大好きな二次元キャラが自宅に三次元で出現して来た話

しまわさび

第1話 303号室 食堂の主 フーリカ

窓から差す西陽が、パステルカラーとなって部屋全部を彩っている。白い壁がまるで大芸術家のキャンパスのようだ。

外からは子供のはしゃぐ声。ヒーローごっこだろうか。将来の不安とか、何も無いような底抜けに明るい声が遠巻きに届いてくる。


公園裏の煤けたマンションで、1人のおじさんが生活の危機に瀕しているとは、あの子達は想像もしてないのだろうなぁ…。

ぼんやりと考えながら、シンクで汲んだおいしくもない水道水と向き合う。


なぜ俺は、こんな糸の切れた人形のような過ごし方をしているのか。答えは単純である。

解雇、クビ。なんとなく縁遠いだろうな、と考えていた言葉が現実になってしまうとは。


事業縮小に伴う整理解雇だったので、もちろん事前に通達はされていたのだが。

昨日までは日にちを跨いで帰宅する事が当然だったのに、考えられないような時間に在宅しているとなんというか。

堰き止められていた現実感と共に、彼らにとって自分は必要とされない部類の人間だった、という事実が容赦なく身を突き刺してくる。


学生の頃から要領の悪い方ではあったし、うだつの上がらない万年平社員ではあった。それでも…それでも20年。悔しい思いや仄かな熱意を抱えて少しでも会社の為に、と尽くして来たのに。


憂鬱だ…。リストラほやほやの2日目生だが、気が付けばこうした曇りに心を支配されている。

物思いに耽ける時間が有り余っているというのも残酷な事なのだと、気付かされてしまった。


なんとか心中の靄を消そうと酒を浴びてみても、頭痛と共に気持ちがもたれるだけで。


…だから、きっとこれも幻影なのだろう。慣れない酒が作った悪い夢だ。

俺の背後に、少女が立っているだなんて。


「あの…ここは…?あなたはいったい…」







「すまないね、こんなものしか出せなくて」


「いえ…」


とりあえず椅子に座らせて安物のインスタントコーヒーをお出ししたが、状況がさっぱり掴めない。


しかし、彼女のツインテールでまとめられた白髪。そして特徴的な赤い瞳。どこかで…見た覚えがある気がするのだが、頭痛が思考を遮ってくる。


「まず、君はどうしてここに?」


「私…ですか?それが、私にもさっぱり分からなくて…食堂の仕込みをしていたら、突然この部屋に…」


「ふーん…不躾だけど、お名前は?」


「えっと、フーリカって言います」


「フーリカ…フーリカ?ちょっ、ちょっと待ってて」


部屋着からスマホを取り出し、あるアプリを起動する。半年前『趣味を持つと良いよ』と同僚に勧められて始めたものの、仕事に忙殺されておざなりにしてしまっていた、スマホゲームだった。確か、内容は現代社会を舞台に少女達が戦う、と言ったもののはず。

そして、画面内のロビーには。今目の前に座っている彼女の容姿そのままで、『フーリカです!』と元気よく挨拶しているキャラクターの姿が。


「これ、君?」


「えっ?あっ…みたい、ですね。名前も一緒ですし」


「「…………」」


いよいよおかしくなってしまったらしい。頭をぐしゃぐしゃに抱えてしまう。


「クビの次は二日酔いで幻覚か…」


「えっあの、これ私は、ゲームのキャラクターって事で、飛び出てきてしまった、という事なのでしょうか?…ええー?」


「大丈夫だよ、自分が幻覚見てるだけだから」


「あっ、そうなんですね、はい」


「「……………」」


「…あの、どうすればあ…」


「ごめん、ちょっと一旦吐いてくるから」


黒カビの生えた便器へ直行し、勢いよくえずく。胃がひっくり返るような感覚に苦しみながら、幻覚よ消えろ、消えろと神に祈っていた。


5分程経過しただろうか。おぼつかない足取りでリビングに戻ると、先程となんら変わりのない光景が広がっていた。


「あっ、あの、お加減はいかがでしょうか…?」


心配げな目まで向けられてしまっている。もう、好きなようになってしまえばいいと思った。いいや。全部どうでもいい。


「何か、簡単なものでもお作りしましょうか…?胃に優しいものを…」







「あのっ、先程2日酔いとおっしゃってましたよね?そういう日は、何か食べた方がいいんですよ!食べものが体の中に残ったお酒を持って行ってくれる、って師匠に教わったんです」


「…そうなんだね」


台所に立つ幻覚…いや、違うのか?と、会話しながら椅子に座っている。奇妙な光景だ。

…でも、誰かが料理している所を見るなんて、いつぶりだろうか。


コンビニ弁当に役目を奪われていた分をぶつけるかのように、キイキイと不安な音を立てるガスコンロ。

コトコトと愉快に揺れる鍋。蒸気で薄く曇る窓。


そして、隔てた先に誰かが、自分の為に何かをしてくれているという安息感。


「でも、お邪魔ではないでしょうか…?そろそろお子さんも帰ってくる時間帯なのでは…」


「…子ども?」


「あっごめんなさい!盗み見するつもりはなかったんですけど、居間にお写真が飾ってあるのを見てしまって…」


「ああ、こう太の事かい?それなら大丈夫だよ。もうあの子の親は自分じゃないんだ」


「…?あっ、ごめんなさい…踏み込んだことを…」


「いや、いいよ。何年も前の事だから…って、なんでこんな事君に話しているんだろうな、ははは」


…息子の事を聞かれた時、適当にはぐらかせばよかった。なのにどうして、こんな事を溢してしまったのだろう。

相手まで淀ませる毒だというのに。


「ごめん、きっと誰かに押し分けて、楽になりたかったんだ。同じ気持ちになって欲しかったんだ。ごめん」


「いえっ、よろしければどしどしぶつけて頂いても!

