為

一言目には推しを言え

「今、誰推してんの」

 数年ぶりに親友である吉ちゃんからLINEが届いた。お互いに高校を卒業してから全く連絡を取っていなかったからスマホにポップアップが表示された時は驚いた。時間を置いて返事をしようと思っていたのに思わず画面を開いてしまうぐらいの動揺はした。

 既読マークがしっかりついたのを確認したので、どうにか考え、数分悩んだ末に「今さ、ハリー・ポッターにハマってて……」と返す。微妙に質問内容からズレているなあ。と思ったけど、それにもすぐに既読が付いたので今更送り直しも出来ない。

「マジで?今?」

 成人済み。それまで人生で一度もあのベストセラーを読まずにネタバレ無しで通ってきた。珍しい方だと自分でも思う。その時の私はアズカバンの囚人まで読み進めていて、大きな沼に片足を突っ込んでいる予感をひしひしと感じていた。

「で、誰好きよ」

 巻数を説明した上で「シリウスとルーピン先生かなあ」と送るとノータイムで「知ってた」と返ってくる。

「予想通りすぎてなにも言えない。あとルーピン嫌い人いないよ」

「私も読み返そうかな。小学生ぶりに」

「してよ。読んで」

「まあ、気が向いたら」

 スタンプを返すと、そこで一度返信が途切れた。こちらももう返ってこないんだなと理解して、スマホを置いた……時だった。

「違う。今度家来ない?」

 何が違うのか全く分からない。

「いつ?」

「いつでもいいけど」

「じゃあ来週行く。一人暮らししてるんだよね。家知らないわ」

「そうだっけ。」

 それから最寄り駅の情報が送られてきた。

 吉ちゃんとはもう長い付き合いだが、私たちはお互いのことを何も知らない。一人暮らしを始めたという情報も本人から直接聞いたわけじゃない。インスタで引っ越したと言っていたからそうなんだなあ。と知っているだけ。こちらもわざわざ聞かないし、向こうも報告しない。お互いにマメに連絡を取る方でもないから尚更。

 それでもあの時、推しの話をした時から今の今までずっと良い親友でいてくれている。ありがたいことだ。



 中学生三年秋、ゆるゆるとした不登校だった私は高校進学しない。働く!と言って喚いていた。

「進学はしなさい」

「なんでえ」

 担任は保健室でイヤイヤ期の私を宥めるのにさぞ苦労したことだろう。

「本好きだよね。明日は図書館で授業するから途中からでも良いから来なさい」

「えー……」

 えー。めんどくさいなあ。

 全く行く気が起きない。なぜなら私は図書館で授業が行われていない時はいつでも出入りして良いことになっていて、フリーパスを持っている。だから、わざわざ人がいる時に行く理由がない。


「来たんですね」

「まあ、本読むだけなら」

 当日の朝、担任に上手く乗せられて来てしまった。

 入り口横の席を堂々と陣取っていた担任はにっこりとして、自分が読んでいた本にまた向き直った。クラスメイトは「久しぶりー」「よお」「おはよう」と挨拶して去っていく。適当に挨拶を返して、自分の分の本を探しに向かった。お目当ては一つ。アニメ雑誌だ。今月は刀剣乱舞特集が組まれていて、それにお熱の自分にはこれしか見えていない。

 パラパラと雑に要らないページを飛ばしていると「ねえ」と後ろから声。振り向くと、話したことのない女子クラスメイト。それが吉ちゃんだった。

「刀剣乱舞好きなの?誰好き?」

「え!えー……えー」

 動揺。困惑。しどろもどろ。

「私はねえ、へし切り長谷部が好き」

 雑誌には登場していない、ゲームをしていないと分からないキャラの名前をスラスラと口から吐いていく。

 同士! 良い人! まあなんて単純な脳みそなんでしょう!

