第26話:結局笑顔に勝るものはない

 人化した僕はセミのように森を飛び回り樹液を舐めるという行動に夢中になっていた。

 それは初めて外の世界に出た高揚感のせいであって、決して頭がおかしいとかそういうことではない。

 だけど、それを目の前の金髪美少女に分かって貰えるかというとそんな自信は全くなかった。


「ち、違うんです⋯⋯」


 僕はしどろもどろになりながら良い言い訳を探そうとした。

 目の前には金髪碧眼の少女がいて、僕を涙目でじーっと見ている。


 やはり怖かったのかもしれない。

 というか怖かったはずだ。

 もし森に行って、見知らぬ男が木に抱きついて樹液を舐めていたら僕だったら間違いなく通報している。


 やってしまったという気持ちが湧いてくるんだけれど、早く気づいてよかったとも思っている。

 もうちょっとしたら大きな声で「ミーンミンミン」とミンミンゼミのように声を上げたいと思っていたので、それを見られるという絶望的な状況は何とか避けることができた。


 何度も言うけれど目の前の女性は美少女だ。

 歳の頃は十七、八だろうか。

 背は高めに見えるし、すらっとしていて手足が長い。肌は真っ白だ。


 黄色と灰色が混じったような色の服だけれど、形はあまり見たことがない。

 ワンピースっぽいけれど、とりあえず動きやすく布をまとめただけのように見えなくもない。

 うまく言えないけれど、なんか村娘っぽい格好だ。長めの髪を三つ編みにしているのもポイントが高い。

 背には革製っぽい大きなリュックを背負っている。


 この世界で初めて話すのが女性、しかもこんなに綺麗な子となるとどうしたら良いのか分からない。

 よく見ると彼女は泣いていたのか頬は少し濡れている。

 目はうるうるしていて彼女の美しさを引き立てている。


 格好は村娘っぽいのに顔立ちや佇まいには品があるような気がする。

 というかどことなく顔立ちが真っ白な空間で会った神様に似ているように見える。

 そう思うと余計に焦ってきた。


「あ、あのこれはですね。新しい健康法というか⋯⋯鍛錬法といいますかね⋯⋯」


 あぁ、だめだ。

 そもそも長年病院の人としか話してなかった僕がセミになって拗らせた結果が今なのだ。

 人と話せるわけがない。

 だけどどうにかしないととワタワタしていると少女の顔が突然くしゃっとなった。


「⋯⋯ふふっ」


 吹き出すような音と共に少女は顔を手で覆ってしまった。 


 あれ? なんかもしかして僕笑われている?

 ちなみに僕は笑う時に顔を手で覆う人が好きだ。

 なんか手を見ちゃう。


「僕、何かしましたかね?」

「いや、何かって⋯⋯ふふぅ⋯⋯ふっふっふ⋯⋯」


 僕が聞いたのがさらにおかしかったのか、少女は下を向いて呼吸を荒くした。

 お腹に手を添えて苦しそうにしている。

 あまりに苦しそうだったので、僕は心配になった。


「大丈夫ですか? 苦しいですか?」

「ちょっと待ってください⋯⋯いきなりそんなに真顔にならないで⋯⋯ふふっ⋯⋯苦しい⋯⋯」


 少女は再び顔を上げて僕を見た。

 可憐な女性が満面な笑みを浮かべて僕を見ている。

 それだけで僕は胸を撃ち抜かれてしまった。


「何⋯⋯してたんですか⋯⋯? あなたは何者ですか⋯⋯?」

「僕? セミだけど⋯⋯」

「ふふっ⋯⋯あれやっぱりセミだったんだ⋯⋯ふぅ⋯⋯ふぅ⋯⋯。あぁ、やっぱりダメだ⋯⋯ひっひっひ⋯⋯苦しい⋯⋯」」


 馬鹿正直にセミと答えてしまったけれど、彼女にはそれもギャグとして伝わったみたいだ。

 彼女はもはや呼吸困難になりそうなほど笑っていて「し、しぬぅ⋯⋯」と悶えている。

 そんな様子を見て僕も楽しい気持ちになった。

 ここで気の利いた言葉を言えたらよかったのだけれど、そんなちょうど良い能力は持っていないので僕は彼女が落ち着くのをゆっくり待つことにした。




「すいません。初対面の方なのに失礼なことをしてしまいました」


 しばらくしてから落ち着いた少女は居住まいを正して丁寧に頭を下げた。

 その様子は堂に入っていて思わず許してしまいそうだった。

 そもそもおかしいのは僕の方だから許すもないにもないんだけどね。


「いえいえ、こちらこそ。どうせ他に誰も居やしないと調子に乗ってしまいました」


 奇跡的に変質者扱いされなかったことを感謝して僕は深く頭を下げた。

 彼女が叫び声を上げたら逮捕一直線だった。

 ここには警察もいないし、多分人っ子一人いないけれど⋯⋯。


 お互いに謝りあったあと、僕は気になっていたことを彼女に聞くことにした。


「ちなみにですけれど、いつから見ていたんですか?」


 そう言うと彼女は碧い目を逸らして、また思い出し笑いをしながら教えてくれた。


「『ここは楽園だぁー!!!』と叫ぶところからです⋯⋯くっくっく⋯⋯」


 ほとんど最初からじゃないか!

 っていうかこの子かなり長い時間僕を見ていたんじゃないか?

 よく覚えていないけれど三本か四本くらいは木を渡った気がするんだけど。


 夢中になって気づかない僕も僕だけれど、それをずっと見ていたこの子も変だよね?

 逃げようと思えば逃げられたはずなのにそうしなかったんだから、僕の罪は軽いよね?


「⋯⋯ほとんど最初からだったんですね」


 僕はしょんぼりと呟いた。


「すみません。辛いことがあって絶望した気持ちで森を歩いていたら、あなたがあまりにも楽しそうに木々を渡り歩いていましたので、違和感を持つ暇もなく目を奪われてしまって⋯⋯」


 今度は頬に手を当てて肩をふりふりしている。

 顔は耳まで真っ赤だ。

 もしかしてこの子ってちょっと変⋯⋯?


 美少女だったから緊張しちゃっていたけれど、森でセミの真似をして樹液を舐めまわす男に目を奪われるような変な子だったら普通に話せるかもしれないと思ってきた。


「申し遅れましたが、私はソラナって言います。いまちょっと追っ手に追われていましてこの森に隠れていたんです」


 そして少女は会ったばかりの僕に信頼の目を向けてこんなことを言ってきた。


 これが僕とソラナの出会いだった。

 珍妙な始まりだったけれど、こんな彼女と長い付き合いになるだなんて僕は思ってもいなかった。

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