荒川 長石

ドアを入ると視線は自然に上方へと誘われる。天井が高い。二階分はあるだろう。紅茶や中国茶の茶葉か、それとも漢方薬の店か。ウグイス色の土壁に焦茶色をした木の梁や柱。天井からは白い陶器と黒い金属の支えを組み合わせた典雅な和洋折衷様式のランプがいくつも下がり、大きな黒い羽根のシーリングファンが二つほど、ゆっくりと乾いた空気を送ってくる。

左手にはおそらく商品棚やベンチが並んでおり、右手には、いまもその一部が見える長い漆黒の木のカウンターが奥に向かって伸びている。カウンターのうしろの壁は、全体が作りつけの高い棚になっていて、茶葉だか薬種だかの入った大きくて白いホーロービンが美しく並べられ、橙色に光る壁紙を背にシルエットとなって浮かび上がっている。

だがその棚も全体の半分ほどしか見ることができない。なぜなら、奥の高みから入り口に向かって斜めに伸びる無機質な稜線が、店の空間のほぼ半分を隠してしまっているからだ。

それは巨大な砂の山だった。すでに店の床の三分の二を覆い、さらにその範囲を広げつつあるようだ。高さの方は、ほぼ天井にまで達しつつあった。目をこらしてよく見れば、店の一番奥の天井の一角を覆う板の隙間からさらさらと煙のような細かい砂が、三十センチほどの空隙を、いまも流れ落ちつつあるのを確認することができる。

砂時計の中にできる三角の山をそのまま大きくしたような、稜線が常に床とほぼ一定の角度を保つよう常に小さななだれを起こしているその山の圧倒的なマスのために、店の中に砂の山があるというよりも、砂の山の上に店がかぶさっていると言う方が事態をより正確に表わしていると言える。その砂は、すでに店の裏に通じる通路やその奥にある倉庫、事務室にまで入り込み、締め切った扉にはゆっくりとしかし確実に増えていく重圧をかけて扉板を軋ませているのだろう。

店員は一人だけだった。カウンターの向こうにわずかに残された隙間に紺のエプロンをつけた女が立って男を眺めていた。

「やっぱり、止まりませんか」と男がたずねた。

「ええ」女は一瞬、悲しそうに微笑んだ。「運営局にたずねたら、システムのバックドアを利用したテロだろうって。今のところ、どうにもならないそうです」

「そうですか」男はうなずき、それから独り言のように低く呟いた。「どこかのいたずら者が、砂の粘度を変えなきゃいいがな」

「そうねえ……そうすればここも74階みたいに、砂漠化した街の廃墟を売り物にして生活していかなきゃならなくなるかも」

「ま、それならそれでいいのか……」

女がわずかに笑った。

「ちくしょう!」と突然、男が叫んだ。「いまいましい砂漠め……誰があんなものを思いついたんだ……おれたちを困らせて、いったい何になるなるってんだ……」

「まったく……でも、ある意味、私たちもそれをコミでここに移住してきたわけだし……」

「ある意味じゃあ、ね。でもこんな苦労をさせられるなんて……まるで賽の河原の石積みじゃないですか、これじゃあ」

「でも、これがなければないでまた、あまりにも簡単すぎて変になる人が出てきたり……」

「ああそうでしたそうでした、分かってますよおれも。でもそれにしたって……まあいいや。まったく、生き物に対する共感ってものがないんだろうか」

「生き物……いったい何のこと?」

女は正面に顔を向け、誰もいない空間を見つめる。


男は店を出て町を歩く。町と言っても西部劇に出てくるような、数軒の店が並ぶ一本の短い通りにすぎない。酒場は天井に穴が開き、その上の空中から滝が流れ落ちていて、店内は滝つぼになっている。店の出口から水が勢いよく流れ出てくるので誰も店に入れない。だがその水は、店の前の乾いた砂地にあっというまに吸い込まれて消えていく。酒場の斜め向かいの教会は、建物の下半分がスッパリ切り取られてなくなっていて、その向こうにはサボテンが点在する荒野が見える。細長い窓のついた壁の上半分と三角屋根、そこから突き出た鐘楼だけが宙に浮いている。