「私は一期一振と鶴丸国永が好きなんだけど……」

「いいねー」

 吉ちゃんはその瞬間から友達。好きなゲームが好きだから友達。

 その日の私は図書館だけじゃなくて他の授業も前から居ましたけど?という顔して席に座っていた。


「おはよー」

「おはよ」

 八時、目の前には教室の扉。一番乗りの吉ちゃんが職員室から持ってきた鍵で開錠。机と黒板と朝の静かな匂いが全部ごちゃ混ぜになって鼻を抜けていく。

 うん。全然あり。悪くない。


 不登校歴二年目。私は刀剣乱舞が好きな友達が出来たのでこの日を持ちまして卒業いたします。


 二人きりの教室は刀剣乱舞のことで持ちきりだった。話していなかった分を今埋めなければと必死で口を動かした。それは始業チャイムがなるまで淀みなく続いた。体感一分。

「おはようございます」

 担任が入ってきて、ギョロッとした目を向けた。その目は半分落ちていた。

 教卓の前にぼんやりと座る元不登校児がいたからだ。もしくは今日の欠席者がゼロだったからかもしれない。

「休み無し。今日の一限は数学からです。放課後は個人面談をします。他は居残りしないように」

 プリントを数枚配って、担任は私の顔を見ながら教室から出て行った。


「高校ですが、希望のところには行けません」

「そうですよね」

 申し訳なさそうな顔をする担任に私は成績表を裏返して首を傾げて、もう一度そうですよねと呟く。

「入試でいい点が取れれば入れますが、担任としては薦められません」

 ギョロっとした目が手元の成績表に移され、その紙を無言で担任に返す。

「落としたら受かりますか」

「まあ、落とせば余裕だと」

「じゃあ、そうします」

 次の人の時間が近づいてきていた。私が立ち上がろうとした時「彼女と最近仲が良いですね」と柔らかい声がした。

「楽しいです」

「そうですか。それではさよなら」

「先生、さよなら。明日は鍵取りに行きます」


 二月中旬、私立専願受験の吉ちゃんは二次試験で志望高校への合格を果たした。かくいう私も担任の予想通り余裕で公立高校へ合格。担任に報告するとギョロッとした目を細めて「おめでとう」と言われた。

「おめでとう」

 合格発表から直接来たらしく途中入室してきた吉ちゃんはマフラーを解きながらすぐ後ろの自分の席に座った。最後の席がえで奇跡的に私たちの席は前後になって授業中の私語は捗りまくっている。受験が終わっていないクラスメイトからすれば良い迷惑だろう。全てから解放された私たちには知ったことではないが。

 教卓前の名誉の一等席に座る私は授業中にも関わらず大胆に体ごと後ろを向いて、労いの言葉をかけた。吉ちゃんはありがとうと微笑んだ。

「そこ、授業中」

 数学の担当教師は私語を絶対に許さないタイプで嫌いだ。大人しく前を向いて回答が済んでいる問題集に目を落とすと公式の続きをガツガツ書き出した。チョークがパラパラと寿命を削ってどんどん惨めな長さになっていくのを教卓越しに見た。


「合格したね」

 昼休み、教室で席に座り次の授業の用意をしながら間延びした声で返事をする。

「高校ちゃんと考えるなんて思ってなかった」

「考えたの?」

 吉ちゃんも同じようにノートの準備をしながらどうでも良さそうに言葉を返した。お互いに話したいことを話しているだけで中身は無いに等しい。隣では吉ちゃんの友達が大きな声で笑っている。たまに吉ちゃんの方に声をかけては彼女も「そうだねー」と微笑む。また笑い声が上がる。でも、吉ちゃんの視線はずっとノートの方だ。

「いや、考えてない。けど、まあ、うん」

「ふーん」

「そうだ。アニメイトに刀剣乱舞のグッズ見に行こうよ」

「マジで!行く!」

 顔をぱっとあげると、吉ちゃんと目が合った。


 

 一人暮らしをしている吉ちゃんの家は簡素なものだった。人の家に上がる時はいつでもソワソワする。吉ちゃんは「水でいい?」と言いながらコップに水を注いでいた。

「で、今ハリー・ポッターで誰を推してるの」

 私はそれから自分の予想通り勢いが止まらず全巻読破済み。待ってましたとばかりに口角を上げた。今日、これを言いたくて言いたくて堪らなかったが、ちょっとそういう風に見られたくなくて「えー」と言ってみる。

「今はレギュラスが好き」

 予想よりも大きな声が出たので私も驚いた。吉ちゃんの方を見ると、目を大きく開いて「え!?レギュラス」と言った。その反応に嬉しくなって、大きくゆっくり頷く。

「うん」

「なんで、また」

「だって、まあ好きになってしまったからね」

「大穴すぎる……」

 親友は「で?」と言うと、水を一口飲んだ。

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