同級生とさかしまに落ちる
覇千蜜
第1話
昨日、同級生が死んだらしい。
溺死だった。河川敷に流れ着いていたという。
十二月の中旬、冬の寒い季節。
暖房のよく効いたリビングで寝転がっていた私に、仕事から帰ってきたお母さんが慌ててそう言った。
「別に死因まで言わなくていいじゃん。想像したら嫌になっちゃった」
思わぬ訃報にスマホのトーク画面を閉じる。
その代わりにテレビのリモコンを探していたら、テレビが勝手に点いた。
「あ、四番」
「はいはい。それでアンタ何も知らないの? たしか仲良かったでしょ。凪子ちゃんと」
「東雲さんと? めっちゃ前の話じゃん。家も隣から引っ越してったし、クラスも違う。今じゃ全く関わりないよ|」
東雲凪子《しののめなぎこ》。黒髪美人の大和撫子、というのが誰もが彼女に抱く印象だ。
そんな抜群の容姿を持ち合わせた上に、『人に優しく、自分に厳しい』と評される彼女は、モテまくりの人気者。ついでに言うなら文武両道で、高校受験は県外に行くと話している我らが希望の星。
トンビという名の田舎から生まれた白鳥、それが彼女である。
要するに、高嶺の花。
数年前は隣近所の好もあってよく遊んでいたが、そんな彼女と話す機会は引っ越しを境に幻のように消えていった。
人間関係が途切れるとき。
一番多いのは喧嘩別れでもなんでもなく、自然消滅だ。とは、私の持論。というか実際にそうなんじゃない?
「えー、でも悲しいー。なんでなの? 溺死ってなに? 橋から? それともお風呂場で寝ちゃったりとか?」
「さあて、どうだろうね。私も、さすがにそこまでは聞いてないから」
バラエティー番組からは笑い声が聞こえる。湿った二人の話題を吹き飛ばすような明るさだ。
ソファに背中を預けた私は、再びスマホのトーク画面を開いた。が、トーク一覧をスライドしても彼女の名前は出てこない。
それもそうだ。彼女とは連絡先など交換していないのだから。
「明日は大変かもね」
トントントン、と台所で食材を切り刻む音。
「何が?」
「だって、凪子ちゃんが……って、みんな悲しむでしょ?」
あれだけ厚顔に話していた事実を隠すように、お母さんは言葉を控えた。
今さら伏せても意味がないと思ったけど、知り合いが死んだとを口にするには、まだ違和感が残っているんだと思う。現実味がないとも言う。
今回の出来事が、本当に起きたことだと信じたくないようなお母さんの口振りに、私はこくんと頷いた。全くもって同感だ。
「アンタも、凪子ちゃんみたいに慕われる人生を送んのよ」
「うるさいって」
***
「朝だよ。起きようよ
「まだ……寝てたいから。話しかけないでよ」
「ダーメ。蘭ちゃんってば、寒いからって遅刻ギリギリまで家にいるじゃない? たまには早く行こうよ」
布団を被れば被るほど、その声は大きく聞こえる。
いよいよ目障りになって体を叩き起こせば、そこには一人の女の子が浮いていた。
花のような笑みで私を見下ろしていて、似合うのはおそらく、白い菊。
「えらいね〜。よかった。私の未練がまた一つ消えていった感じがする」
「似たようなセリフ、いっぱい聞いたからもういいよ」
ボサボサの後ろ髪を撫で付ける。
それで髪の毛は整ってくれたけど、痛む頭はそのままだ。
現状に理解を示す方法はない。強いて言うなら、私の頭がおかしくなってしまったことだけが分かる。
黒髪黒瞳。艶やかな長い髪を腰まで下ろして、一房だけ編んだ髪に赤いリボンが結われている。
何も不思議じゃない。見覚えのある彼女の姿だ。
ただ、その透けた足を除いて。
「さ、行こう。ご飯が冷めちゃう」
「うちはパン派。あとジャムよりバター」
――お母さんから彼女の訃報を効いたその日の夜、彼女は『幽霊』となって私の枕元に現れた。
それはもう腰を抜かすくらい驚いて、いろんな人に彼女が見えるかと聞いて歩いた。
収穫はゼロ。どうして彼女が私のところへやってきたかも分からないし、私だけに見える理由も分からない。
分からないことだらけだ。だというのに誰にも相談することができない。多分、精神科を勧められる。もしくは脳。
彼女は幽霊のまま、揺蕩うことしかできない。成仏することも難しいようなので、彼女の居場所はどこにもないと言ってもいい。
それならば、と。
意思疎通ができる私のことを、彼女は甲斐甲斐しく世話をしようとしていた。
例えば、朝の起床。
例えば、授業の補助。
例えば――。
「蘭! 俺と付き合ってくれ!」
「…………」
目の前の彼は耳を少しだけ赤くして、本当に、真剣に交際を申し込んでいるみたいだった。
そうして同じクラスの男子に告白されたときに。
「蘭ちゃん。ごめんね、すごく差し出がましいんだけど、この人、最近まで他の人と付き合ってたよ? 否定はしないけど、あとでゆっくり考えた方がいいかもしれない」
「…………」
「俺、実はずっと前からお前のことが好きで……」
「あっ真剣な告白の場面でうるさいよね……ちょっと静かにしてるから、気にしないで」
「中一の初め頃から気になってたんだ――!」
「…………あーー、ごめん。今はちょっと困る。次、音楽だから行かなくちゃ」
と、告白現場まで駆けつける周到っぷり。
授業参観じゃないんだぞ、とため息が出る。
正直、彼女のお節介は差し出がましいことこの上ない。
