第31話 恐怖の統治者

 私たちがノヴァレインを出発してから、マジェスティアを経由してルナティカへ向かっている。

 マジェスティアの城壁が遠くに見え始めた時、空は薄紫色に染まり、夕暮れの静けさが街全体を包んでいた。


 親衛隊員たちは、マジェスティア出身者も多く、彼らにとっては故郷への帰還という意味も含まれている。

 隊員が家族の元に戻るのを見届けて、私はゾルトと共に町を歩いている。

 ノヴァレインとは違い、マジェスティアは平和で実によく統治されているのが分かる。

 物価も安定しているし、住民の表情も明るく見える。

 統治者の資質が国の様相にここまで影響を及ぼすことを、つい最近まで知らなかった。


「マジェスティアの太守はゾルトだったわよね。なかなかやるじゃない」


「陛下も世の中の理をお悟りになられたようで。しかし……拙者は太守でしたが、実際の統治は別の者に任せておりました」


「そうなの?その者に是非会いたいわ。早速案内してもらえるかしら」


 以前に来たときは、王都帰還を急いでいたこともあり、統治の実態まで確認する余裕が無かった。

 思い返してみればゾルトが配下に加わった後、すぐに私と一緒に旅ができたのだ。

 ということは、ゾルトがいなくても統治に問題が生じないような体制になっていたのだろう。


「その通りでございます……非常に優秀な者ですが、拙者にはとても恐ろしいのです。会えば分かるとは思います……」


 

 あのゾルトがこれほど恐れるとは、一体どのような者なのだろう。

 私は恐怖心よりも好奇心が高まっていることに気付いた。


 城の門をくぐると、敬礼を交えた厳かな出迎えが待っていた。

 一番奥にいるオーガ族の女性が私たちに近づき、深々と頭を下げた。


「陛下、よくお戻りになられました。マジェスティアは陛下を歓迎いたします」


「レンナーラ、拙者が留守の間、よく守ってくれた。陛下、このレンナーラが現在統治をしております」


 ゾルトはその女性をレンナーラと呼んだ。

 以前城で会議をした際に、副官として参加していた者だ。

 レンナーラは、オーガ族特有の堂々とした体躯と、知性を感じさせる鋭い眼差しを持つ女性だった。

 ゾルトが恐れる者とはこのレンナーラなのだろうか。


「夫であるゾルトがしばしばご迷惑をおかけしております。ゾルトに変わってマジェスティアの統治を任されておりますレンナーラと申します」


 彼女の言葉に、私は思わず微笑みを隠せなかった。ゾルトがこんなにも力強い女性の夫だったとは。

 そうか、これで全て理解できた。

 ふーん、ゾルトは恐妻家だったということね。


 妻帯者だとは知らなかったけど、これは面白いことを聞いた。是非、スカーレットにも教えてあげよう。

 リナリスには……ダメだな。あの者は口が軽すぎる。


「本日はこちらに宿泊する予定ですので、部屋を用意していただけますか。あと、少し話したいので後で時間を作ってもらえる?」


「承知しました。私も色々話を聞きたいので、是非に!」


 レンナーラはゾルトを睨みつけてそう言った。

 これは一悶着ありそうな予感がするわね。


 ――


 用意された部屋でお風呂に入り、ゆっくり休んでいるとレンナーラの使いが呼びに来た。

 外はすでに夜が深まり、城内は静まり返っている。


 途中で合流したゾルトはいつものように厳しい表情をしていたが、今日は何かを悩んでいるようだった。

 会議室は薄暗く、ただレンナーラの姿だけが窓から差し込む月明かりに照らされていた。


「待ってたわよ、ゾルト……説明していただけるかしら」


 ゾルトの顔が一瞬で硬直した。

 すると、ゾルトは床に額をこすりつけ、土下座を始めた。

 ゾルトの土下座は、会議室に響く唯一の音だった。


「レンナーラ、すまなかった」


「何が『すまなかった』よ!妻に黙って出ていくなんて、頭おかしいんじゃないの!」


「えっ、ゾルト。あなた黙って出ていったの?」


「陛下、この男は『ルナティカ村に増援の兵を送りたい』と私に兵の引き渡しをさせている間に旅立ったのです。後のことは全て私に丸投げですよ!」


「ゾルト……お前、それはさすがに私でも引くわよ」


「いや……その……あのときは時間が無かったんだ。1秒でも早く陛下を王都まで送り届けなければならなかったんだ。あのときそう説明したら、お前はすぐに許可してくれたか?」


 えっと、これは私が原因で喧嘩になっているのでは……?

 レンナーラの怒りは頂点に達し、彼女の目には涙が光っていた。


「なんだと、このバカ男!」


 そう怒鳴るなり、レンナーラはゾルトに飛びかかった。

 鮮やかに蹴り倒すと、馬乗りになってゾルトを殴りはじめた。

 ゾルトはただ黙って、愛する人の怒りを受け入れていた。


「バカ!バカ!バカ!……ばか……。うわ~ん、ゾルトのばか~」


 ついに馬乗りになったまま号泣してしまった。

 ゾルトは上半身だけ起き上がると、レンナーラを抱き寄せた。

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