天使だった僕へ
相上おかき
羽のない天使
僕のせいだ。僕のせいでみんなは……。
僕は消えたほうがみんなの役に立てるのかもしれない。どうしてそんな簡単なことを今まで実行しなかったんだろう。
僕はベッドから立ち上がり、一緒に寝ていた仲間たちを起こさないように静かに部屋を出た。消灯時間後の外出は禁止されているが、これから消える僕にとって、そんなことはどうでも良かった。規則にとにかく厳しい寮長に何時間も叱られるなんて、恐ろしすぎて想像もしたくない。
窓から零れる冷たい半月の光が肌を刺す。焼け尽くされる感覚ではなく、ただじりじりと浸み込むような痛みが、僕に命を感じさせる。夜中に死のうとするんじゃなかった。僕は楽に簡単に苦しまずに誰にも知られずに消えたい。
僕は走った。廊下に足音が響き渡るのを気にせずに。
僕は戻らなかった。出来損ないの僕を引き留める仲間はいないから。
僕は寮を飛び出した。でも、心配させないように鍵はきちんと閉めなおして。
僕は森を駆けた。誰にも迷惑が掛からない場所を探すために。
僕は衝動的に羽に手を伸ばし、思い切り力を込めて捥いだ。筋肉の組織が破壊され、繊維や血管が容易く千切れていく音がする。毎日歌っていた賛美歌にはほど遠いが、命を称えるに相応しい音色が酷く耳に残る。最後の筋が体から引き離された時、心臓が張り裂けるほどの痛みが僕を襲った。この世のものとは思えない叫び声が聞こえる。その声が自分のものであると認識するのに少し時間がかかり、それが自分から発されたとは信じがたかった。
月が山奥に沈み、恵みの太陽が木々に栄養を与え始める頃に、僕は意識を取り戻した。あの後、気を失ったのか、叫び疲れて眠ってしまったのか分からなかったが、今まで感じたことのない自由に浸っていた。
「あはは。僕、逃げちゃったよ」
逃げた、と口にすると、いきなり感情と涙が溢れてきた。悲しくないのに。後悔していないのに。勝手に溢れてくる。
「うびぇぇぇぇっ」
心に詰まった思いを吐き出すように、僕は泣き叫んだ。
「おや? 泣いている子供がいるじゃありませんか。坊や、どうしたんだい?」
涙で滲んだ視界を袖で拭うと、しゃがんでいた僕を見下ろすように一人の老人が立っているのが見えた。老人は「私は、この先の孤児院で先生をしています。坊や、君さえ良ければ私のところに来ませんか?」と言って、僕の来た道とは反対の方向を指差した。
寮を抜け出した今、僕には安心して眠れる場所も、温かい食事もない。老人からの提案は僕にとってありがたいものだった。
「僕を連れて行ってください」
「ああ、一緒に行こう。ところで坊や、その足元に置いてあるものは何だい?」
足元を見ると、昨日捥いだ羽が転がっていた。羽全体が血液で赤黒く染められており、元の色の面影すらない。半日放置していたためか、表面は乾燥し、触ると粉のように崩れてしまいそうだった。これを何かと聞かれると何と答えるべきなのだろう。羽? 鳥の死骸? 何にせよ、身近にあるものではない。
「僕のそばにずっと落ちていました」
「そうかい。じゃあ、埋めてから行こうか」
老人は近くにあった石で器用に、枕が入りそうな大きさの穴を掘った。そして、丁寧に羽を穴に入れ、土を被せて静かに祈った。
「それじゃあ、行きましょう」
老人は僕の手を取り、先ほど示された道を真っ直ぐに進んでいった。やがて森を抜け、小さな家が見えてきた。
「見えてきたね。あれが私たちの家だよ」
外で何人かの子供が洗濯物を干していたり、野菜の収穫をしたり、弓や剣の練習をしたりしていた。どれも僕が大の苦手なことだった。また前のように何も出来ないことを笑われるのが怖くなって、つい口に出してしまった。
「僕は何も仕事が出来ません。前にいた所でも何も出来ませんでした。みんなの足を引っ張ってばかりで……」
いきなり話し始めた僕に老人は驚いていたが、すぐに微笑んで「大丈夫。君の好きなことを少しずつ頑張っていけばいいんだよ」と答えた。その言葉と表情に僕は安心した。
「家に着いたら、作業の説明をしよう。独り立ちするときの大切な準備さ」
