第28話:無表情と良い返事

 ソラナはアービラという街に行くまでの間、護衛をすれば僕が街に入るためのお金を出してくれると言った。


 その話を受ける前に、なぜ彼女が護衛を必要としているのか説明してくれているのだけれど、僕はその話が全く頭に入っていなかった。


 なぜならさっきソラナが僕の手を両手で包んでくれたからだ。

 恥ずかしながら異性の手に触れたのは何十年ぶりか分からないし、人の温かみを感じたのも久しぶりだったからだ。


 白ムクドリの翼にくるまれたときも温かかったけれどソラナの手はそれを凌駕する安心感があった。


 僕は精神的には多分三十歳を超えていると思うんだけれど、実際にはほとんど社会経験がない。

 高校に入る頃にはもう病院での生活を始めていたはずで、知っているのは学校とか病院とかの閉鎖的な社会だけだ。

 セミになってからもほとんどずっと地中にいたわけだから経験なんて薄っぺらいものしかないのだ。


 目の前のソラナと僕では経験値にどれぐらいの違いがあるんだろうね。

 もしこの子がすごく社交的だったりしたら僕よりもはるかに社会性があるかもしれない。


 なんでそんなことを言っているかというと、さっき彼女が触れてきてくれた時、とても分厚いものを感じたのだ。

 それは多分人生の厚みとか人間性とかそういうものなんだと思う。


 僕の人生はずっと希薄で、人間性は育たなかった。

 それに比べて彼女の存在感は濃くて僕を圧倒してしまう何かを持っていた。


 女性の手を握った時が人生で最高の瞬間だと言う人がいるとどこかで聞いたことがあったけれど、僕のこれまでの人生の中で一番の瞬間は目の前の女の子に手を包まれた時で間違いがないだろう。


 残念なのは彼女がすぐ手を離してしまったことだけれど、その数秒間が永遠にも思えた。

 よこしまな気持ちはなくて、なんだか単純に泣きそうな気持ちになったのだ。

 それだけ孤独だったんだと思う。


「——ケイダさん、聞いてますか?」


「あ、ごめんなさい。ぼーっとしてました。でも話は聞いています」


 そんな訳で一分前の青春に気を取られていた僕は、当の本人であるソラナに現実に引き戻された。


 えーっと、確か話は彼女がいた村に流行り病が来てしまい、村中の人が寝込んでしまったというところだった。


「最初に重症化したのは私の父でした。そして次に妹がご飯も食べられない状態になり、母も日に日にやせほそっていきましたが、私だけはほとんど症状が出なかったのです」


 突然ソラナの顔が暗くなり、ぼそぼそと話し始めた。

 ちょっと前までは朗らかに流行り病のことを話していたはずなのに明らかに雰囲気が変わった。

 治ったという話の導入部分みたいだったからちゃんと聞いていなかったんだけれど、このトーンになるってことは⋯⋯。


「そしてほとんど同時に両親が亡くなり、後を追うように妹も逝ってしまいました。それが二ヶ月前のことです。私の家族を皮切りに村の人がどんどん亡くなり、生き残ったのは私を含めて十人ほどでした。このままでは生活が続けられないため、母の親族を頼って私は旅を始めたのです」


 ソラナは淡々と簡潔に事実を述べた。

 あんなに生気に満ちていた顔がいまでは人形のようになってしまっている。

 それを見た瞬間僕の胸に強い痛みが生じた。

 僕が病院でよく見ていた顔だったからだ。


 人に不幸があった時、いろんな反応の仕方があると思うけれど、感情を失ったような表情になってしまう人も結構多い。

 泣き喚いたり、悲痛な表情を浮かべたりするのはある意味で正常な反応だと思うのだけど、こうして気持ちを押し殺し無感情になってしまうのはあんまり健全じゃないかもしれない。


 さっきとはうってかわって僕は彼女の話を全身全霊をかけて聞いているけれど、かけるべき言葉は浮かんでこなかった。


「アービラへ向かう乗合馬車に乗ったのが二日前になります。何度も使った事のある経路だったので安心して旅をしていたのですが、昨日の夜に何者かの襲撃を受けて私は一人で逃げてきたのです」


「え? 襲撃を受けた?」


「はい。野営をしていたらいつのまにか辺りが魔法の火に囲まれていたんです。御者さんや一緒に乗っていた冒険者の方が私を逃がしてくれたのですが、後ろから戦闘音が聞こえていました」


 ソラナはとてつもないエピソードを淡白な調子で話している。

 かなり話が省略されているようなので表面上でしか分からないけれど、多分こういう風にしか話せないのだろう。

 いろんなことが起き過ぎて処理能力を超えてしまったんだと思う。


 僕に対する家族の反応にも似たものがあった。

 最初に入院したときはすごく心配してくれて温かかったものだけれど、調子が一向によくならず、むしろ悪化するような日々が重なるにつれてみんな段々と感情を失っていってしまった。


 心温かくて思いやりがあるからこそ、そういう状態になってしまうんだと僕は思う。

 そんなことを思い出していたからなのか、気がつくと僕の頬には水が一筋伝っていた。


「旅程的に大体の場所が分かっていましたのでひとまず『女神の楽園』の方に逃げようと思っていたのです。今年は『災厄の年』なので魔物が近寄らないはずだと分かっていましたからね。ですが、そうは決めたものの歩いているうちに色んなことが頭を巡って泣けてきちゃいまして⋯⋯。そんな時に私の目の前に現れたのがケイダさんだったのです」


 ソラナはさっきまでの無表情を一変させて、喜びが溢れるような顔で僕の目を見た。

 そして指で僕の涙をぬぐいながら、彼女自身も涙を流し始めた。


「セミのように飛び回って木に抱きつくあなたを見て、私は目を奪われてしまったんです。あの人大丈夫かな?とかおかしな人に会っちゃったのかな?とか色んな感情が湧きましたけれど、見ているうちに自然と笑顔になっている自分に気がついたんです。あんなに悲しかったはずなのに⋯⋯いつのまにか私の心の闇が晴れていました」


 やっぱり変だとは思われていたんだね。

 まぁ、その方が自然だとも思うけれど、なんだろうこの話。

 一瞬感動しそうになっていたけれど、やっぱりおかしいよね?


 冷静に考えるとこの子とんでもない不運に見舞われているし、なんか呪われているとかじゃないよね?

 自分で言うのも変だけれどだいぶ変わった子みたいだし、関わらない方が良いのかもしれない。


「私は幼い頃から虫が好きで、女の子にしては珍しいと言われて育ったような人間なので⋯⋯ケイダさんの無邪気な姿に救われたような気がしたんです」


 虫が好きなのはかなり良いことだと思うけれど、そんなことに救われない方が良いと思うよ!

 やっぱりこの辺で話を切り上げてこの子とは関わらないようにした方が良さそうだな。


 ソラナは再び僕の手を取り、とびっきりの笑顔を浮かべた。

 目には涙が浮かんでいて彼女の碧い瞳がキラキラ輝いている。


「ケイダさん。そんなあなたであれば信じられる気がするんです。魔法が使えそうとのことですし、ぜひアービラまで私と一緒に行動していただけないでしょうか? 私を助けてください!」


「はい。喜んで!」


 あれ⋯⋯。

 好みの顔すぎて断ることができなかったよ⋯⋯。

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