けど今回の場合はまあいいか、と諦めた。どちらにせよ彼とは仲良くなれないと思ったからだ。
同級生が死んで数日後に告白するとか、なんだそれ。
*
「帰りはクレープとか、アイス食べて帰りたいね」
下校中。彼女は私の斜め前で浮き続けながらそんなことを言った。
まさか下校中にも話しかけられるなんて、と驚いて周りを見渡して、人がいないことを確認してから私は口を開いた。
「幽霊って食事できないんじゃないの?」
人と重なり、物と重なり、建物すらすり抜けてしまう透明な彼女が食事を楽しめるとは思えなかった。
「そうだね〜。私は食べられないけど、蘭ちゃんが食べてるのを見るのは、それはそれで楽しいと思ってね」
「私の?」
「うん。蘭ちゃんの」
聡明な彼女は分かっている。
だからほんのりとした笑みを浮かべているのに、残酷な現実を受け入れて、代わりに何かを探してる。
彼女の口端が上がるのを目で追って、
「物好き。じゃあ、代わりにゲーセン行こう。ここら辺クレープ屋さんないからさ」
「ゲームセンター!」
近所のゲーセンを指さしてみたら、彼女は思わぬ食い付きを見せた。
それから幽体を妖精のように巧みに操って、私をゲーセンへと誘おうとする。
花の妖精。もとい娯楽の幽霊。
みんなが噂するような大和撫子とは程遠い彼女の騒ぎように、思わず笑ってしまった。
本当は下校中にゲームセンターなんてバレたら怒られる。
けど、そこら辺の憂いが全部吹き飛ぶくらい彼女も愉快に笑っていたので、まあ、なんとでもなれと思った。
「それで、私クレーンゲームだけは得意なんだ。本当に、これだけは幽霊なのが悔しい! 蘭ちゃんの体さえ使えたら全部取ってあげられるんだけど。ちらり」
ゲームセンターの中に入れば、彼女は一目散に目的の場所へ向かっていった。
騒がしい店舗内で彼女は障害物を透けて通っていくので、追いつくのは大変だった。
ようやく追いついた場所は、大きなクマのぬいぐるみが取れるクレーンゲームの前。
それを眺めて口を尖らせた彼女は、どうしてもプレイしたいと目を爛々と輝かせていた。幽霊なのに!
「ヤダ。乗っ取られるってことじゃん」
「全部じゃないよ〜腕だけ!」
「ま、とか言って、どうせ乗っ取ることもできないんでしょ。見てて、自分で取るから」
自信は驚くほど満ち溢れている。でかいアームを動かして取るだけなんて、ものすっごく簡単。
という謎の自信も回数制限付き。
アームが何の獲物も持たずに位置を戻す姿を二回ほど見て、自信はどこかへと消えていってしまった。
「……やっぱダメか」
「自信満々な蘭ちゃんは一体どこに」
「ここ、まだいるから。泣きの一回だから!」
そう言ってクレーンを動かす。
横を見て、真正面からも確認して。いやいやもう一回横を見ての微調整。
もうこれ以上ない位置にアームを置いて、
「よし! これで――」
「あー! もっとこっちだよ蘭ちゃん!」
と、私の手は、私の意思に反してアームを動かして、降下のボタンを押す――――。
私が何かをするまでもなく、大きなクマのぬいぐるみをゲットできてしまった。
できて、しまった。
思わず、彼女の方を見た。
そこには私と同じように口を開けた彼女がいて、
「帰ろっか」
どちらかともなくそう言って帰路につく。
私と彼女は、帰路につく。
学校、部活、ゲーセン。
遊んでいたら、外はすっかり暗くなってしまっていた。
深い闇が私たちを飲み込んでしまいそうなくらい巨大な何かに見えて、寒さ以上の身震いをする。
それをカバーするようにぬいぐるみに顔を埋めてみたけど、ダメだった。息苦しいだけだった。
「…………」
街灯の下を通過すると、白い息が暴かれる。
星は見えない。月も見えない。
今日は曇りで、深夜には雨が降っているそう。
「……ねえ。もう、分かってるんだよね」
蘭ちゃんは。
と、目の前を歩く凪は、振り向きざまに酷薄な笑みを見せた。
足元はアーチ状の橋になっているにもかかわらず、透けた足で違和感なく、本当にそこに立っているかのように彼女は歩いていた。
それを見るのはただ一人私だけ。
そんな私を見るのもただ一人だけ。
耳にワイヤーを突き刺したような耳鳴りが響いて、あの日の夜を思い出す。
ただ一つ違うのは、今日が満月ではなく新月だということ。
「ごめん。あのとき、手、離して」
前を歩く凪の手に、触れようとする。
本当なら透けてしまうはずの手に、柔らかい絹のような手に、また触れてしまった。
「いいんだよ。だから、また蘭ちゃんはここに戻ってきてくれた」
「……違う。私は、凪が現れなかったらきっと、ここには」
「まだ残ってるんだね」
温度のない手が艶めくように、私の手の隙間に指を挟んだ。
暖かくも冷たくもない。そこに存在することも許されない綺麗な凪。
けど、私だけが知っていた。
凪の苦悩も、全て。
「でも行けない。私は、凪とは――!」
「ううん」
するりと、凪が私の体に透ける。
途端に私の体は私のものでなくなった。
支配権は別の誰かにあって、私はそれを遠くから眺めているだけの観覧者だった。
「一緒にいこう」
私の声で、私の顔で、私の体で。
彼女/私は冷たい鉄の橋に足をかけた。
同級生とさかしまに落ちる 覇千蜜 @sirasu_des
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