男は教会の前を通り過ぎた。町はずれまでやってくると、そこに、どう見ても場違いな水車小屋がある。川などどこにもないのに、その水車はものすごい勢いでぐるぐると回っている。よく見ると、その回転の力で大きな桶から水をくみ上げ、その水が樋を伝って水車に水をかけて回している。近ごろはやりの永久機関テロだ。軸受けの摩擦率に細工がしてあるのだろう。そばに寄ると、水車の羽がブンブンと風を切る音が聞こえてくる。男は大きく舌打ちをすると、くるりと水車に背を向けてさらに道の先をたどった。


男は町の外に出た。岩だらけの荒野に乾いた道が伸び、それが乾いた白い岩山の方へと向かっている。男はその乾いた道を歩きつづける。しばらくいくと、男は道から少し離れた平らな何もない砂地に妙なくぼみを発見する。近くまで行って見てみると、地面に直径十メートルほどの巨大なアリ地獄のようなすり鉢状の穴が開いていて、周囲の砂がその穴の中へ流れ落ちている。

男は穴の周囲をゆっくりと一周しながら砂が流れ落ちる様子を観察した。砂は斜面のあちこちで小さななだれを起しながらうろこ状の筋になって流れ落ちていく。だがいつまでたっても砂が穴の底にたまる気配はなく、斜面の角度も変わらない。全体の形が変わらない様子は、まるで穴が一つの生き物であるかのようだ。

この世界にはエネルギー保存の法則も、質量保存の法則もない。モノは簡単に増殖し、簡単に消えてしまう。

男はふと、穴をはさんだちょうど真向いに、自分とは別の男がいるのに気づく。その男もほぼ同時に反対側にいる男に気づいたらしく、ぼんやり立ち止まって男の様子を眺めている。よく見るとそれは自分自身だった。つまり、姿かたちも着ているものも自分と同じだった。増殖テロだ、と男が思うあいだにも、男の数は信じられぬ速さで増えていく。なんとも言えぬ嫌な感じにおもわず胃のあたりに手を当てているうちに、いつの間にか穴の周りを百人ほどの自分がぎっしりと取り囲んでいた。

男たちはみな無言だったが、ときどきカエルの鳴き声のような、グェという妙な音をのどから出した。その百人分の音が重なり合い、にぎやかなカエルの合唱になっていた。男は、左右から密着してくる男に押されながら肩で押し返していたが、やがて案の定というか、男の一人が足を踏みはずして斜面をすべり落ちた。すると、他の男たちも次々とそのあとに続いた。男たちはなおも増殖し、なおも落ち続ける。どの男たちも、穴の中心へ向かって流れ落ちていきながら、最後の意識の中では同じことを考える。だがいつまでたっても男たちが穴の底にたまる気配がない。これは永久機関テロだ……それに増殖テロと消滅テロ、空中浮遊テロで構成された、限りなくバグに近い四次元物体だ……と考える男もまた、背後にひしめきあう男たちに押され、ついに縁から足を踏みはずして穴へと落ちていく……


と、急にあたりはしんとして、男は店にいた。いや、もはや「女は」と言ったほうがいいだろうか。店にいるのは女一人だけだった。紺のエプロンをつけた女はカウンターのうしろに立って店の奥を眺めている。天井が高い。二階分はあるだろうか。紅茶や中国茶の茶葉か、それとも漢方薬の店か。ウグイス色の土壁に焦茶色をした木の梁や柱。天井からは白い陶器と黒い金属の支えを組み合わせた典雅な和洋折衷様式のランプが下がり、大きな黒い羽根のシーリングファンが二つほど、ゆっくりと乾いた空気を送ってくる。

天井の一角を覆う板の隙間から煙のような細かい砂が流れ落ち、棚を三分の一まで埋めている。砂はいまでもさらさらと落ちつづけている。砂は店の裏に通じる通路やその奥にある倉庫、事務室にまで入り込みつつある。稜線が常に床とほぼ一定の角度を保つよう常に小さななだれを起こす砂の山は時間の立方根に比例してその高さを増していく。クリーム色をした砂の山は、まるで絵の中に割り込んできた現実のような明るい印象を与える。

やがて男がやってきて、わかりきった質問をするだろう。女はそれにありきたりな答えを返し、笑って見せる。これも永久機関テロなのか……それともそう見せかけたシナリオなのか。女は進んでいるのか、堂々巡りしているのか、女はいつかはどこかにたどり着くのか……だがそれをあらかじめ知るすべはなく……そして、そう思うあいだにも砂は落ち続ける。止まらない時間だけを唯一のよすがとして、男がやってくるまでのあいだ、女は正面の、誰もいない空間を見つめる。

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荒川 長石 @tmv

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