孤児院に着くと、老人はいろいろな部屋を案内しながら、作業の説明をしてくれた。掃除や料理に洗濯、裁縫、薪割り、買い物。どれも好きと言えるものではなかったうえに、上手く出来たためしがない。絶望を感じていると、最後に装備の部屋に案内された。そこには弓や剣、槍をはじめ、多くの武器や防具が並べられていたが、一部を除いて埃を被っている状態だった。
「もし、したい作業が無かったら、君にはここの掃除を頼みたいんだが……」
他に出来ることもないので、人に迷惑をかけない、装備の掃除をしてみようと思い、「やります」と言った。
ここで暮らし始めて数日、正直毎日が楽しかった。みんな優しくて、一緒に本を読んだり、外で追いかけっこをしたり、布団の中でこっそり夜更かししてみたりした。
羽根を捥いだおかげで、みんなと仲良くなれたと思う。だって、前の仲間はみんな同じ羽が生えていたけど、ここでは誰も羽なんて付いていないから。羽に手をかけた時は本当に痛かったけれど。
自分の作業も少しずつ進めて、とりあえず棚の埃は綺麗に払った。先生も褒めてくれて、頑張って良かったと思える。でも、もっと褒めてもらいたいから、装備の手入れをしようと僕は考えた。武器の手入れは前もしたことがあるので、倉庫から錆落としと砥石、羊毛を運び出し、一つ一つ丁寧に錆を取っていった。長い間手入れされていないものが多く、錆落としで磨くだけでも剣が輝いて見えた。磨き終わったものを砥石で研いでいく。手を切らないように細心の注意を払いながら、片面ずつ整えた。最後の仕上げに羊毛で拭き取ると、剣に僕の顔が反射するほど綺麗になった。いい出来じゃないかと思い、先生に見せに行くと、先生は「これは素晴らしいですね。これは君にしか出来ないことですよ。他のも整えてもらえると、とても嬉しいです」と頭を撫でてくれた。自分の仕事を見つけた事が嬉しくて、何日も部屋に籠って装備の手入れをした。数日で全ての装備を整える事ができた。それを先生に伝えると、今度は何も言わずに装備品を持っていってしまった。
その日から、みんなが一人ずついなくなっていった。先生に聞いても、「立派に独り立ちしました」と目を合わせずに答えてばかり。
ある夜、先生が誰かを連れて出かけようとしていたので、僕はこっそり後をつけた。その誰かは防具で身を固めていて分からなかった。二人は夜の薄気味悪い森の中を歩いていった。その方向は、僕が昔いた寮の方向だった。
木陰に隠れていると、先生の声が聞こえた。
「いいですか? この地域の天使は月の光で弱体化します。あそこに小さな家が見えるでしょう? あそこには天使の子供たちがたくさん住んでいます。羽を奪ってきてください。そうしたら、金貨十枚をあげましょう。一体につき十枚です。天使は人ではありません。あの羽には計りきれない価値があるのです。さぁ、みなさん頑張ってください」
子供は一人だけと思っていたが、先生の合図で七、八人が岩陰から出てきた。
先生は僕ら天使を襲うつもりだった?
天使の羽に価値がある?
僕は人ではない?
そんなことを考えていると、みんなは家に向かって歩き始めた。手には鋭く磨かれた剣や槍、弦の張り替えられた弓を持ち、修繕された鎧を身に纏って天使への攻撃を開始した。火のついた矢が屋根に刺さり、だんだんと燃え広がっていく。突然の火事に驚き、外に出てきた天使を武器で攻撃していた。
攻撃を受けているのは僕の仲間たちだった。羽を捥がれ、心臓を貫かれ、満月の光で朽ちていく。僕は泣き叫ぶ仲間たちの声を聞くことしかできなかった。
仲間を苦しめている武器は、僕が手入れしたものだ。
先生とみんなを守っている防具も、僕が手入れしたものだ。
僕のせいだ。僕のせいでみんなは、仲間は……。
僕がちゃんと死んでいたら。僕があの時逃げ出さなかったら。僕がきちんと仕事が出来ていたら。僕の心がもっと強かったら。僕が生まれてこなかったら。仲間もみんなも笑っていられた?
「悪い夢なら覚めてしまえばいいのに」
僕は木陰から足を出し、ゆっくりと全身を満月の光に浴びせた。焼け尽くされるような痛みが体中にはしった。仲間の痛みに比べれば、僕は心に底の見えない穴が空いただけで済んでいるのかもしれない。
僕の体は塵となり、夜風に飛ばされ消えていった。
天使だった僕へ 相上おかき @AiueOkaki018
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