2/1 カニ看板の日

 その町にはとある都市伝説が流行っていた。


『商店街にある店のカニ看板の裏側を見ると不幸になる』


 誰が言い始めたのか、その噂話は若者を中心に尾ひれをつけて広まっていた。その熱量は凄まじく、一時は町内だけでなく県外からもその看板を見に人が訪れ、空前の活気に包まれていた。

 予想外の人流に喜ぶ商店街の人々と反するように、気を悪くしたのはその店のオーナーや従業員だった。見物客は見物客のまま、むしろ他の客の妨げになるため何度か営業妨害で追い払おうとしても、次々に新しく人が入れ替わるせいで効果は見込めず、警察に相談してもろくに相手をされなかった。

 ならば仕方がないと店側は強引な手を取る他、道は残されていなかった。そう、渦中の看板を撤去しようとしたのだ。

 批判が相次ぐなか、撤去当日を迎えた店舗前には、その最後の姿を一目見ようと多くの観客が押し寄せていた。何も知らなかった業者はその様子に驚きながらも決められた作業をこなしていく。

 それはなんのイタズラか。前触れもなくふいた強風に煽られ一人の作業員が体勢を崩してしまった。安全帯をつけていたためそのまま落下することは無かったが、彼が持っていたロープは暴れ回る蛇のように勢いよく中を舞っていた。

 それは看板を支える大事なロープだった。作業員は必死で手を伸ばすも時すでに遅く、巨大なカニの看板は重力に従ってゆっくりとその身を地面に向けていた。

 轟音、そして破砕。観客からは悲鳴が上がるが、幸いなことに十分な距離を保っていたため怪我はなかった。

 解体から清掃に業務が変わったことに面倒と思いながら作業員達は地面を見ていた。立ちのぼる土煙が晴れていくと看板の裏側が表にさらけ出されていた。

 黒く塗られた面は埃がかぶりくすんでいる。なんだ、やっぱり何もないじゃないかと皆が思っていた。

 それは動き出した。目だ。小さな小さなふたつの目。それが無数の群体となって黒い面を作っていた。


「ひっ――」


 息を飲むような悲鳴はカタカタと硬いものが噛み合う音で掻き消されてしまう。小石程に小さなカニがびっしりと、そして右だけ異様に太った爪を数回鳴らしていた。

 それを合図にカニ達は、津波のように走り出した。運悪く最前列で見ていた人は押し寄せる波から逃げようとするが、すぐ後ろの人が壁となって逃げ場がない。黒い粒は地を這う害虫のような速度で人々の足の隙間を抜い、走り去っていた。

 さざ波の音が遠ざかる。商店街の道に残されたのはカニ看板の手足を動かしていた、壊れた機械だけとなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る