一介の主に過ぎませんが、これでも食堂を預かる身ですので!えへへ…」


パチリ、とコンロを止める音。優しい、暖かな香りと共に、もうもうと湯気を立てるお椀が運ばれてくる。


「ありがとう…これは…?」


「貝柱のお粥です!あのっ、貝柱はおつまみのものをお借りしてしまいましたが、お米と調味料は私が携帯しているものを使いましたので!」


澄んだスープに沈む、粒たった米粒。チラホラと覗く貝柱。

そして、何より。お粥。…お粥。


「………単身赴任でここに来た後、休みが取れるたびにあの子に会いに行っていたんだ…。

もうとっくに乳離れしていて、でも離乳食なんてどうすればいいのか分からなくて、育児本と必死に睨めっこして…」


自分でも声が震えているのが分かる。

フーリカは、優しい顔でただ頷いてくれていた。


「お粥…お粥をふーふー冷ましてたら、こう太が、笑って…。でもその頃にはもう…妻には他の男がいて…」


じわりじわり、2本3本と涙が頬を伝っていく。


「全部を…全部を捧げた会社にも見限られて…。俺はもう、何を薪に走ればいいのか…分からない…」


涙の堰があるとすれば、もうとっくに決壊していた。まるで、3人で遊んだ、夏の川じゃないか。本当にみっともない。









頬の濁流が乾いた頃。彼女がポツリ、と話しだす。


「私、師匠を亡くしてまして。本当に悲しくて、塞ぎ込む以外、何も出来なかったんですけど…」


「……うん」


「でもやっぱりお腹は空いちゃって。師匠のレシピ通りに、何品か作っちゃったんです。そしたら、もうすごく美味しくて。一瞬だけ、頭が『美味しい!』でいっぱいになってしまって」


はにかんだ顔で語る彼女。だが、何か…雰囲気に積み重ねというか、強い軸のような物を感じる。


「私は…あんまり強い人間じゃないので…。

暖かい料理って、暗いところからちょっとだけ目を離す心の余裕を作ってくれるんだ、という事に助けられてしまって」


「心の…余裕…」


ずっと、忘れていた。仕事や家庭の問題に夢中で。

いつからだったのだろうか。食事の時間がコンビニ飯を掻き込む作業になったのは。


「そしたらですね。不思議と、食堂を潰してなるものかー!とか、私が継ぐんだ!っていう気持ちが湧いて来まして。多分、悲しみに隠されて見えなくなっていたんでしょうね。


…えっと、何が言いたいかと言いますと…。美味しいものを食べて、ちょっとだけ目隠ししてみませんか、というお話でした…。ごめんなさい偉そうに…」


「…フーリカさんは、それで悲しみを捨て去れたのかな?」


少しの沈黙の後、ツインテールの白髪がゆっくりと横に揺れる。


「悲しみは…消えません。師匠は私と共にあります。でも、色々な想いも、今は一緒に」


「…そうか」


丁寧によそわれたお椀に手を伸ばす。少し冷めてしまったが、芯から来るような、仄かな暖かさは残っている。


「…お粥。いただいてもいいかな?」


「はい!」


掬った米を、ゆっくりと口に運ぶ。

その柔らかで優しい味は、体の奥まで澄み渡って。

少しだけ、頭痛の種も二日酔いも、今までの事も吹き飛ばすような、力強さを持っていた。


「ありがとう…おいしい。おいしいよ…。ありがとう…」







カチャカチャ、と鍋をこする。洗い物自体久しぶりで、不慣れさに手は震えていたが、反面。心は凪いだように穏やかだった。


「あのっ、ごめんなさい…後片付けまでが食堂としてのお仕事ですのに…」


「いや、このくらいはさせて欲しい。

…それで、フーリカさんはこれからどうするんだい?」


行儀よく座る彼女に向けて、台所に立ちながら話しかける。


「出来れば、元の世界に帰りたいのですが…。あっ、お邪魔でしょうし、すぐにおいとま致しますのでご心配なく!」


「でも、行くあてもないだろう?狭いところで悪いけど、フーリカさんが良かったら帰る目処がつくまでここに住まないか」


「ええっ、そんな…悪いですよ!負担になってしまいますし…」


「いいんだ。対価はもう十分すぎる程貰ってしまったからね」


「そう、でしょうか…?では、お言葉に甘えさせて頂いても…?」


そう。再び歩き出す原動力を貰ってしまったのだ。これでも足りないくらいに。

そうだな。まずは、失業保険をぶんどって、次の職探し。そして…。


「…こう太に一目だけでも会わせてくれ、ってあいつに掛け合ってみようかな」







そういえば。どうしてあのスマホゲームで、フーリカさんをロビーに設定していたのか。


それは彼女の、色々な物を越えて、真摯に仕事向き合う姿に少し勇気を貰っていたからだったのだが、ちょっと小っ恥ずかしいので内緒にしておこうと思う。

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