今日は何の日

1/16 囲炉裏の日

 時計は午後六時を指していた。


 ぱちぱちと、ぜる音が響く。

 砂の上には真っ赤に染まった炭が、もうもうと炎を上げている。囲炉裏の前に座っていた老婆は、その深く皺の刻まれた手を伸ばし、ひとつ、またひとつと炭を投げ入れていた。

 外は冬の嵐、つぶてのような雪が銃雨じゅううの如く降りしきり、暴風が津波のように襲い来る。漆喰しっくいの壁、茅葺きの屋根は冷気の殆どを素通りさせていた。

 どんどん。

 木の扉が乾いた音を立てる。老婆は一瞥いちべつすると深いため息をついてから、空いているよと声を投げつける。

 がらりと引き戸を開けて飛び込んできたのは男性だった。頭と肩に白雪を乗せた、六尺の大男だ。ナイロンの防寒具を身につけていても細かく震える様子から、長く外にいたことが伺える。

 彼は青い唇を動かし、


「すみません、道に迷ったみたいで。雪が止むまで――」


「おあがり」


 言い終える前に老婆は手を招く。

 男性は嬉々とした表情を浮かべると、雪を払い土間で武骨なブーツを脱いでいそいそと老婆の対面に座っていた。

 老婆の瞳に、揺らめく紅蓮の先に男が映る。


「……雪はまだ止まないかい?」


 しわがれ声が男に刺さる。囲炉裏の真ん中に置かれた鍋からひとすくい、湯を湯呑みに移してお盆に乗せると、火を迂回して彼の足元に置いていた。


「そうですね。さっきから急に強くなって、困っちゃいましたよ」


 湯呑みを宝物のように手の中へ納めた男性は、眉を八の字に曲げて笑う。


「ゆっくりしていきな。大したもてなしは出来ないけどね」


「ほんと、助かります」


 男は小さく背中を丸めて礼を言う。

 それからは言葉数少なく、不規則に揺らぐ火だけが彩りを放っていた。

 一刻(二時間)程だった頃。吹く風の騒がしさが和らいでいた事に男は気付く。

 緊張で硬くなった足を叩き、姿勢を崩すと、


「すみません。そろそろ帰れそうなので」


「そうかい。今度は迷うんじゃないよ、家を出て右に真っ直ぐ行けば人里に着くはずだから」


「何から何まですみません。助かりました」


 うやうやしく頭を下げた男はあっ、と短く弾んだ声を上げると懐に手を入れ、何かを掴む。歩み寄り、老婆の目の前で手を開くと、そこには小さな赤い人形が彼女を見つめていた。


「こんなものしかなくて申し訳ないですが」


「……いいさ。お礼にケチをつけるもんでも無いからね」


 鼻を鳴らし半ば奪うように手に取った老婆は、値踏みするように見てから、人形を膝元に置いていた。

 男はそれを見てまた一礼し、来た時よりもしっかりとした足取りで家を出る。一人残された老婆は人形を炭と一緒に、火へくべていた。

 めらめらと燃える人形は瞬く間に灰になる。残されたのは首に巻かれていた金具だけ。それが炎の中心で歪み、他の金具と合わさってひとつの大きな塊となっていた。


 老婆は炭をくべる。また訪れる彼に気付かれぬよう、高く高く火を舞いあげる。


 時計は午後六時を指していた。

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